予想をはるかにうわまわる早い帰宅だった。
「図書館いくんじゃなかったっけ?」
「いってきた」
あたしはちらっとテレビのうえにおかれたアナログ時計を見た。キジっちゃんがでてってからまだ一時間もたっていない。
「きょうは、閉館日だ、そうです」
フローリングにうつぶせにねころがりながらキジっちゃんがとぎれとぎれに言う。しゃべんのも億劫らしい。ばかだなちゃんと確認してからでてけばいいのに。言ったら、あーっていうちからない声がかえってきた。
「外。半端ない。やばい。ひざしにころされる」
キジっちゃんはごろんとからだをひるがえしてあおむけになった。あー床つめたい気持ちいい。言いながら、ちょうどそばにあったクーラーのリモコンを手にとる。
「げ、ちょっとまって28℃ってなに」
「地球温暖化」
あたしが簡潔にそれだけ言ったら、キジっちゃんはまゆをよせた。それからリモコンをクーラー本体にむけたのであたしはたちあがってそれをとりあげる。
「28℃でも充分すずしいでしょ、さっきも床つめたいって言ってたじゃん」
「設定温度見たら急にあつくなってきた」
「じゃあ設定16℃だと思えばすずしくなるよ」
リモコンをとりかえそうとするキジっちゃんの手をはらってそれをソファのよこのひくいテーブルのうえにおく。そしたらやっとあきらめたらしいキジっちゃんがひたいの汗をぬぐった。
「地球温暖化って、そんなこと気にしたことあったっけ」
皮肉たっぷりのキジっちゃんの声。たしかにそうだった。最近ちょっとそういうたぐいの本をよんでそれに思いっきり影響されてんだからわれながらわかりやすい。でもいつあきるかもわからないんだから、やりたいと思ってるうちにできるかぎりのことはしとくべきでしょやっぱり。
「未知、テレビ」
「自分でつければー」
「うごけない……」
なさけない声ださないでよほんとに。キジっちゃんはあついのが苦手。ついでに言うとさむいのも苦手。まったく不便なからだである。
「いまどうせおもしろい番組やってないよ」
言って、よつんばいでキジっちゃんによる。それからうでにふれた。
「キジっちゃん、汗でべたべた」
「……あつい」
キジっちゃんがあたしのてのこうにふれる。あついならはなすよって言ったら、あつくても未知にさわられんのは大歓迎って。あつさで頭がおかしくなってるらしかった。
「アイスたべたい」
「そんな気のきいたものないよ」
言ってから、そうだと思いついてたちあがった。それからキッチンのほうへいって、きゅうにどうしたのって顔してるキジっちゃんのところにもどってきた。
「こおりこおり」
コップのなかにいれたこおりのつぶてのひとつをつかんでキジっちゃんの口のなかにほうりこんであげた。
「……鉄くさい」
「文句言わないでよ、水道水でつくったやつなんだからしかたないの」
「あーでも、つめたくておいしいよこれ」
口のなかでこおりをころがしながら、未知もたべればってキジっちゃんが言う。もとからそのつもり。またこおりをつまんで、こんどは自分の口のなかにいれた。
「んー、思ったよりいけるね」
しばらく口のなかでころがしてから、かたまりに歯をたてた。こおりは音をたてて簡単にこなごなになった。あーおいしい。
「ねえ、こおりとかあめとかかむひとってストレスたまってんだよ」
もういっこ、ってテーブルのうえにおかれたコップをゆびさしながらキジっちゃんが笑った。あたしはもうとけかかっているこおりをつまんでまたキジっちゃんの口にはこぶ。はいあーん。なんちゃって。
「そりゃあ、やっぱあれだよ」
「なに」
「キジっちゃんといっしょにくらしてたらストレスたまるよーやっぱり」
「……」
「げ、うそだよ本気でへこまないでよ」
あたしはあおむけのキジっちゃんのはらのうえにまたがる。ぐえ、ってキジっちゃんが言った。
「未知おもい」
「しつれいな」
「や、体勢的にね、それはきつい」
言いながらも、べつにあたしを本気でよかそうとはしないキジっちゃん。ふうん、と思った。それからちょっと顔をちかづけてみる。
「あつくるしい?」
「ちょっと」
「あたしよけたほうがいい?」
「……いやべつに」
そう言うと思った。ふんって笑って見せたら、ため息つきながら見あげられた。そのくせまんざらでもない顔してんだからキジっちゃんはあつかいやすい。
「そういえばキジっちゃんさあ」
「ん?」
「きのうかってにあたしのプリンたべたでしょ」
「げ」
キジっちゃんが視線をそらす。しんじらんないこいつ。あたしたのしみにとっといたのに。べつに拘束しようと思ってうえにのったわけじゃないけどちょうどいい感じににげられなくしてやれた。ふざけんなばか、って言いながらくびをしめるまねをしたらキジっちゃんはあせった顔でごめんと言った。
「2個。2個かっとくから。ゆるして」
あたしの顔のまえでゆびを2本たてる。本気であせってるようすがおもしろかったので、しょうがないゆるしてあげることにする。といってもさいしょからそこまでおこってなかったけど。
「クリームかかってるやつね。しかもでっかいの」
「あーはいはい……」
キジっちゃんはきのうの自分のおこないを後悔してるのかひたいをおさえた。ちょっとかんがえればこんなことになるってことくらいわかるだろうにやっぱりキジっちゃんはあつさにやられてるらしい。ちょっとかわいそうだからクーラーの温度さげてあげようかなあと思っていたら、キジっちゃんがあたしのひざをぽんぽんとたたいた。
「なに?」
のぞきこんだら、キジっちゃんはこおりいりのコップをゆびさして、そのゆびでこんどは自分のくちもとをさす。もういっこほしいのかな、って思ったけどちがった。
「くちうつし」
「……」
いやちがうな。やっぱりキジっちゃんはさいしょっから頭がおかしいんだ。すこしのあいだ見おろしたあと、あたしはコップのなかの、とけてもうもとの半分くらいのおおきさになってるこおりを口にふくんだ。つめたい。それから、ゆっくりとキジっちゃんにちかづく。まさかあたしがほんとにするとは思ってなかったらしいキジっちゃんが瞬く。
あとちょっとでくっつく、っていうところで、あたしはさっきみたいにこおりに歯をたてた。とけかかったこおりはもろくて、さっきより簡単にこなごなになった。けど、音はなんだかさっきよりおおきかった。
「……」
ぽかんとするキジっちゃんを見おろしながら、口のなかではやくもみずになったこおりをのみこんだ。
「そんなあつっくるしいことしたくありませーん」
べ、と舌をだしたら、キジっちゃんは期待させやがってって顔であたしをにらむ。残念ながらまったくこわくありません。
「はいこれ、さいごのいっこ」
コップをとって、みずのなかにうかぶこおりをすくう。口あけてキジっちゃん、と言ってちょっとうえのほうからこおりをおとした。
「あで」
そしたらキジっちゃんの前歯でワンクッションしてからこおりはキジっちゃんの舌のうえにおちる。かつん、とじつにすずしげな音がした。ああそうだ、ベランダのほうに風鈴でもつけようか。
「あー。ねえ」
「ん?」
「きょうのばんごはんさあ」
「急に話とぶね」
「思いだしたの。きょう駅前のスーパー5時からタイムセールでコロッケいっこ10円」
「おお」
「でさあ、そのかえりに風鈴かってきて」
「風鈴? また急になんで、って私がかいものいくの?」
「とうぜん」
ふかぶかとうなずいてみせたら、キジっちゃんはいやいやいやっててのひらをつきだした。
「あのね、私はこんなにあつさにまいってるんだよ」
「夕方だったらそんなにひざしもつよくないよ」
「いや、5時っていったらまだけっこう……」
「あたしのプリンたべたのだれだっけ」
キジっちゃんがだまる。ほんとにちょうどよくよわみがにぎれた。ラッキー。
「……あー。わかった。じゃあいっしょに。いっしょにいこう」
風鈴かうんだったら、どうせならいっしょにかいたいしさ。くるしまぎれか本気かしらないけど、キジっちゃんが言う。ううん、言われてみたらそうかもしれない。
「じゃあ、キジっちゃん荷物持ちね」
「はいはい」
「あと、プリンもういっこプラス」
「ええ…」
いやなわけないですよねって視線をおくったら、キジっちゃんはしぶい顔して視線をおよがせた。うふふと笑って、やっとキジっちゃんのおなかのうえからどけたら、ふうってキジっちゃんが息をつく。もしかしたらくるしかったのかな、わるいことしたかもしれない。
「あと、みそきれそうだよ」
「みそは火曜特売の日にかうの」
「ああそっか」
あたしは冷蔵庫をのぞきこんで、ほかになにいるかなあとかんがえて、ふと思いだしてしまった。思いだしたくないこと。
「……あれ、そういえばさあ」
それにかぶるように、あいかわらずねころがってるキジっちゃんが声をあげる。ぎくりとした。いやな予感。
「未知こないだ、私の牛乳パンかってにたべなかったっけ」
「……」
あたしはきこえないふりして、あーウスターソースもきれてるよー、とばかみたいにわざとらしくおおきな声で言った。
07.08.13 エルオーブイイー夏