室内はうすぐらい。こっちのが雰囲気でるから、と電気をけしたのは未知だ。唯一光をはなっているのはテレビの画面だけ。
ひまだからDVDでも見ようということになったのだ。未知とつれだって近所のレンタルビデオ店へいった。といってもDVDのパッケージを一所懸命吟味するのはもっぱら未知の仕事だ。私はいまとくに見たいものはないし、かりにあったとしてもそれは基本的に未知の趣味ではないのでわざわざふたりでえらびにきたときには言わない。というわけでだいたいこういうときの私は未知のうしろをついてまわるだけだ。そしてたまに未知にこれなんてどうとふられてあいまいな返事をするくらい。ここがまたむずかしいところなのだ。私は未知が見たいものならなんだっていい。だからたいていいいんじゃないという適当きわまりない返答をしてしまうわけで、するとまじめにかんがえてよと未知はおこるのだ。私はいたってまじめなんだけど。じつのところ、未知だってほんとうは気づいてるんだと思う。私がDVDをえらぶ気なんてないこと。それだというのに未知はいちいちいっしょにいきたがる。その理由をきいたりはしない。自分のいいように解釈しておこうと思うからだ。
いつの間にか物語は佳境にさしかかっていた。はなればなれになっていた恋人どうしの再会。よくあるストーリーによくある演出だった。ちらりととなりの未知を見たら、ソファに身をあずけてクッションをむねにかかえて画面に真剣に見入っていた。青白いひかりが未知のほほをてらす。
未知はとても素直でゆたかな感性をもっている。製作者の意図のままに感じ入る。なかせようとしているところではなく。緊迫させようとしているところでは息をのむ。いちいちかたむいた見方をしてしまう私にはできないことだ。
すん、ととなりからはなをすする音がきこえた。ほらね、と思った。画面を見たまま未知のうでをとってひきよせた。未知は一瞬だけこっちに視線をよこしてすぐに画面に集中しなおす。ここはおそらくもっとももりあがる感動のシーンだ。おたがいのためを思ってはなれた恋人との再会。つぎにまっているのはためらいのない抱擁とキス。その瞬間このふたりはすべてをすてた。それをさけるためにわかれたというのに。私が記憶しているかぎりではそんな話の流れだったはずだ。やすっぽいと思う。思わずにはいられない。
私たちはどうだ。なにをすてるでもなくいっしょにいる。いられる。悲劇なんてしょせんは物語で、実際にあったとしても私たちにとってはとおい話だ。ただしそれは現時点ではという条件つきなのだ。ほんとうは、いつ私たちに決断のときがくるかわからない。すこしでもさきのことはなにもわからないのだ。やすっぽい映画のような悲惨な選択。それは確信にちかい憶測だった。こんなことをかんがえていると未知がしったらどう思われるのだろうか、キジっちゃんはほんとにうじうじしてるね、と笑ってくれるか。そうだったらどんなにいいんだろう。
すべてをすてる覚悟はある。それはたしかだ。ただしこれも、現時点ではという条件つきなのだ。どうして盲信的になれない。未知ならきっとためらわずうなずいてくれるのに。どうして素直に恋人たちの復活をいわってやれないんだ、私は。
気づいたらエンドロールがながれていた。ずっとテレビ画面を見ていたはずなのに、途中からまったく内容が思いだせなかった。緩慢なスピードで黒い背景のなかを白いアルファベットがながれていく。未知は余韻をあじわうように、やわらかい音楽にききいっているみたいだった。それを邪魔するつもりで顔をのぞきこんだらそらされた。
「キジっちゃん、ティッシュとって」
すんと未知がまたはなをすする。それにうんとうなずいておいて、ティッシュ箱じゃなくて未知のほほに手をのばす。こっちをむかせてもういちどのぞきこんだ。赤い顔。かわいい。かわいくていとしい。いとしい子のみけんにしわがよる。未知は泣き顔を見られるのがきらいだ。
「ティッシュとってよ」
「うん」
私は返事ばかりがいいのだ。顔をよせてかすかな未知の髪の感触をほほにうけながらめじりにくちびるをつける。しょっぱい未知の味がした。なきたいならなけばいいけど、なくのをこらえる未知はとてもかわいいからそうは言ってあげない。あふれかけたなみだが私のわずかな刺激でふるえた。背中に手をまわしてみると、未知にみみをひっぱられる。
「すけべ」
「未知にだけね」
おやくそくの台詞をはいたらたわむれ程度の平手をくった。
「ねえ、ここにあとつけていい?」
「ん…だめだよ見えるとこじゃん」
「ばんそうこうはったげるから」
「よけいめだつよそれじゃ」
「未知」
「うん?」
「私はいましあわせだよ」
おどろくほど素直な声がでた。なにをナーバスになっているんだろう。さきほどの思考が頭をかすめる。ぞくりとした。ただしなみだはでない。かわりに未知のめじりをおやゆびのはらでなでた。なみだのあとをけしさってみせたかった。未知のためじゃない、自分のためだ。
未知が私の髪のさきにふれる。それだけで体温がつたわってくる気がした。あたしもいましあわせよ。あまい声で未知が言った。
うらやましかったのかもしれないし、いまの自分がいやなのかもしれない。私は未知になりたいのか、本意でなくてもわずかにその気持ちはある。未知ばかりがまっすぐで、私はそれがないとすすめないほどゆがんでいるのである。
再生しきったDVDがメインメニューにもどる。それからはBGMとしての例のエンディングの曲のリピートだ。あたしもいましあわせよ。未知の声がかぶる。やすっぽい映画の、この曲だけはすきになれそうだと思った。
07.09.05 ラブユーテンダー