ぶどうがあった。紫色の、皮のはった新鮮そうな巨峰があった。冷蔵庫のまえでしゃがんでそれを見つめていると、うしろからかたごしに手がのびてきて、トレイにのってラップにつつまれているそれが宙にうく。うでをたどるとあたしを見おろすキジっちゃんがいた。蛍光灯の光を真上からうけて、もとからよくない顔色がさらにくらく見えた。

「どしたのそれ」
「スーパーでかった」

 やすくなってた。それだけ言って、キジっちゃんはパックされたぶどうを開封する。水道水でさらしてあらって、食器棚から皿をにまいとりだして水のしずくをたらしながらリビングにかえっていった。たちあがってながしを見ると、キジっちゃんのつかった夕食の食器が水につけられていた。

「未知ってぶどうすきだっけ」
「うん」
「そう」

 ガラスでてきたコーヒーテーブルに皿とぶどうをのせて、キジっちゃんはそのとなりのゆかにあぐらをかいた。意外とにあわないんだけど、キジっちゃんはあぐらがすきだ。あたしもテーブルをはさんでむかいあう位置にこしをおろす。あぐらはかかない。まえにキジっちゃんににあわないねとじぶんのことはたなにあげて指摘されたから。

「なんでぶどう?」
「やすかったから……」

 ひとつぶふさからとって、かわをむく。紫からレモン色がはみだした。いやぶどうにレモンは失礼かな。キジっちゃんの手元をながめながらぼんやりとした。テレビ見れば、っていうキジっちゃんのことばに数秒おくれてうんと言って、でもけっきょくリモコンには手をのばさないでどんどんはだかにされてくぶどうのつぶを観察した。ならんだお皿のかたほうにはむかれてちぢこまったうすいかわがつまれて、もうかたほうにはみずみずしい果実がたまっていった。そういえば、やすくなってたってことはこれそんな新鮮じゃないんだ。第一印象もいまのようすもとってもおいしそうだけど、それはなんだかあたしの見る目がないだけみたい。なんとなくつまんなくなって、まだふさにつながってるぶどうに手をのばしたら、んってキジっちゃんが声をあげた。

「こっちむいたのあるでしょ」
「あたしもむきたい」
「だめ」

 キジっちゃんがまゆをかたほうつりあげてくちびるをとがらせた。それからつまれた果実をひとつつまんであたしにさしだす。

「たねなしだよ」

 ずっとぶどうをさわってたからキジっちゃんのゆびさきはべたべたで、あまいにおいがした。

「まだいらない」

 ぜんぶむきおわってから、って言ったら、キジっちゃんがかたをすくめた。それからぽいとつまんだぶどうを皿になげてまたふさに手をのばした。あたしはほおづえついてまたながめた。こんどは手元じゃなくてねむそうなまぶた。かおをふせて見おろしてるから、とってもまぶたがおもそうでかわいい。

「おいしそうね」

 つぶやいたらキジっちゃんが視線をもちあげて、そのせいで目があった。キジっちゃんのてもとがとまる。ちょうどむきおわったみたい。それからべたべたのゆびをなめる。

「あまい?」
「あまいね」

 なめながら、もうかたほうのあいた手でてまねかれた。でもたちあがるのがめんどくさくて無視したら、キジっちゃんはまたくちびるをとがらせてたちあがる。それからあたしのとなりにこしをおろす。またあぐら。さっきまでキジっちゃんのまえにおかれていたからここからはちょっととおい果実ののった皿をひきよせるキジっちゃん。あたしはその手首をとる。

「なめてほしいの、これ」
「ん……」

 じぶんのくちびるにキジっちゃんのゆびをおしつけた。そしたらキジっちゃんはこまったみたいにまゆをよせて、それからひょいと手をひっこめる。

「さっきから、さそってんだ?」

 こまった顔のまま、そのくせたのしそうに言って、またひとつぶぶどうをつまむ。こんどはそれがくちびるにおしあてられる。すなおにそれをくちにふくんだ。もちろんキジっちゃんのゆびごと。つめに歯をたてたらかたくておいしくなかった。すぐにそれはひきぬかれて、つぎのがはこばれてきた。まださっきののみこんでないんだけど。

「あまいでしょ」
「横暴だなあ」
「そうかな」

 たえまなくはこばれる。キジっちゃんのたくらみはあれだ。あたしのくちのなかをいっぱいにして、ちょっとまってとあたしに降参させたいのだ。でも残念なことに、あたしはすなおにそんなかわいいはんのうはしてあげられない。ごめんね。
 すぐそばのキジっちゃんのくびにうでをまわした。それからくちづけて、くちのなかでぼろぼろになった果実をはんぶんくらいあいてのくちのなかにながしこんだ。んー、ってキジっちゃんから抗議の声があがったけど気にしない。とちゅうすこし失敗して、キジっちゃんのくちのはしから果汁だなんだがこぼれちゃった。ふたりでそれをのみこんで、そしたらキジっちゃんが顔をしかめる。

「ぬるい」
「文句言わないでよもー」

 ぬるくなったのもあたしの体温のおかげだって思えば愛着わくでしょ。じぶんのくちもとをぬぐって、つぎにキジっちゃんのもゆびさきでふいてあげた。そのあいだはおとなしくしてたのに、あたしがやめたとたんかたをおされた。背後にあったソファにおしつけられる。キジっちゃんはひざだちになってあたしにのしかかる。それから例のお皿をてにとって、あたしのくちめがけてかたむけた。

「あ、わ、あー」

 底にたまっていた果汁がまず顔のうえにこぼれて、こんどはのこってたぶどうのつぶがなだれみたいにおちてきた。いくつかくちでキャッチできたけど、ほとんどはほほにバウンドしてゆかにおちちゃったりあたしのふくのなかにころがっていった。くちにはいったやつをなんとかのみこんでからあああと声をあげる。

「べ、べたべたじゃん、さいあく。なにすんのばかたれ、って、あ、ちょっと」

 こんどはこのあほうなにを思ったのかあたしのふくのなかにひっかかってるぶどうをてのひらでつぶした。ふくのなかでつぶれる。つめたい感触がたれてひろがった。もうべたべたどころの話じゃない。あんまりのことでなにも言えないでいると、反省の色なんてみじんもない声がきこえた。

「未知、したかったのかと思って」
「……」

 まったく説明になってないなあと思って、でもしょうがないからそういうことにしておいてあげる。あたしはぶどうまみれになったくびもとをなでて、そのゆびをキジっちゃんにくわえさせる。あまいねって言ったら、キジっちゃんがうなずく。すなおでいい子。でもほんとは、あたしのが数倍いい子なのだ。だって、しってるんだもの。きょうはぶどうだったけど、こないだはなしで、そのまえはあまなつだった。

「あ、キジっちゃん、晩ごはんのお皿あらってないでしょ」
「ん…あしたあした」
「またそんなこと言って」

 たまになんとなくみたいにくだものをかってきて、かわをむいてあたしにそれをたべさせるのがすきなんでしょ、それでそのあとこんなにおいのなかでそういうことするのがすきなんでしょ。意図してるのか無意識なのかはしらないけど、キジっちゃんってたぶんかなりマニアックだ。

「未知、あまいなあ」

 なんだかぜんぶがあたしのせいみたいに口調をたのしげにする。それをききながらあたしは内心ため息をついた。それじゃあ、そのあまいのぜんぶとるまでゆるさないんだからね、なんて、あたしもそれにたのしくのっかれるくらいはマニアックなんだもの。
07.12.24 ゆるやかにそまる