ろうかの窓から外を見ていた。白と黒と赤のまじった空の色は、先輩に似ていた。

「おまたせ。おそくなってごめんね」

 先輩が美術室から顔をだした。わたしはゆっくりと思い出す。夕日の色。先輩の色。こんなに似てていいのかしら。

「先輩」
「ん?」
「先輩のことをかんがえてました」
「あらめずらしい。うれしいこと言ってくれるのね」

 先輩はやさしいのだ。表情も声も指先も唇も。恐い、と思った。なにより自分が。あまえる自分が。

「帰ろっか」

 そう言って歩きだした先輩に、肩がぶつかるくらいよりそった。すると先輩は、今日は本当にめずらしくかわいいのね、と夕日の顔で笑った。
07.06.25 感傷の情景/槙ゆか
「いらっしゃい」

 まっていたわよと言わんばかりのその口調は本当に癪にさわる。えらそうにいすのうえでふんぞりかえっている彼女は、そのポーズが嫌味ぬきでにあうのだ。

「……ひとりなの?」
「そうだと思ったからきたんでしょう?」

 だまっていると、彼女は唇のはしをあげた。

「帯刀には用事を言いつけておいだしておいたの。あなたのためよ。わかってるくせに」

 宮本静久が鐘をならすために席をはずしていることはしっていた。彼女の言うとおりだった。わかってるくせに。

「……なんの話よ」

 わかってるくせに。わたしは彼女の台詞を頭のなかでくりかえす。わかってるくせに。それをうけいれられる日なんてこないとわかってるくせに。
07.06.28 知恵の輪/天星
 しゃがんだひとかげを見つけた。でもそのひとは自分とは関係なくてというよりあんまり関係をもちたくなくて無意識のうちにわたしはそのひとから目をそらそうとした。だけど、そのつぎに目にはいったものがくせものだった。

「――あ」

 思わずもれたわたしの声にあわせてそのひとの視線があがった。目があう。あちゃあ、と思った。

「あなたたしか」

 それだけ言って、無道さんは視線をもとにもどした。おどろきにも無道さんはわたしの顔をおぼえてくれていたらしい。……名前のほうはさだかじゃないけど。

「それ、のらねこ?」
「たぶん。なんかよってきた」

 そのままその場をさるのもはばかられて、わたしはちかづいてくせものをのぞきこんだ。ちいさなよごれたねこ。もとは白なのかもしれないけどいまは灰色の毛をしている。
 無道さんはその子にふれようとしなかった。ただ指先をさしだし、それを子ねこの鼻先にすきなようにあそばせていた。かわいいね。そう言おうとして、でもそれよりさきに無道さんが口をひらく。

「やさしくしたら」
「え?」

 とても唐突だったから、わたしは思わずききかえした。でも無道さんは、その問いにこたえるんじゃなくて、ひとりごとみたいにまた呟いた。

「やさしくしたら、こいつはひとりで生きていけなくなるのかな」

 そう言いきった瞬間、タイミングをはかったように気まぐれな子ねこはぷいと無道さんに尾をむけた。そしてそのままよわよわしい足取りでわたしたちからはなれていく。たぶんそれがこたえだった。
 無道さんがふうと息をはいてたちあがった。そのままわたしに背をむける。それじゃ。どうでもよさげな声色がわたしにとどく。

「……」

 わたしはそれに返事をしないで、無道さんを見送った。その背中は、すこし子ねこににていた。
07.07.02 はざま/綾恵
「ね、たとえばさ、このひとがいないと死ぬ、って思ったことある?」
「死ぬ、ですか」

 たずねたあたしに、わんわんはちょっととまどった視線をよこした。そう、死ぬ、です。わんわんはかんがえこむようにうつむく。だれのことをかんがえてるかはすぐわかった。わんわんはわかりやすい。

「……そう思ったことはあります」
「うん」
「でも、ほんとうに死にはしないだろうな、とも」
「……うん」

 ほんとうに死にはしない。きっとそうだった。もしあたしがあのひとにあわない世界があったとしても、あたしはきっとその世界で平気な顔して生きているんだ。いま現在もしあのひとがいなくなったら死ぬと思っていても、実際は意外にさらりと世界はながれていくのだ。それは、ちょっとさみしい。

「でも」
「ん?」
「でも、生きてもいけないんだろうな、とも思います」

 わんわんは、目をほそめてとおくを見た。あたしは瞬く。

「……ふうん、なるほど。なかなかうまいこと言うね」
「そ、そうですか?」
「そうだよ。ふうん、なるほどね、なるほどね……」

 それじゃあ、そういうことにしておこう。あたしがうふふと笑ったら、わんわんはこまった顔のままつられて笑った。
07.07.15 いのちにべつじょうはないのだ/猿+犬
 ばしゃっ。ばんっ。二種類の音が連続してきこえて、なんやなんやと思って音の発信源をうかがってみると、みしったふたりが見えた。ひとりは呆然とカフェテラスの席につき、ひとりは足音をあらげてその場をはなれていくところだった。朝食時、テラスにはけっこうな人数がいてその現場を目撃していた。かくいう自分もそのひとり。

「水もしたたるいい女、ってか」

 うちはほうけているほうのそばにいって席につく。さっきさっていった人物がおいていった朝食ののったトレイをわきによけて自分のそれをおく。

「ここええか」

 返事はない。呆然としたまま、もしかしてうちの存在に気づいてないんじゃないかって顔をしているキジの目前で手をふる。そこでやっとこいつは焦点をあわせた。

「あ……」
「水浴びにはまだはやいんちがうか」

 うちの軽口に言いかえさず、キジはぬれた前髪をかきあげた。そう、ぬれた。うちはさっきわきにおしやったトレイをちらりと見た。とくに限定するとそのうえにのる透明なコップ。中身はから。しかもちょっとひびいり。つまりどういうことかといえば、さっきの「ばしゃっ」はこのなかの水がどこかしらにこぼれたおとであり「ばんっ」はこのコップがテーブルにたたきつけられた音だったということだ。ちなみに、わかってると思うけどどこかしらっていうのはキジの顔面である。

「かわいい顔してなかなかやるのお、あんたの刃友」

 たまごやきをつつきながら言うと、キジは顔をしかめた。うちのいまの発言のどこが気にさわったのかはしらない。うちは肩をすくめてハンカチをさしだす。

「そのまんまやったらかぜひくで」

 キジはおとなしくうけとる。素直なキジなんて気持ちわるい。

「けんか?」
「……」

 黙秘。まあ予想通り。うちは水びたしのキジのトレイを見る。まだけっこうのこっているけどたぶん食えたもんじゃない。自分のぶんをわけてやろうかと一瞬思ったけどキジにやさしい自分は素直なキジより気持ちわるいと気づいてやめた。

「……急に」
「ん?」

 キジがか細い声で言う。

「急に、おこっちゃって。なんでかはわかんなくて」

 どうしよう。さいごのほうはほとんどひとり言だった。うちはすこしあせった。めっちゃ深刻やんか。そらそうじゃ、水ぶっかれられたんじゃけん。

「理由わからんのか」

 キジがうなずく。それじゃあ助言しようがない。うちがだまっているとキジはどんどんうつむいていった。おいおい、と思った。よくもまあこんなんで楔束解消とか言いだせたもんじゃ。一連のさわぎを思いだしていると、急にキジがたちあがる。

「……あやまってくる」
「あ、こら」

 思わずそのうでをつかむ。キジはうちを見る。あーあなさけない顔。

「理由もわからんとあやまっても逆効果なんとちがうか」
「……」
「頭ひやし」

 すとんと腰をおろしなおすキジ。うちははあとため息をつく。

「しっかせーよ」
「……」
「そんなんやからへたれなんやであんた」
「……うるさいな」

 やっとキジらしい口きいた。ふんと笑って見せたらキジも苦笑。それから頭をかいた。

「あー。なんか借りができちゃったね」
「むしろあんたはうちに借りしかないで」
「そこは否定させてもらうけどね」

 もういちど苦笑して、キジはたちあがった。

「キジ」
「とりあえず話してくる」
「ふうん」

 うちははしりさる背中を見送った。まったく手のかかるへたれだ。手かけてやっとる自分最高ほんま素敵。キジのあほはほんまにともだちのありがたみってやつをわかってらっしゃるんですかねえ。まあ、ともだちすくなそうなあいつにそれを期待するんは酷っちゅうもんか。

「まー。なかなおりできるとええですねえ」

 とりあえずうちはそのうちくるであろうわんこの席をあけるためにキジのトレイをさっきみたいによこにおしやる。それからはっとした。もしかして、あいつらが放置していったトレイをかたづけるのは自分なんじゃなかろうか。

「……」

 はい、貸し2。
07.07.16 いろをつけるとしたらあお/桃+雉
「わたしは玲のことならなんでもしってるの」

 紗枝が言う。

「しってるのよ、そんなふうにむずかしい顔してるときにかぎってばかみたいなことかんがえてるって」

 紗枝が言う。紗枝は急によくしゃべる。発作的にその症状はあらわれる。そのときの紗枝は苦手だ。

「ねえおぼえてる? 小学生にあがりたてのころだったかしら、玲ったら泣きそうな顔してかんがえごとしてて、びっくりしちゃってあわててどうしたのって言ったら」

 ちくしょうだまれよ。あたしはあたしの話に興味はないんだむしろそんな話したくないんだだいっきらいなんだ。

「こんなにひとがいるってことは死人もいっぱいで、ってことはいつか世界が墓だらけになってすむところがなくなるんじゃないか、って。もう笑っちゃったわ。いまかんがえればわるかったと思うけど、あのときはしょうがなかったの玲ってばかわいいんだもん。ねえ」

 あたしはあたしの話なんかよりおまえの話がしたいんだどうせしゃべるならてめえの話でもしやがれ。たのしそうにわらってんじゃねえよあたしはおまえの話にしか興味ないんだおまえのおまえのおまえのおまえの。

「あと、いつだったかのクリスマスに」
「おまえもうだまれよ」

 でも結局そう言わないとこいつはあたしの話をやめない。だまったこいつとはこいつの話はできない。つまりあたしは、いつだってあたしの話をきかされるだけでおわるのだ。
07.07.17 かぎりなく茶にちかいブラック/神祈
 わたしのうでをつかむその握力は存外につよかった。このひとにしては、というていどだけど。

「あの。星河さん?」

 さきほどろうかであってこんにちはとあいさつしたらなぜかこんなところにひっぱってこられた。こんなところ、というのはつかわれていないあき教室。わたしのうでをつかんだままの星河さんはなにも言わない。

「あの?」

 よびかけると、ぐいと見あげられた。急だったからすこし面食らう。星河さんの唇がふるえた。なにか言いたげ。だけど星河さんはわたしの目をにらむばかりだった。

「えっと。わたしちょっと時間が……」

 教室にぶらさがる時計を見る。そろそろひつぎさんのところにいかなくては。なにも言わないけどどうやらわたしに用があるらしい星河さんをそっとせかした。

「……静久」
「あ、はい」

 やっと星河さんがことばをはっした。そういえばきょうあってからはじめて。それにちょっとおどろいて瞬いて、そこでやっと星河さんの顔が赤いと気づく。

「星河さん、顔赤いですよ? かぜですか?」

 のぞきこんだらひかれた。それからうるさいわねちがうわよと星河さんが言った。

「だから、わたしは」

 それからそうつづけて、またしても星河さんはうつむく。いったいどうしたんだろう。わたしはもういちど時計を見た。ちょっと遅刻しそうかも。

「あのすみません。ちょっとこれから会長のところにいかなくちゃならないので」

 話はまたのちほど。そう言おうとしたら、息をのんだ星河さんががっとまたわたしを見た。さっきより顔が赤い。でもさっきの紅潮のしかたとすこしちがって見えた。なんだろう、と思っていると左のほうからなにかがとんできた。とっさによけたら、星河さんの右手が宙をきるのが見えた。ああなにかは星河さんのてのひらだったのか。

「〜……っ」

 ひとり納得していたら、さらに顔をまっ赤にした星河さんが足音をあらげて教室からでていってしまった。そうか、後者はいかりによる赤面だったらしい。じゃあさいしょに顔が赤かったのはどうしてなんだろう。
 数秒おくれてろうかにでたら、神門さんがいた。

「……ひでえ女だなおまえ」
「は?」

 なにがですか? そうたずねようと思ったのに神門さんはそれよりさきにさっさとあるいていってしまった。とりのこされたわたしは首をかしげて、それからやっとひつぎさんのところにいかなくてはいけないことを思いだした。
07.07.28 ビューティフルボンバー/宮星
 すこしでも地面からはなれたところにいると、無性に身をなげだしたくなる。たとえばいまわたしたちがいる校舎の屋上。フェンスのそばによって見おろせば、はるか下方にある地面がとても魅力的に感じられるのだ。
 これはけっして自殺願望ではない。しにたいわけではないのだ。むしろわたしはいきることに貪欲である。わたしをしるひとの大半はくびをかしげるだろうがそれはまぎれもない真実でありかわりようのないわたしの性質だ。いきることはたのしい。

「メイ」

 後方からわたしをよぶ声。ずいぶんとなじんでしまった。ふりかえれば、ゆめからさめたふたつの目がわたしを見つめていた。

「きょうははやいおめざめね」

 フェンスにかけていた手をはなして炎雪にちかづいた。にごったひとみはうすぐらく、月のない夜空を思わせた。
 炎雪がわたしのうでをつかむ。かべによりかかりこしをおろしている炎雪をわたしは見おろす。それは、とても魅力的だ。

「おなかすいたの?」

 身をかがめて炎雪のかたに手をおく。ほら、こんなにもいきることはたのしいのだ。ほしいものがおどろくほど簡単に手のなかにおさまる。
 目をとじれば、炎雪のてのひらがわたしのほほをつつんだ。温度は感じられない。そこにはただ、浮遊感のみが存在する。

「……メイ」

 しにたいわけではない。ただわたしは、そこにあるであろう見しらぬ感覚に興味があるのだ。わたしたちの浮遊感が、それよりここちよいかどうかに。ただ、それだけ。
07.08.01 しぬほどほしいものではない/炎氷