どうしてそんなことをしようという気になったとかはどうでもよかった。というよりそんなことをかんがえる余裕はなかった。
「キスしたくなった」
そう言ったら、未知はそれはそれはかわいい顔をしてあとずさった。私はよつんばいでにじりよる。じりじり。逃げるなんてひどいなあ。そう言おうと思ったのに実際はかすれた息がのどからもれただけだった。
気づけば背後のかべが未知の逃げ道をうばっていた。おいつめられた未知は私を見る。
「あー」
思わず変な声をだすと、未知が私の肩をつかんで顔をそらした。それをおいかけて唇をよせる。未知は泣きそうな顔をする。
「キジっちゃん、目がえろい……」
もうなんとでも言ってよ。
07.06.23 一寸先は闇
手をつなぎたいなあと思った。キジっちゃんの手はとてもきれいだからとてもつめたそうに見える。
「うう」
うなったら、キジっちゃんがとなりを歩くあたしを見た。手。手をつなぎたいんです。
「……のどかわいたよ」
「ふうん。じゃあ食堂のほういこうか。自販機あるし」
その場しのぎのうそはあっさりキジっちゃんをだましてくれた。あたしは身勝手にも腹をたてた。つまんないつまんないつまんない。キジっちゃんのばか。
「未知?」
いつまでも歩きだそうとしないあたしのほうを、すこし先にいってしまったキジっちゃんが不思議そうにふりかえる。それからすたすたともどってきた。と思ったら。
「なにしてんの。早くいこうよ」
ひょい、とあたしの左手を右手でとった。あ、と思った。
07.06.23 シックスセンス
未知、ととなりからよばれて、気づいたらせまくて暗いところにおしこまれていた。それがそうじロッカーだと思いあたったのは、自分がキジっちゃんのうでのなかにいると気づいたあとだった。
「キジっちゃ……」
「だまって。気づかれる」
耳に息がかかった。あたしは息をのんだけど、外のようすを一所懸命うかがっているキジっちゃんは気づかない。そこであたしは、そういえばいま逃げている最中なんだったと思い出した。
「いったかな」
ばたばたばた、とふたりぶんの足音がとおざかってから、キジっちゃんが言った。
「あのひと、ありえないね。鼻血だしながらおいかけてくるとかさ、絶対に相当のマゾかなにかだよね」
げっそりといった感じの声色は、あいかわらずあたしの耳に近い。
「ほんと、犬神サンには同情す……」
不自然にことばがとぎれたと思ったら、がばっと密着していたからだをはがされた。おそい。あたしはこころのなかでつぶやく。
「あ……ご、ごめん」
なんであやまるかなあ。あたしは、くらがりでよくは見えないけどきっとまっ赤な顔をしてるであろうキジっちゃんをにらむ。赤い顔のキジっちゃんを見れないのは残念だけど、あたしもたぶん負けないくらいの顔をしてるだろうからおあいこっていうことにしておく。
「や、あの、逃げるのに必死でさ」
だからけっしてうんたらかんたら。あたしがだきしめてたのをおこってるとかんちがいしたキジっちゃんはよくわからないいいわけをならべて視線をおよがせた。そういえば密着してるよりちょっとはなれたほうが相手の顔が自分の顔のすぐ正面にあってはずかしい。
「……あー。でようか」
気まずそうなキジっちゃんは外にでようと手をのばした。でもあたしはそれをつかんで阻止する。
「え、未知?」
「おこってなんかないもん」
未知。キジっちゃんがまたあたしの名前をよんだ。それを無視してこんどはあたしがだきついた。おこってたのはそれじゃないもん、さっきまであたしばっかりどきどきしてたのがくやしかったからだもん。
「み、み、未知」
キジっちゃんが悲鳴みたいにあたしの名前をよぶ。あたしはまた無視してうでに力をこめた。ううう、とキジっちゃんがうめいた。
「あ、あー、やばい、それ、やばい」
「なにが」
「だ、だから……」
はあ、とキジっちゃんがあつい息をはく。それからあたしの背中に手がまわる。
「へ、へんな気分になる……」
「へ」
あたしは反射的にからだをはなそうとした。でもキジっちゃんの両腕がそれをさまたげる。き、キスしたい、んだけど。うわずった声が耳元でした。さっきよりあつい。か、と自分の体温があがった気がした。
「な、なん、なに」
「だ、だってさ、こんなにくっつくのひさしぶりで」
「くっつ……、キジっちゃ、それ、きもい……」
「な、きもい、きもいって」
「キジっちゃんって、ばか。ほんとばか」
「ば、ばかって、キミねえ」
だってばかじゃん。もっとスマートにしてくれれば、もっとかっこよくしてくれれば、あたしだって。
「み、未知……」
でも、そんなふうに名前をよばれたらキスしたくなっちゃうあたしはもっとばかなんだ、きっと。
07.06.25 あたしたちおんなのこ
だめだ、と思った。だめだ。
「未知」
未知の肩はふるえていて、いやふるえているのは肩だけじゃなくて私のうでのなかにある未知の全身で、必死でがまんしているようすはまるで別人だった。
「未知、……泣かないでよ」
う、と未知が息をつまらせて、それからかくれるみたいに私の鎖骨にひたいをおしつけた。
「な、泣いて、泣いて、なんか」
泣いてなんかない。未知はよれよれの声で言う。泣いてなんかない。泣いてるじゃない。
「未知」
よわった未知はちいさくてかわいそうで、かわいかった。だめだ、と思う。
「泣かないでよ」
ほんとは泣きやまなくていいって思ってるのだ、泣いてる未知はかわいいから、ずっと泣いてていいって。
「泣かないで」
「……いてなんか」
だから、私がどんなに言ったって、未知はきっと泣きやんでくれはしない。それがうれしい私は本当にだめだ。
07.06.29 ごわりまし
「あしたは七夕ですねえ」
短冊におねがいごとを書かなきゃですねえ。あたしが言ったら、キジっちゃんは一瞬宙を見た。
「私のねがいごとなんて、かなったためしがないからなあ」
それからそんなことを言ってさみしげに目をほそめたので、なんだかこっちまでさみしくなってきたから、
「じゃあ、あたしがキジっちゃんのねがいごとがかないますようにって短冊に書くよ」
と言ったら、キジっちゃんはきょとんとして、それから、
「それは、効率がわるいよ」
と、まゆをさげてちょっとうれしそうに笑った。
07.07.06 ほしのおひめさま
キミはとてもよわい人間なのだ私はしっているのだ。キミは私なしではもう生きられない気づいていないようだけれどキミのからだはもうすでにそのように変革されているのだよ。わかったかわかったならうなずきたまえそうすれば私がやさしくキミを抱擁してあげよういまのキミにとってはそれがいちばんのしあわせなのだ。だまされたと思ってためしてみたまえほんとうは興味があるんだろう信じきれてないんだろう?
いいかいなぜそれでキミがしあわせを感じられるのかといえばそれは私がキミをあいしているからなのだよ私の抱擁にはキミへのあいが多分にふくまれているからなのだよそれはとてもすばらしいことなのだたとえるならば我々はとなりあったジグソーパズルのピースなのだ。もちろんほかのピースなんてかんがえる必要はない世界はキミと私それだけでなりたっているのだからね。
さあ私をもとめたまえそうすればもとめる以上のものをキミにあたえる自信があるよ。それは世界のはてまでもつづく軌跡をなぞるだろうさあ私をうけいれてくれ。
(これくらいのことをかんがえないとゆびいっぽんだって未知にふれられないんだ)
07.07.08 まじない
「指が」
ふたりで芝生のうえでお昼寝をしていた。ぽかぽか陽気はもう夏のそれにかわりかけですこしあつい。やけそうだなあとあたしは思った。キジっちゃんのやわな肌が傷ついてしまうまえになかにもどらなくては。本格的に眠りのなかにいるキジっちゃんをおこそうととなりを見た。するとそれにあわせたみたいにキジっちゃんのまぶたがあがる。あたしがびっくりしていると、キジっちゃんがつぶやいた。指が。
「え、指がなに?」
「指が」
ああ寝ぼけてるんだ。おなじことばをくりかえすのをきいてあたしは納得する。指って、なんの夢を見てたんだろう。キジっちゃんそろそろおきて、なかにいこう。あたしはそう言おうとしてキジっちゃんに手をのばす。と、キジっちゃんはあたしの手をとる。それといったらもうおどろくほどやさしい指先で、言おうとしたことばがひっこんでいってしまうくらい。
「キジっちゃ……」
「だからさわっちゃだめだって。とげがささるって言った」
意味不明だった。キジっちゃんはまだ夢のなかにいる。夢のなかのあたしじゃないあたしを見てる。
「血がでてる」
血なんかでてないよ。それなのに、キジっちゃんはあたしの指を口元によせる。うわあ、とあたしは思った。それから、だめだ、と思った。思ったら、脊髄反射で手をひいていた。
宙にうくキジっちゃんの手。それはすぐにぱたんとキジっちゃんの胸のうえにおちる。
「……」
心地よさそうな寝息。キジっちゃんはあたしじゃないあたしのところにもどっていった。
「……血って、とげって。なんの話」
かたりかけてももちろん反応なんてない。いら。いらいら。あーあとまんなくなった。今回は全面的にキジっちゃんがわるいんだからね。あたしはたちあがる。
「キジっちゃんなんてずっと夢のなかにいればいいんだ」
すて台詞をしっかりきめてあたしはひるがえって屋根のしたにむかった。でもどうせすぐにおこしにきちゃうんだろうなあと思いながら。
07.07.13 ばらのゆめ
自転車がかぜをきる。ひざしがあつくて、かげはこい黒だった。
「……ねえ、そろそろ交代じゃないの?」
「ん、そう?」
「そうだよ。あのさ、キミから言いだしたんだよ、かわりばんこねって」
まえをむいたまま自転車のうしろにこしかける未知に言う。私はひたいをかるくてのこうでぬぐった。すこしおもいペダルをこぐたびに汗がにじんでくる気がする。
「じゃあもうちょっとしたら」
「……」
何度目だその台詞は。そんなこと言って、寮からここまで私ばっかりが自転車をこいでいる。未知はもしかしたらさいしょから自転車をこぐ気なんてないのかもしれなかった。なんてこった。
「あついねー、キジっちゃん」
「キミより私のが何倍もあついよ」
「あは、たしかに」
未知は笑った。私はげんなりとした。それから、数時間まえを思いだす。
夏休みだ。寮のなかはがらんとしていた。なぜかといえばみんな里帰り中だからで、だから私は未知も当然夏休みは実家にもどるんだろうと思っていた。んだけど、予想にはんして未知は寮にのこった。実家にはかえんないよって私が言ったときおどろいていたから未知はたぶん里帰りするんだろうなあと思ってたんだけど。
そんなおり。ひまだね、と言ったのがどうやら運のつきだった。未知はなぜか自転車をはこんできた。なにこれ、って言ったら、事務局のひとにかりてきた、とじまんげに言われて、自転車がどうしたの、って言うまえにこれのってどっかいこ、ってひっぱりだされた。そしてそれから、汗だくな現在にいたるわけである。
「……」
そう、運のつき。さっきまでそう思っていた。あついし汗はかくし未知はこぐのかわってくれないし。でもちがった。
「どこにつづいてんのかな、この道」
「どこなんだろうねえ」
寮からずいぶんときた。どんどんと道路はほそくなっていって、いつのまにかあたりにはたんぼがひろがっていた。学園のちかくにこんなところがあるなんてしらなかったからおどろいた。みどりのたんぼにかこまれて、空はまっ青、たまにくもがうすくかかっている。思わずつばをのみこんだ。なんだこれ、夏、って感じじゃないか。
「あー、ねえ、なんかわくわくしてきたね」
未知が言う。私は不覚にも、まったくそのとおりだと思った。
「夏っていえば、青い空に白いくもに自転車にふたりのりなんだよ」
「さいごのいっこはきいたことないけど」
まあそんなことはどうでもいいのだ。なんてったって、いまの私たちはまさに、青い空に白いくもに、自転車にふたりのりなんだから。まえのかごにはいっている中身いりのふたつのペットボトルがよりそってかたかた音をならしているのをききながら、私は思わずにやけた。未知に見られない状況でよかった。
「あとさ、ひまわりもたしといてよ。夏っていえばのなかに」
「んー、キジっちゃんってひまわりすきだっけ」
「どうかなあ」
どうかなってなにさ。たずねる未知の声をききながら、私は想像した。それはいちめんにひろがるひまわりばたけのまんなかにたっている。ひまわりが世界一にあうその子は、どんなひまわりよりもかがやいているのだ、なんちゃって。
「ちゃんとつかまってなよ」
「ん、……うん」
未知のうでが私のせなかにふれる。じわり、とまた汗がにじんだ。でがけにぬったひやけどめはきっともうぜんぶながれてしまってるだろうけど気にしない。こうなったら、未知の気がすむまで自転車をこいでやろうじゃないか。
「キジっちゃんのせなか、あっつい」
「未知のうでもあっついよ」
とにかく、日がおちるまでにはかえらなきゃ。そんなことを思いながら、たいようのひざし以外のせいでほてるほほをさまそうと、私は気合いをこめて自転車のペダルをひとこぎしたのだった。
07.08.08 なつくさ
それは判別がつかない。ためされているのかほんとうにまったく他意はないのか。未知のかんがえていることなんてかけらだってわからない。せめて未知にはそれがばれてなければいい。なさけない自分はきらいだけど、それ以上に未知はだめな私がきらいなのだ。
キジっちゃん、とよぶ。未知が私をよぶ。ごくたまに、それはまるであまくてしつこくてべたべたする練乳のように私をよごしていくのだ。とろとろとうえからしたへ。重力にさからわないただしさはあるのに、それ以上の不安もまたうしろに存在するのだ、たしかに。
未知はいつだって私と手をつなぎたがる。ただしところかまわずではない。きまってたったふたりきりの瞬間。問答無用でてのひらをてのひらでつつまれて、私は動揺せざるをえない。でもそれを未知に気づかれたらきっとすべてがおわるから、私はそれを必死でかくす。だけど未知はそういうときはかならず私の顔をのぞきこんで笑うから、もしかしたらぜんぶよまれているのかもしれない。
それは判別がつかない。ためされているのかほんとうにまったく他意はないのか。未知のかんがえていることなんてかけらだってわからない。
だから、わからないのだ。積極的なくせに私が未知のなまえをよんだり私からその手をとったときはぜったいに身をすくめる未知の真意を、私はまだ理解できないのである。
07.08.29 おまえがほしい
アイスのあたりなんてもしかしたら人生ではじめてかもしれない。うすっぺらな木のぼうにぼんやりえがかれた三文字をじっと見た。あたり。もういっぽんもらえるそうです。
「……ばかだあたしは」
あたしは単純だから平生ならこんなちいさなことで思いっきりよろこべるんだけど、ざんねんながらいまばっかりは話がべつ。コンビニのまえにならんでるいくつかのごみ箱のうちのもえるごみと書かれたものにそれをなげいれた。なんでアイスなんかかっちゃったんだろ。
ポケットにいれた携帯電話をとりだしてひらく。新着メッセージはなし。液晶にうかぶデジタル時計もさっき見たときから5分だってすすんでない。ただし、まちあわせた時間はもうとうのむかしなのである。むかつく、と思った。
「むかつく……」
さむくてしにそう。おおげさなんかじゃない、アイスでひんやりひえちゃって、ひとりぼっちでこころのそこまでこおりそうだとかそんな、なさけない気分にさせられる。あたしはぜんぜんわるくないのに。ああもうちょっとあったかいかっこしてくればよかったなあとか、なんであたしが反省しなきゃなんないの。コンビニの駐車場にならんでる車止めのブロックにのっかってみたり、となりのにとびうつってみたり。ひまつぶしをしてみるけど、おもしろくないんです、ざんねんながら。
「キジっちゃんのばか」
きっとおおいそぎではしってくるだろうまちびと思いうかべて、とりあえずデート開始10分はくちをきいてやらないことにしようってかんがえる。それでそれで、いいわけなんてはじめた日には、30分以上はシカトしてやるのだ。こまった顔が目にうかぶ。
「……」
いい気味、なんてつぶやきながら、あーあと思った。あの子のことをかんがえてたらちょっとむねがあったかくなっちゃった、なんてオチは、いらなかったのになあ。
07.11.08 レイトカマーズフューチャー