かえろうかと思ったら奈緒とあった。声をかけようとしたらめずらしくあっちのほうからどーもと言った。それからどういうわけか、いまは学園からとおくはなれた喫茶店でふたりして顔をむかいあわせているのだった。

「奈緒」
「……」

 窓際の席でそとをぼんやりながめている奈緒は、さきほどから私のことを無視しっぱなしだ。ちょっと、というからほんとにちょっとのつもりで奈緒についてきたら、延々あるきつづけて結局一時間後にあきらかに偶然見つけた風な喫茶店にはいろうと奈緒は言った。なにをばか正直にここまでついてきてんだろうか。私はいまさらめんどうくさくなってため息をつく。奈緒はそれもすっかりシカト。

「おまたせいたしました」

 ウェイトレスの高い声にわれにかえって、目前におかれた湯気のたつカップを見おろした。黒い液体が波打っている。

「コーヒーとかのめんだ」

 思わずびくと肩がゆれた。顔をあげると奈緒と目があう。ばかにしたようなおどろいた声にむっとしたけど極力表にはださないようにした。

「のむさ、それくらい」
「ふうん。もっとこども味覚かと思ってた」
「おまえに言われたくない」
「はあ?」

 くるくると奈緒の手元のストローがまわる。たしかレモンティを注文してたはずだった。からんからんと清涼感のある音が耳にとどく。すこしあせをかく透明なグラスをなんとなく見つめて、私はふむとかんがえた。

「なんかあったのか」
「なにが」
「なにがって」

 こんなとこまでひっぱってきといてそれはない。うでをくんでにらみをきかせてみても、奈緒は結局視線をはずすばかりだった。そうやって会話らしい会話もないままいくらか時間がすぎ、奈緒のレモンティもすっかり空になり、私のコーヒーだけがのこった。実を言うとなにもいれないコーヒーなんぞのめないんだけど、先の奈緒とかわした会話の手前、砂糖もシロップもいれるにいれられなくなってしまいひとくちも口をつけられずにいたのである。なんとまぬけなことだろう。さめきった黒い液体はもうすでにテーブルのはしにおいやられ、背景でしかない。
 ……。ちくしょう、ばからしくなってきた。

「おい、奈緒……」

 どん、とやっとこさしびれをきらした私はテーブルにこぶしをぶつけて奈緒をにらむ。にらんだら、唖然としてしまった。だって、奈緒がないていた。声もあげないでぽたぽた涙をおとしていた。唖然とした。

「……」

 とにかくまずさいしょに気になったのはまわりの視線で、思わず見わたしてからなんともかっこわるいと思って奈緒にむきなおって、かといってなにかできるわけでもなく私はくちびるのはしをひきつらせながら奈緒がはなをすすっては涙をぬぐうさまを観察するほかなかった。
 それからしばらくして、もうでる、と奈緒がたちあがるまでの記憶がすこしあいまいだった。きょ、きょうのこと、だれかにいったら、ぶ、ぶっころす。つまりながら切実にひびいたその台詞だけが、ぼんやりと脳みその裏側にうかんでいた。はっとして奈緒を見たらもうないてはいないにしても顔が赤くて目も赤くて、あいかわらずコーヒーはのこったまま。

「おごってよ」

 ずいと伝票をつきつけられて、まだうわずるその声色に動揺してついすなおにうけとってうなずいたら、なんでか奈緒はむっとしたようすで自分でわたしてきた伝票を私からひったくってレジのほうへあるいていった。会計べつで、とすこしさきにいってしまった奈緒が言う。ありがとうございましたー。のんきな店員の声がみょうににくらしかった。

「……」

 いくらなんでもあんたなんかにすがった自分がなさけなくなったのだ、と奈緒は言った。つまりはなにかがあったということで、だけどそのなにかは話してくれなくて、それでも奈緒は私のまえでないたのだった。

「じゃあね」
「かえるならいっしょに」
「うざ。あたしはひとりでかえりたいっつってんだけど」

 ふんとはなをならして、だけどそのつぎにはなさけなくすんすんとはなをすすっているうしろすがたがさっさときた道をもどっていき、私は呆然とたちつくした。ああ、バイク学園におきっぱなしだからとりにいかないと。
 私と奈緒はにてると思った。でも結局ちがうところのほうがおおくてなにもわからなくて、だからきょうこうなることがわかっていたから、しってるやつに見られないようこんなとおくまでつれてきたんじゃないかとかそんな邪推はきっとはずれているにきまっている。そうでないとこまる。こまるんだから。

「……うぐ」

 なんだか頭がいたくなって、ふと顔をあげたらずっととおくにいってしまった奈緒のせなかがまだあった。そこで自分でもひいてしまうほどおいかけなくてはいけない衝動にかられて、でもはかったようにそこで静留からのメールがとどいて私はものすごくわれにかえったのだった。
08.05.29 あの日あの時