「ゆうぐれどきの生徒会室って、なんか青春っぽいよねえ」

 ぱたぱたと窓にかかるカーテンをゆらしながら、律はたのしげにそとのようすをながめていた。放課後のゆるやかな空気のなかにはぼんやりと吹奏楽部の楽器の音や運動部のかけごえがひびいていて、ただしこの子が先程にぬけてきたと言っていた軽音楽部のかなでる音は耳をすましてもきこえない。
 さぼりにきちゃった、と律がやってくるときは、きまって私がひとりで仕事をしているときだった。それはとても稀なことで、唐突にひらく扉のむこうからひょこりとのんきな顔があらわれるたびぎくりとした。監視カメラでもしかけてあるのかしらといった旨のことを言ったことがあって、そのときは和でも冗談言うんだなあと笑われてしまったけど、おおむね本気だったためにごまかされたとしか思わなかった。唯の律についての話をきくかぎり、あながちありえないとも言いきれない事態なのだ。

「くるたび思うんだけど、お茶をのんでいるだけの部活をわざわざぬけだしてまでさぼる必要があるの」
「ままま、そのへんは気分っしょ」

 てか、お茶のんでるだけってわけでもないんだぞ。つくったような憤慨を顔にだし、律がカーテンをゆらす腕のうごきをおおきくする。ふわふわとゆれるあわい色のカーテンが、夕暮れの空を見えかくれさせた。ゆうぐれどきの生徒会室は。にわかに、先程なげかけられた訪問者のきまぐれなことばを思いだす。そんなふうにはかんがえたこともなかった私は、返事をすることなくそうなのかしらと内心でつぶやいていた。生徒会ってさあ、なんかかっこいいよね。また、ずっとむかしに適当なことを言われたことを思いだした。この子には、生徒会というものに特別な思いいれでもあるのだろうか。

「そんなに見つめられたら、てれちゃうわ」

 はっとする。すっかり手元は留守になっていて、視線ばかりが律をながめていた。私のその態度にたいした意味を感じとらなかったらしい律はくっくとおかしそうに笑っていて、途端に私は羞恥をおぼえる。平静をよそおってシャープペンをにぎりなおして、内心大慌てで仕事にもどる。
 とてもふしぎなのだった。律という子は、なにをしにここにいるのだろう。私は、どうしてこの子をまねきいれるのだろう。とてもめずらしいことなのにどこか当然に思われるさぼり魔の訪問は、私の調子をくるわせっぱなしだ。私のことを、あなたはなんだと思っているの。唯の幼なじみ、澪のクラスメイト、はたまた、融通をきかせてくれる生徒会のひと。どれもこれも、なんとも味気ない。

「じゃあ、わたしもういく」

 すっかりと風景をながめることにもあきてしまったらしい律がにこと笑う。澪がさ、課題ださなきゃとかでまだ部活きてなくて、でもたぶんそろそろ顔だすころだろうから。無防備な笑顔、それがとても素敵だから、うんとうなずいておくりだすはずだった。なのに、唐突な話題のなかの登場人物のなまえに私はぎくりとしてしまうのだ。

「ただお茶のんでるだけでも、部室にちゃんといないとおこるんだ、あいつって」
「さっきと、言ってることがちがうけど」
「あれっ、そうだっけ」

 調子のいい声、さっさと出口のほうへとかけだしてしまう。ふわふわとゆれるカーテンとそっくりなその姿。空をたまにかくしてしまう薄緑の厚い布のように、律は私から目のまえの風景を見えなくしてしまう。

「……なに」

 おどろいた、というにはおちつきすぎている声色がふりかえる。ふしぎそうな瞳は私をながめたあとに、自分の手首をうつしだす。私のてのひらがまきついたこの腕は、いつもあんなに元気な音で打楽器をならしているとは思えないほどにほそいのだ。

「おこられるなんて、親子みたい」
「それはおまえらもかわんないだろー」

 するりと手をはなしても律があるきだすことがなくて安心した。おこられるとか親子だとか、それはたしかにそのとおりで、だけどすこしちがうと思った。奔放な律の手綱をひいているのはまじめな澪。見たとおりならばそれが事実でも、本当は律こそが澪のお世話をしてあげているようなところがあった。

「私はおこらないわ、おこるんじゃなくて、さとしてあげるの」

 いつもぼんやりしている幼なじみのことをうかべて、私はゆっくり反論する。その点については、おまえらもかわらないと言われたとおりに唯と私もにたようなものなのだ。あんなふうになにも考えずにいきていけるような人種は、やっぱりなにもかんがえないでも、他人をすくってしまえるところがある。要領がいいとかそつがないとかよく言われるけど、それがけっしてほめことばでないことくらいわかっている。私は自分らしくすごしているだけなのに、それが気にくわないようなやつはいるものだ。不甲斐なくおさなかった私はそう陰口をたたかれては傷ついていたけど、そのたび唯はなにもかんがえていない顔で私のなまえをよんだ。かわいい声とかわいい顔で、幼なじみは私のことをすくってくれた。

「…えっ、なになに」

 そして、律と澪だって、私たちと大差ないのだ。すこしちがうのは、すくわれている澪がそれを自覚しきっていないこと。だって律は、やさしくておおきい。その証拠に、こうやって急にだきしめられても、この子はちょっとおどろいた声をあげるばかりでにげようともしないんだもの、……。

「おこらないし、なぐったりもしない」
「……うん、唯はいっつも、和はやさしいって言ってるよ」

 渾身の口説き文句は、まったく真意をくみとってもらえない。椅子にすわる私がたっている律をだきしめているものだから、耳がちょうど心臓の位置にあたっている。とくとくと、すこしはやく感じる鼓動がなっていた。

「生徒会とかってさ、なんかあこがれなんだよね」

 唐突な話題の変換、私はこどものようにそれに耳をかたむける。なんでって言われたらわかんないんだけど、でもなんかいいな、みたいな。そういうのってない? 私の急すぎる行動は、相手にひかれることもなくあまりにあっさり受けいれられて、それはまるで、私ののぞまぬ答えのかわりのようだった。

「……」

 うん、わかる、なんでって言われたら答えられないけど、私はいま、律をだきしめたかった。返事はやっぱりできなくて、こころのなかでつぶやくことが限界だった。まるで時間がとまったかのような錯覚、そのなかで、律がにわかにうごきだす。やんわりとしたてのひら、それがそっと、私の髪をなでていた。

「きょうの和、かわいい。澪みたい」

 あんまりひどいことを言われたのに、私ときたらもうそれどころでない。あっさりとしたうごきが私の後頭部にふれるたび、こころまでなでられている気分になった。やばい、これは、大変なことだ。澪は、いつもこんなことをしてもらっているのかしら。高鳴る心臓はいまにも口からとびだしてしまいそうで、もうやめてもらわないと本当にやばいことになりそうだった。でも、にげだすなんてもったいないこともできそうにない。私は要領がいいなんて、そつがないだなんてどこのばかが言ったんだろう、私はこんなに、不器用でまがぬけている。

「えっへへへ、きょうはこのまんま、部活まるっとさぼっちゃおうかなあ」

 のんきなつぶやき、もうこれ以上あまやかさないでほしい。ねえ、生徒会があこがれなんだったら、私は融通のきく生徒会のひとなんかじゃなくて、あこがれの生徒会のひとって思っているの、だから、こうやって急に稀に、私のところにやってくるの。なげかけないで、それらはすべて自分のなかで完結させる。それくらいのずるさくらい大目に見て、ねえだって、心臓がいまにも破裂しそう、すこしはやく感じる律の鼓動なんて目じゃないほどに、私の心臓はうるさくなるのだ。

「だめよ、澪におこられるんでしょう」

 はなそうともしない私が言っても説得力のかけらもない。どうしようか、律の言うゆうぐれどきの生徒会室には感じられなかったのに、私のいまのこのこころの動揺は、ひどく青春じみているのだった。
09.06.16 サイレントスプリング