遠藤マミをたとえるならば、水晶玉のような女だと思う。
「このごろ、あんまりいい夢を見ないのね」
昼さがりのカフェテラスには、心地よい風がやわくふきぬけていた。ほおづえをついたやつはぼんやり歩道をながめては、ひとさし指でとんとん自分のほほをノックしていた。私はマミがなにを言いたいのかいつものとおりにわからなかったので、たいへんね、と返事をした。
「生理もちょっとおくれてるし。つかれてんのかな」
「あんたが愚痴を言うなんてめずらしいわね」
「そうかな」
からん、とマミの手元のほそいグラスが音をたてる。アイスコーヒーはひと口だっていただいてはもらえないままたたずんでいて、濃い色をしながらじつにさみしげだ。私はそもそも夢というものをあまり見ないので、マミの深刻そうな顔にはいささかおいてきぼりをくっている。
結婚したいなあ、と、冗談めかした声がうそぶいたことがあった。どういう場面のどういう流れでそんな台詞がとびだしてきたのかはすっかりわすれたけれど、マミが全然現実的な話をするつもりがないように見えたことはよくおぼえている。いったいだれといっしょになりたいというのだろう、なんともわかりやすいこのクエスチョンは、しかしながら私の不得意分野でもあった。最適解をみちびきだす方法を、あえてまなばないままでいた。
「チアキちゃん、紅茶もうさめちゃったんじゃない?」
「あんたのコーヒーも氷がとけきってるわ」
本当は全然べつのことを言いたかったのかもしれない。なぜならば、マミの意中の相手は根なし草の旅人なのだ。だれかとどこかでむすばれるような、そんな素敵な終着点をむかえる未来を思いうかべることすらない。それをしらないマミじゃない。
私には、マミの妥協できる最低限が理解できない。のぞきこめばむこう側がまるくゆがんで、本当の姿をおおいかくす。うつくしくみがかれたこの女の水晶玉は、きっとなにがあっても私に真実をおしえてはくれない。
「……」
しりたいのだろうか。私にはそれすらもわからない。マミをまえにすると、やつのことだけではない、自分のことすらあいまいになった。その原因がマミがあまりに魅力的すぎるせいだと思いつき、それで否応なしに納得できてしまうあたり、私も相当きているらしい。
とどのつまりはどうでもいいのだ、いまここでいっしょにいられるだけで御の字なのだ。罪な女だとは思うまいか。
ぽん、と木製のテーブルに手をついた。するとぼんやりしていたマミがまばたきをしてこちらを見る。この目と目があうと、どうにも気分がしずんでしまう。たまらないほどひねくれものだと思う。やはり私は、いったいなにがしたくてなにがほしいのか、てんで見当もつけられなくなるわけなのである。
「ねえ。私、きょうは車できたのよ」
「あ、そうなの」
「ええ。それで、ちょうど助手席があいているわ」
「……」
のせてくれんだ。からかう声がしたので、海にいきましょうと最高にきめた表情でデートにさそった。
「チアキちゃんは、あたしにはあんまり笑った顔見せてくれないよね」
海岸には、乱暴な風がふいていた。私の髪はずいぶんすきかってにあばれているけれど、まったくそんなことは気にしていられなかった。煙草いい?と言うがはやいか紫煙をもくもくさせはじめたマミは、そろそろ日のおちかけた橙色した海をじいっとながめていた。だらりとおとされた右腕のさきのさらに指先につままれたほそい煙草は、さきっぽからつうっとひとすじの白い線をのばしている。風にのったそれは、いったいどこへといってしまうのか。
「せっかくかわいいのに」
どこかを見つめたままの中身のない口説き文句は、私のこころをいじくることはない。ただ、やつがいったいなにをかんがえているのか読みとくことに必死になる。結局はそういうことだ、笑っている場合ではない、いつでも私はマミがいったいなにを考えなにを言いたいのかを理解したいのだ。それに夢中になるあまり顔はいつでも仏頂面で表情をうごかすいとますらすらもったいない。ひょっとしたら呼吸すらわすれるほどで、それほどにやつは奇々怪々で難攻不落なのである。そしてこのごろは、ひょっとしたらやつの声も表情もたんに意味深なばかりで、本当のところはなにも考えていないのではなかろうかと思いはじめた。おどろくほどに、これが真理にもっともちかい気がしてならない。
「そう? かわいいのはあんたじゃない?」
「あっはは。なにそれ」
それでも、結局はまどわされる。マミの笑いかたはとても空々しいのだ。本当はここにいないだれかにむけたいものにちがいない。そう思うと、いまとなりにあるこの笑顔はとてもさみしげで無意味だった。マミがこんなふうになっているなんていやだった、けれどその反面、こういう顔をさせられるやつがうらやましい。だから、きっと私のこの気持ちはあまりきれいなものではないんだなと思った。
「マミ」
「うん?」
いやな夢を見ると言ったマミ、今晩は私も悪夢にうなされてみたいものだ。水晶のむこうはきれいにゆがんで、本当のところを見えなくさせる。ただしどこまでもうつくしく見るものを魅了して、へたをしたらすいこまれてしまうのではないかと思うほど。
「結婚したいなら、私とする?」
ざあっとあらい波がたち、びゅうびゅう風がふいている。マミは煙草を唇につけながら、ゆっくりこちらにむきなおる。目元は笑っているだろうか、口元はゆるんでいるだろうか。いくばくかの空白のあと、そっとそっとやつの唇がうごきだす。なんだかきょうは最低最悪な夢が見られる気がした。
12.08.18 ななめから恋