「なぜですか?」
「……なぜ、と言われましても」

 すっかり機嫌をそこねた将軍さまは、ふてくされた顔でそっぽをむいてしまうのだった。石舟斎は自分のいれた紅茶に口をつけながら、いまだ手にとられることもなく中身をさめさせる卓上のティカップをながめていた。
 ことのはじまりは実にささいなことだったが、このふたりのあいだにおきる際にかぎってはなにごとであってもおおげさな結果におわることがままあった。今回の場合は、義輝の急なたのみごと。この機械の箱をつかえるようになりたい、とのことだった。戦国武将のまとめ役たる彼女の執務室にある立派な机、そこにそなえられたディプレイはまるで新品といった風体でそこに鎮座していた。というか、実際ほぼつかわれたことがないのだろう。苦虫をかみつぶしたような顔で指さされたそれ、苦手意識がすぎて、パソコンという固有名詞をつかうのも億劫らしかった。

「そもそも、どうしてあなたはあれについてそんなにくわしいんです?」
「くわしい、というほどでもないですが。最低限のつかいかたくらいは身についてます、仕事柄」
「高校で剣をおしえるのにこれが必要なの?」
「いえ、たしかに本業はそれですが、ただそれだけというわけにもいきませんから。簡単な事務仕事とか雑用くらいはできるようにしておきたかったんです」

 この世界は摩訶不思議なことがおおいが、とくにこういう、こちらのことばをかりればハイテクなものは理解の範疇をぴょんと軽々しくとびこえていく。石舟斎もはじめてこれと対峙したときは驚愕したものだが、理屈はよくわからないながらも便利さはかなり身にしみてきたこのごろだ。それをみこしてのたのみごとかと思ったが、電源のいれかたすらままならぬ彼女はそれともいっしょに四苦八苦したかったのだろうか。さらさらと手順を説明する石舟斎を唖然とながめる彼女は、なかなかまがぬけていた。

「義輝さまこそ、われわれ戦国武将のまとめ役という大役をになわれていらっしゃるのにいままでパソコンがつかえないんじゃ不便だったんじゃないですか? こっちの世界じゃ必需品のようですし、あれは」
「……いままでは、ひとにまかせきりだったから」
「ああ……あの妙な三人娘」

 お手伝いとしてやとったらしいどうも見覚えがある気のする大中小のへんな連中、ぽわぽわしているあの子たちよりつかえないのか、この方は。むすっとほほをふくらませて不機嫌をアピールする義輝は、将軍としての威厳などはそのへんにほうってしまったらしい。とはいえ、現状でなんとかなっていながらも苦手をちゃんと克服しようとするところは好感がもてた。いちど挫折したことに再挑戦するのは案外体力がいることだ。もうすこしやりかたを考えるべきだったか、と石舟斎はすこし反省した。

(……でも、義輝さまもわるいわ)

 電源すらまともにいれられなかった彼女は、極力わかりやすくしているはずの石舟斎の説明もきくにたえられなかったらしい。唐突にパソコンのまえからたちあがり、なにを思ったかこれまたハイテクなテレビのリモコンを手にとった。そして見事にテレビをつけてみせ、私だってこれの電源のいれかたくらいならわかかるんです!などと奇妙な意地のはりかたをするのだった。それがあんまりかわいかったのだ、そのうえ、でも録画のしかたはわからないのだろうと思いついてしまったのがわるかった。思わず顔がほころんで、しかし残念ながら義輝にはひとを小馬鹿にした笑いかたにしか見えなかったらしい。さらに不幸なことに、義輝の予想外の愛嬌、しかも本人は大真面目にやっているそのしぐさに気をまよわされた石舟斎はそうとも気づけず、失言までかさねてしまう。ついついふと頭をよぎったことばが、口をついてでてしまう。

(義輝さまのような方を、こっちの世界じゃ機械音痴というのだそうです)

 はじめてきくことばながら、まったくもってほめことばではないことは直感で理解したらしい義輝は、完全にやる気をうしない執務室から退散してしまった。しまったと思った石舟斎があわてておいかけると、彼女はいつものように客間のソファのうえでひざをかかえてすねていた。つまりは茶をいれろということだ。やれやれ、と安堵とも呆気ともつかぬ息をついた石舟斎が、すこし休憩しましょう、と特訓は一歩だってすすんでいないことはさておいて提案する。そして冒頭につづく、というわけだ。

「なぜ、私はあんなものもまともにつかえないのでしょう」

 不満の方向が、結局は自分にむいているあたりが彼女らしいと思った。やっとティカップを手にとった義輝は、さめてしまった紅茶をひとくちいただく。いれなおしましょうと進言するが、結構と首をふられる。どうやら冷静になってきたらしい。

「しかたありません、ひとには向き不向きというものがあるものです」
「そうですね、私は機械音痴らしいですしね」
「……」

 とはいえ依然としてことばはとげとげしているのだった。ここはあやまるべきなのか、しかしそうすると先程のことばが悪口だったとみとめてしまうようなものだ。石舟斎にはけなすつもりなどなかった、むしろ、……。それを説明するべきかどうか、すこしまよう。

「そういえば」

 すると、ありがたくもむこうが思いつきで話を少々もどしてくれた。どうしてあなたは、高校で剣をおしえるようになったのですか? たずねられ、そういえば話したことがなかったなと思った。

「たいした理由はありません。こちらにきてはじめてしりあったのが、剣道部で顧問をしている高校の先生だったというだけです。彼女に剣道部のコーチをたのまれたんです」

 思えば、戦国世界で剣の道を説く立場にあった石舟斎が、剣道にいそしむ少年少女を導くべき先生に出会うというのはおもしろい偶然だった。

「そう、パソコンのつかいかたは彼女にならったんです。どうやら私はそういうのに向いているらしくて、案外簡単におぼえられたものだからかわいくないと言われてしまいました」

 ついついなつかしくなって、余計なことを言ってしまってからはっとした。パソコンがあまりに強大な敵である義輝のまえで、難なく攻略できたと告白してしまったのだ。後悔してもおそいとわかりつつ、ちらりと視線をあげてテーブルをはさんだむこう側にすわっている彼女のようすをうかがった。するときょとんとしているので拍子がぬける。

「……それってつまり」

 それからぽつりとつぶやいて、義輝はうつむいてしまった。若干顔が赤い気がした。こんどはこちらがきょとんとしていた石舟斎だったが、そのあたりではっとした。つまりは、先程あかしそびれた本音を、結局とおまわしにつたえてしまったというわけだった。機械が得意ではかわいくないと言うならば、機械音痴はすなわち、……そういうことなのだ。パソコンに恐怖心すらおぼえている義輝を見て、こちらにきてはじめてあった恩人がつまらなそうにかわいくないと言った意味をよく理解できた。まったくそのとおりだ、機械音痴の義輝は、本当に。

「……」

 想定外の展開に気まずい沈黙まであいまって、こちらまではずかしくなる。おたがいに無意味な咳払いまでとびだす始末だ。おまけにむこうはちらりと上目遣いをこちらにむける。あきらかに期待している、明確なことばにしてもらうことを。そうだ、ここでぴしゃりと言ってしまえばまるくおさまる。将軍さまのこういうなんでもされたがるところはむしろ解決の糸口なのだ。そうだ、言ってしまうべきだ。

「そ、そういえば彼女も自分が機械音痴だと言っていました。このことばも彼女におしえてもらったんです。私が簡単に自分よりパソコンをつかいこなせるようになっておもしろくなさそうでした」

 しかし残念ながら、口からでてきたのはまったくどうでもいいことだった。いや、どうでもいいことならばむしろ御の字だった。石舟斎が自分の本日何度目かもわからぬ失言に気づくのは、義輝が乱暴にティカップをテーブルにもどす音をきいてやっとだった。

「……そうですか、その方も機械音痴だったんですか」
「……!」

 なんたることだ! 石舟斎はどんとテーブルを両手でたたいておおあわてでたちあがる。

「ちがう、ちがいます、私がかわいいと思ったのは機械音痴それ自体ではなくて、機械音痴の義輝さまが、義輝さまだからかわいいと思ったんです!」

 その直後、ひろい客間にはまた沈黙がまいおりたのだった。そのときの彼女たちの様相をわざわざ説明する必要はあるまい。いきおいこんであげた腰をしおしおとおろしなおす石舟斎やすっかりさめきった紅茶を無意味にスプーンでかきまぜはじめた義輝の体感温度は、すっかり急上昇していた。

「どうして」

 その場がしずまりかえってからどれだけたったか、動転していた石舟斎には見当もつかなかった。それくらい気まずかった空気をきりくずしてくれたのが義輝で、さらにおどろいた。こういうときは石舟斎がどうにかするのが常だったが、今回ばかりはちがったらしい。それほどに、気になることがあったらしい。どうして、あなたはもとの学校にもどらなかったのですか?

「え?」
「……だって、仕事の紹介をしてくれて、いろいろおしえてくれたひとがいたところでしょう? 例のことでクビになって、それからどうしてわざわざほかの学校につとめることにしたんです?」

 ああ、と思った。どうやら、高校につとめることになった経緯自体が、もう失言だったらしい。ぼそぼそと話す彼女は、なんだか妙なことを考えているようだった。あまりにはずかしいことを言ってしまった石舟斎をまえにすれば、この程度の本音の吐露はやすいものらしい。義輝さまって、案外やきもちやきなんだわ。思いつき、こちらまでてれてしまった。だからこそ、ちゃんとこたえなくてはいけないと思った。つい笑うと、彼女は唇をとがらせた。こんどのこれは、からかう笑いかたじゃない、いとしくてしかたがなくてこぼれてしまった笑みだとちゃんとつたわった。

「たしかに、彼女は恩人ですから。でもだからこそ、例の騒動で迷惑をかけたこの面をさげてもどるわけにはいきませんでした」

 戦国武将を危険きわまりないときめつけたテレビ番組のおかげで、石舟斎は職をおわれるはめになった。その戦国武将と学校の仲立ちをやったかの恩人には、随分たいへんな思いをさせたにちがいない。彼女は最後までかばってくれたが、それがむしろ申しわけなかった。
 しかし皮肉なことに、そのテレビ番組のおかげで石舟斎の顔はそれなりにしられることとなり、再就職先は簡単に見つかった。当初ひろがったわるい印象が爽快な捏造暴露で払拭されると、反動的に彼女たちのイメージはよいほうへむかったのだ。ある意味で、彼女にとってはいい転機だったのかもしれない。

「それにやはり、いろいろな場で、剣の道をゆくひとびとの手助けをしたいと思うのです。私があの学校でできることはすべてやったつもりです。あとはきっと彼女が、……先生がやっていってくれるでしょう」

 おなじくひとを教え導くものに敬意を表した言いかただった。じっと耳をかたむけていた義輝は、こくりとうなずいて、それからすこしうつむいた。

「私は、だめですね。あなたとはむかし、ともに切磋琢磨した仲でした。けれども、そのあとの道はわかれてしまった。あなたとおなじ道をいく、その先生がうらやましい」
「妙なことをおっしゃいますね。義輝さまは剣の道をきわめることでご自分を磨かれた。それこそが、将軍としてあるべき姿でしょう。そしてあなたのまなんだ剣は、あなたを活かしてくれている。私の目指す活人剣を体現してくださっている。これのどこが道を分かちているというのでしょう」

 ただ、こころからの本音を言ったつもりだった。すると義輝は沈黙し、しばらくして唇をとがらせて、てれたようにそっぽをむいた。それをじっと見ていると、ちらりとながれてきた視線と目があう。笑いかけると彼女はすこしむっとしたようだけれど、ちゃんとこちらにむきなおってくれた。そして気がぬけたように、安堵したように口元をゆるめる。

「やはりあなたは、ひとに教えを説くべきひとですね。口がうまいったら」
「それは、ほめことばとうけとってよろしいんですか?」
「もちろんだわ。……むかしからそうだった、私はいつもこどもみたいなことを言って、あなたは反論するふりをしていつも私を納得させてくれていました。あのころは反発ばかりしてわかろうともしなかったけれど、いまならあなたはずっとやさしかったのだと思えます」
「まさか……それはほめすぎです。私は、あなたのまえではいつも、全然言いたいことが言えなくて、余計なことばかり口をついてでてしまう」
「……うそです、そんなの」
「本当よ、……こんな格好のつかないうそ、わざわざつきません」

 自分にあきれかえっていると言わんばかりのしみじみとした口調で言って、石舟斎はやれやれと首をふる。それが本当にどうしようもなさそうだったから、義輝は笑ってしまった。つられるように、石舟斎もくすくす笑った。
 ひとには向き不向きがあるというならば、言いたいことが全然言えない石舟斎もこどもっぽいことばかり言ってしまう義輝も、きっとおたがいと話をするのはむいていないのかもしれない。だからこそ、かつては素直になれなかった、うまくいかなかった。けれど彼女たちは、失敗してしまった関係をちゃんと修復できた。いちど挫折してしまったことに再挑戦するのは案外体力のいることなのだ。彼女たちは、それをのりこえたのだ。

「まあ……とりあえず、パソコンのつづき、やります?」
「……、はい。よろしくおねがいします」

 向かないもの同士、これからは前途多難にちがいない。けれども案外さきがあかるく見えるのは、けっしてかんちがいなどではないだろう。
12.11.01