「きょうはとまっていかれるのでしょう?」
「え……、はあ」

 ずいぶんと脈絡がなかったものだから、気のない返事になってしまった。石舟斎はしまったと思い、あわてて義輝さまさえよければそのつもりですとつけくわえる。この将軍さまはたやすく機嫌をそこねてしまうので大変なのだ。しかしテーブルをはさんだむかいにいる彼女は、いつものとおりのすました顔でティーカップに口をつけているところだった。ほっとしたものの、妙な話でもあった。
 最近なかなか時間があわなかったが、ようやくおたがいの都合がついてひさびさのお茶会とあいなっていた。再会してすぐのころはふたりしてうまくすなおになれずにいたものだが、このごろの義輝は簡単にうれしそうな顔をしてくれるようになった。いらっしゃい、とかわいい声とかわいい笑顔でむかえいれてくれるようになった。石舟斎もとりつくろうことなくすなおな感情をかえしているつもりだが、自分のありのままの表情がわかりにくいことには自覚があるのでちゃんとつたわっているかははなはだ疑問である。ともあれ、このお茶会のはじまりはとてもなごやかで気持ちのいいものだった。

「石舟斎」
「はい」

 しかしながら、どうにも話の方向がおかしくなってしまったのは数分ほどまえのことだ。いまの勤め先である学校からこの屋敷に直行したので、手みやげのひとつも用意できなかった。だからせめてと思い茶うけにどうかとさしだしたものがどうやらまずかったらしい。石舟斎の教え子が調理実習とやらでつくったというカップケーキ。将軍たる彼女に言い方はわるいが素人がつくったものをさしだすのは少々はばかられたが、まるくてちいさいそれはたしかにおいしそうなのだ。よろこんでもらえるだろうと安直にかんがえてしまったのもしかたあるまい、しかし義輝は、まばたきをしてから憮然となってしまった。
 そう、義輝の機嫌はとっくのとうにわるくなっていたのである。だというのに石舟斎の名をよんだ彼女は、そのつぎにはぽんぽんと自分のとなりをたたいた。こちらにこいということだった。そもそも、おこらせたと思っていたのできょうはさっさと帰ったほうがいいかとかんがえていた矢先に冒頭の問いかけがあったのだ。まったくもって、ひとをまどわすのが上手なお方だ。

「……失礼します」

 かしこまってとなりに腰かけると、もっとこっちだと手まねきされる。おいおいと思う。これ以上ちかづくと少々大変なことになってしまうではないか。しかし、義輝のねらいはそれである気がした。結局、逡巡する石舟斎にしびれをきらして義輝のほうから密着してきた。

「おいしそうなお菓子ですね」
「ええ……そうですね」

 彼女の機嫌をそこねたはずのものにたいする思わぬ高評価にすこしおどろく。これ自体が気にいらなかったわけではないようだ。しかし早々にそんな思考は散漫になる。ぱたりと義輝の頭が肩にのせられたのだ。石舟斎はぎくりとしたあと一瞬だけ目をとじる。これはつまり、そういうことか。とまっていけとも言われたし、そういうことだろう。ふと視線をおとせば目があった。それにつられてついつい顔をよせるが、見はからったように彼女はたちあがってしまった。反射的に見あげれば見おろされている。ほほにふれようとのばされていた手はいきばをうしない、空中でしゅんとへこたれる。

「かたづけましょうか」

 それからなにごともなかったかのようにテーブルのうえのティーカップをはこびはじめた義輝に、返事もできなかった。石舟斎はひたいをおさえる。いい年をしてなにをしているのか、ひさびさにあったからといって気をせかしすぎだ。
 ちなみに、台所にふたりでならんで洗いものをしているときにもだいたいそんな感じのことがあった。やたらとくっついてくるから肩をだこうとしたところでひらりとかわされる。完全にもてあそばれていた。まったく、この柳生石舟斎ともあろうものがなんと情けない有様だろう。

「ね、いっしょにお風呂にはいってくださる?」

 きわめつけにこれである。いったいなにをたくらんでいるのか。それともやはり、おこっているのか。石舟斎は、とにかくきょうは冷静であろうと決心した。
 この屋敷にはおおきな浴場があるが、義輝の自室にもユニットバスがそなえつけてあった。当然という顔をして、彼女は石舟斎をそちらに案内する。あれをふたりでつかおうと思うと、密着せざるをえないことは明白だ。石舟斎はしばらく唖然としたあと、ふ、とひとり笑って目頭をおさえた。承知した、ためされてさしあげよう。もうなにがあろうとも、まどわされはしない。

「……石舟斎」

 はずだったのだが。脱衣所で義輝がぬいだ召し物をうけとりたたもうかとしたところで、いいからあなたもぬぎなさいとでも言いたげに彼女はぬいだばかりのものをかごにほうりこむ。そのまま味気なくおたがいの素肌をさらした。その途端だ。義輝は石舟斎の名をよんで、彼女のうなじに両腕をまわしてひく。あらがいようもなく唇がふれあい、やわらかなふたりぶんのふくらみがつぶれる。状況が判断できなかったのはたったの一瞬だった。石舟斎は頭をつかうひまもなく、義輝の腰をだいてひきよせた。

「…っ、ん……」

 ずいぶん性急な自覚はあったが、とまらなかった。さそうようにうすくひらいた唇に舌をさしいれ、途端に感じられるあまいしびれに目のおくがあつくなる。彼女のつめたくてきれいな髪を指先ですくいながら、もう片方の手で腰のあたりの肌をなぜる。おそらく背のびをしているであろう義輝を気づかって身をかがめて、無理をさせずにできるだけながいあいだこうしていられるようにした。

「……義輝さま?」

 ようやく、それでも名残おしさをかくせぬままからだをはなし、ぬれた唇を指でぬぐってやる。彼女はぼんやりと目をうるませて、ものたりなさそうに自分の口元にふれる手に手をかさねる。うふふ、と心底うれしそうに笑う。ああ、本当に。本当にすなおな顔をしてくれるようになった。石舟斎はもういちどだけ唇に唇でふれた。なんだったか、ためされてさしあげるのだったか、まどわされはしないのだったか。そんなことは、まったくもってどうでもよいことだった。

「石舟斎、背中をながしてくださいますか」
「背中だけでよろしいんですか」

 ついつい挑発的なことを言うと、くすくすと笑いながら義輝は石舟斎とむかいあうように椅子に腰かけた。あなたはどこをながしたいの? 結局、本当に挑発されたのはこちらだ。シャワーを手にとり、湯加減を見てから肩から湯をながした。なめらかな肌にしずくがつたう。ほんのりと色づいたほほは、あたたかなそれのせいだけだろうか。石舟斎は早々にボディソープをてのひらにとる。そのあいだもさそわれるままにまるいほほに唇をすべらせ、ときおり舌をおどらせる。

「くすぐったいです」

 こどもみたいな無邪気な声で言いながら、しかし彼女のからだからは色香がにじむ。ぬめったてのひらを肩からすべらせ、まったくじらすようなまねもできぬままやわらかなふくらみにふれる。たったそれだけで、ぴくりと義輝が身をこわばらせた。

「失礼、くすぐったかったですか」

 からかい半分でそう言うが、義輝はそれに反論する余裕もないようだ。あさい息をつき、しきりにまばたきをする。ひそかにつばをのんでちからをこめれば、ぬるりとすべった指先がつんとかたくなったところをかすめる。あ、ともれた声に背筋がぞくりとした。まだふれてもいなかったのにもうこんなにとがっていた。先程から、反応もずいぶん過敏だ。そうかと思う、ひさびさにあうのはなにもこちらばかりではない。つい笑みがこぼれた、先程からさそうようなまねをしながら寸前で身をひるがえしてこちらをからかっていた義輝だが、そうすることで自分自身もじらされていたのだ。かわいい、たまらなくいとおしかった。

「義輝さま」
「っあ、あ、あっ…」

 こらえきれない声が浴室にひびく。いやらしくてしかたがない。ぬるぬるとすべるてのひらが、義輝の予想にはんするうごきをする。両方のふくらみを遠慮なく刺激され、石舟斎の肩にしがみついた指先が肌にくいこむ。

「せきしゅうさい、そこばっかり」
「そうですね、お背中をながしてさしあげるのでした」

 わざと意地悪く言って、両手を背中にすべらせた。ていねいに、ちいさな背中をあわだてる。そうしていると辛抱できなくなったらしい彼女にだきつかれる。わずかでも刺激をもとめるように、義輝は肌と肌をこすりあわせた。すると自然に石舟斎にも快楽の波がおとずれる。背中をながすのもわすれて、だきかえしながら肌と肌でおたがいを味わう。どちらともなく唇もあわさって、もうつながっていないところなんてないんじゃないかと思うほど。

「ん、んっ、あ…」

 それでも、こぼれる声からはせつなげな色が垣間みえる。ものたりないのだろう、もちろんわかっている。それでも石舟斎はじらすようにシャワーをとって、義輝にまみれている白い泡をあらいながす。そして水圧をつよめにしたそれがへそのしたあたりにあたったとき、彼女はおおげさなくらいに肩をゆらす。

「あっ……」

 義輝は、シャワーを直接あてることはあまりこのまないが、下腹部にこうされるのがすきだった。いや、と反射的な拒絶の声とは裏腹に、彼女の声はどんどんおおきくなる。

「義輝さま、足をひらいていただけますか」

 懇願するような声色になってしまった。しかしすでに意識が朦朧としている義輝は、すなおにしたがってくれた。石舟斎は余裕もないまま、そこに指をすべらせる。

「んあっ、は、あっ…」

 ボディソープなんてぬりつけていないはずのそこは、それでもぬるりと簡単に指をのみこもうとする。湯がうえからながれおちてくるのに、そこのぬめりは全然とれそうにない。それどころかどんどんあふれてきて、石舟斎のながい指を一気に二本もくわえこむ。

「や…っ、いきなり」
「いえ、まだものたりないようですよ、義輝さまのここは」

 ひくひくとふるえるそこは、意地のわるい指にかきまわされるまま音をたてる。シャワーの音などではかきけされない。それに高い声もまじって、そのせまい空間は義輝でいっぱいになっていた。くらくらしてしかたがない。もっとしてあげたい。

「義輝さま、ご自分でシャワーをもっていただけますか」
「え……」

 石舟斎の言いたいことが理解できないままの義輝にそれをにぎらせる。そして先程までのように、自分で敏感なところにあてさせた。その意図がわかったころには、義輝のからだは言うことをきかなくなっていた。

「いや、こんな……」
「いやなら、手をはなしてくださってもけっこうです」

 しかし、自分で自分を刺激するようなまねをしいられる義輝の手は、けっしてそれをはなすことはなかった。顔を真っ赤にしながら快楽にながされる彼女に満足して、石舟斎は義輝にくわえこまれた指をふやす。そして目のまえにある色づいたとがりにすいつき、シャワーをわたしたおかげであいた手でもうかたほうのそれをもてあそぶ。せきしゅうさい、と舌たらずな発音がなんども名をよぶ。それに返事をしようにも、石舟斎はあまい果実を味わうことにいそがしい。それがいやなのか、義輝はもっともっといとしいなまえをよんだ。

「せきしゅうさ、あっあ、あん、あ……ーーっ」

 あますところなくかわいがられた義輝は、息をつまらせて全身をこわばらせた。その拍子にすべりおちたシャワーノズルがからんと音をたてたのを合図に、彼女はくてんと脱力した。それをうけとめて、石舟斎はやっと義輝のなまえをよんだ。

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 湯船につかる石舟斎の胸に背をあずけた義輝は、ねむるように目をとじていた。思えばこういうことをしておきながら手をだそうとするとにげだす彼女に翻弄されるはずのさみしい入浴が、ずいぶん充実したものになってしまった。したいならば、最初からからかうようなまねなどしなければよかったのに。そう思いつつも自分に身をまかせるちいさなからだがいとしくなって、腕をまわしてきゅっとだきしめた。

「おこってますか?」

 途端、ずっとしずかだった義輝がつぶやいたので思わず手がはなれた。ぱしゃんと水音がなる。

「私がですか?」
「だって私、意地のわるいことをしてしまいました」

 やはりそういうつもりの行動だったのか。納得したような納得しかねるような気持ちになっていると、だってと義輝が言いわけした。

「だって、あなたの期待してる顔も、それがうらぎられたときの顔もかわいかったんだもの」

 そして弁明しているわりにはとてもたのしげに、義輝はくすくす笑う。

「……私、そんな顔してましたか」
「ふふ」

 もうたまらない、と彼女は手を口元にあてて肩をゆらすくらいに笑っていた。少々唖然としてしまった。だって、自分のありのままの感情表現はどうにもわかりにくいとしんじこんでいたのだ。それとも、義輝にしかわからないような、そんなささいな表情の変化なのだろうか。

「それは、すこし、……はずかしいですね」
「先程まで私がされていたことのほうがはずかしいです」
「……ごもっとも」

 そもそも、おこっているのはむしろそちらのほうではないか。こちらがはずかしいことをさせたうえに、先程の茶会でなにかを失敗してしまったようなのだから。そこまでかんがえたところで、石舟斎はあっと思いあたってしまった。

「……あの、ひょっとして、やきもちとか?」
「え?」

 我ながら脈絡がなさすぎる、と思ったが、義輝はすぐに言いたいことを理解してくれたらしい。ふとだまってから、自分の頭のてっぺんで石舟斎のあごをぐいっとおしあげた。その拍子に彼女の後頭部が壁にぶつかる。けっこういい音がしたので、義輝はころころ笑ってよろこんだ。

「そうかもしれません」
「いや、でもあれは、なにか気持ちがこもっているとかではなく。失敗作だと言ってましたよ、くれた子は」
「ばかね、あなた」

 ずいぶん手のこんだ包装がしてあったちいさなお菓子。調理実習でつくったのだという、失敗作なのだという。義輝には、本当のことなんてここにはないように思われた。それに気づくこともなく、平気な顔でそれを恋人にわたす彼女はおろかだ。

「……ねえ、むかしもいっしょにお風呂にはいりましたね」
「え、……ああ、そんなこともありました」

 うんざりした調子の声に、おかしくなる。その日は義輝からさそった。それというのも、水風呂につかるさまを間近で見るためだ。あやしまれるまえにどんと背中をおして無理やり浴槽にはいらせたときの彼女の悲鳴は、いま思いだしても笑えた。

「ね、私、あのときより成長したかしら」
「は……」

 石舟斎の手をとって、自分の胸にふれさせた。背後でぎょっと息をのむ気配がしてたのしくなった。つぎの瞬間にはその指にちからがはいりかけたので、へんなさわりかたをしたらおこりますと釘をさしてやった。

「せ、成長ですか。はあ、そうですねえ」

 冷静をよそおっているさまがかわいかった。思えばむかしは、彼女のまえで服をぬぐのがどこかはずかしかった。それなのにむこうは全然平気な顔をしているのがなんだかくやしかった。このごろ実感することがおおい。きっと私は、あのときからずっとこのひとに恋をしていたのだわ。だからこそ、彼女が簡単にひそかな気持ちをうけとることがいやだった。それはほんのささいなものかもしれないし、うけとってもらえるだけで満足できるようなかわいらしいものかもしれない。それでも、あわい気持ちはたしかにそこにある。義輝はよくしっているのだ、一見意地がわるくてこわい石舟斎は、本当はとてもやさしくておもいやりがあって、年下の女の子がひかれてしまうのは案外あたりまえのことなのだ。顔もしらぬお菓子のおくりぬしが、むかしの自分とかぶる。

「……ばかなのは私かしら」

 思わずひとりごちた。いまはもう相手をされないこどもではないと、自分自身に証明したかった。だからまどわすようなまねをした、そのたび石舟斎が反応するのがうれしくてたまらなかった。おろかな女だと思う。義輝さま、と耳元でふしぎそうな声がする。なんだか腹がたったから、また頭であごをおしあげてやった。石舟斎に抵抗をする気がないおかげで、さっきとおなじいい音がした。ねえ、石舟斎。あのおいしそうなお菓子は、あなたがたべなくてはいけないのです。

「ところで、いつまでさわってるんです?」

 自分でさわらせておいてわざとそんなつれないことを言って手をはらうと、あなたね、とやっと石舟斎がおこった。あとでわけてほしいとおっしゃっても、もうさしあげたりしませんよ。そうあるべきことをつれなくするつもりで言う彼女は、やっぱりばかだと思う。ばかとばかだから、ちょっとおにあいかもしれない。

「……石舟斎」

 名をよんで身をまかせれば、やさしい両腕がだきしめてくれた。それでも耳元では一気に爆発したらしいきょうの不満をつらつらとならべる声がして、しかしいまの義輝にとってはそれすらも心地よい子守唄のようだ。目をとじてすこし笑うと、まぶたのむこうで石舟斎も笑った気がする。ああ、多幸感。

(ねえ石舟斎、もしあなたが私があげたものもだれかに簡単にあげるようなことがあったら、そのときはきょうの意地悪くらいじゃすまないの。そのことをちゃんと肝に銘じておかないといけませんよ)

 それをちゃんとことばにしてつたえないことも充分意地悪であることに気づかぬまま、義輝はゆっくりとまどろみのなかにおちていった。
14.05.12