これのつづきです




 ふわりとした、ぬくもりだった。シャーロットは奇妙なほどにすっきりとしているからだに違和感を覚えながら、夢のおわりにわだかまる意識がゆっくりと浮上していく感覚によいしれた。朝だ、たぶん、いまはカーテンのすきまから心地よい光のこぼれる朝だった。

「……」

 が、そんないい気分は瞬時にけしとぶ。おせじにも質がいいとは言えないシーツにくるまれていた。それに不釣りあいなこのあたたかな心地よさ、その原因は朝日などではなく、あおむけて寝ているシャーロットの腕にぴたりとくっついているほそいからだだった。

「……!?」

 予期せぬ状況に、思いきり身をおこしたいきおいのままベッドからころげおちてしまった。するとシーツもひっぱられ、シャーロットのからだのうえにふってくる。頭からかぶったそれをはぎとり、床にしりもちをつきながらベッドのうえを凝視する。するとそこには、身をおおうものを唐突にうばわれ、朝のつめたい空気にちぢこまる下着姿の少女。うったおしりのいたみなんてわすれた。

「は? え、あっ?」

 しかもおどろいたことには、シャーロット自身は全裸だったことだ。かっと顔があかくなり、瞬間、ベッドのうえの少女が身じろぎするものだから、こんどは血の気がひいた。反射的に、ひざのうえにおちたシーツをひっぱって素肌をさらす上半身をかくした。

「……あ、やっとおきたんだあ」

 金髪の少女は、そうだ、たしかなまえは、エーリカ・ハルトマン。シャーロットは混乱していたので、彼女のまのびした台詞があとから目をさましたやつのそれではないことをつっこむこともできない。ゆっくり身をおこし、ねむたそうに目をこすってふわあとかわいらしいあくびをしている。それからまたおもたいまぶたをとじかけて、舟をこぎだしたからあせった。

「ちょっ、あの、えっと。あ、あの……」

 なんと話しかけていいものかわからず、要領を得ないことしか言えない。するとエーリカは首をかしげながらシャーロットを見おろし、なんとか意識を覚醒させようとしているのかなんども目をこする。こどものようなしぐさに思わずなごんでしまった。

「シャーリー、三日もねてたんだよ。おきるの、まちくたびれてた」

 しかし、思いがけぬことを言われて再度混乱する。

「み、三日?」
「うん、たぶん…ん? 四日かなあ」

 日数の多少の誤差など瑣末なことだった。自分があまりにながいあいだ意識をうしなっていたことにおどろけばいいのか、おたがいにあられもないすがたでベッドでくっついていたことに色っぽい意味などなかったことに安心すればいいのか。いまのシャーロットは、とりあえずどのような反応をしめせばいいのかわからなかった。

「ね。意識をうしなうまえのこと、おぼえてる?」
「え……」

 いつのまにやらぱっちりと目をあけたエーリカが、まじめな声をだした。シャーロットはぎくりとして、彼女の表情をうかがう。

「……たしか、あたし、…けが、したんだ」

 冷静になった途端、ああやはり夢ではなかったんだな、とおもい現実が胸をおしつぶした。まぶたにやきついた、赤い血、自分の血。てのひらにながれおちたそれはどろどろとぬめって、自分を奈落の底へとひきずりこもうとしているように思われた。唐突に吐き気がきて、口元をおさえる。いやな汗が、背筋をつたった。

「だいじょうぶ、もう、いたくないでしょ」

 シャーロットの気をおちつかせるように、エーリカが言う。シャーロットは顔をあげ、ぽいと脚をなげだしてベッドに腰かけている少女を見た。すっとほそめられた目、すこしだけゆるんだ口元。おとなびた、表情だった。先程眠気とけんかしていたこどもと同一人物だとは思えないほど。

「……」

 一瞬見とれてしまったあと、あわてて右の脇腹をまさぐる。そう、もういたくないのだ、あんなに血がでて、しんでしまうかもしれないと思ったのに、そこには傷跡すらない。もとからけがなんてしていなかったかのように、シャーロットの肌はまっさらだった。

「なん、なんで」
「トゥルーデのおかげ」
「え?」
「ちょっと、ケモノのちからをかりたんだ」

 ね、そんなとこにおっこちてないで、となりすわんなよ。エーリカは、自分のとなりをぽふぽふとたたいた。シャーロットは一瞬まよったが、そうしないと話のつづきをしてくれない気がしておずおずとたちあがる。もちろん、シーツがずりおちないように注意しながら。

「ケモノはね、ヒトなんかとくらべものにならないくらいに自然治癒力がつよいんだ。そのちからを、ちょっとかしてもらうの。そしたら、強力なぶんやっぱりヒトのからだには負担がおおきすぎて、効果は抜群だけど体力をつかいきっちゃう。だから、けがの程度にもよるけど大抵一日くらいは意識が回復しないんだけど」

 エーリカは、まさか三日も寝こまれるとは思わなかったと言った。そっちの世界の人間はだれでもそんなに体力がないのかと真剣におどろかれてしまった。同年代のあいだでならば体力その他の身体能力はかなりうえのほうだと思っていたシャーロットはショックをうけたが、即座にそれもしかたないと思いなおす。根本的に世界の構造がちがうのだ、こちらとあちらでは。

「ね、シャーリーはさ……」

 ふと、しずかな声。エーリカが腕をのばして、ベッドのわきにあるちいさなテーブルにおかれたペンをとる。そこにはメモ帳のような紙のたばや線のつながっていない電話機のようなものがおかれている。ああここは宿泊施設かなにかなのか。いまさら現状を把握したところで、唐突に、のどもとにひやりとした感覚。

「ほんとに、すきだらけだよねえ」

 気づけば、両腕は背中のほうでまとめられ、うしろにまわりこんだエーリカに自由をうばわれていた。しかもびくともしない拘束はたったの片腕でなされているらしく、あいた手は黒いペンをシャーロットの首筋におしあてている。はらり、とシーツがおちた。胸元がさらされる。しかし、そんなことはどうでもよかった。

「は、なん、なんで」
「しってること、全部しゃべって。異世界人ってのも、ひょっとしてうそ?」
「なんだよ、しらない、なんにもしらない。ほんとに、わけわかんなくて、それで、それで……」

 ふるえた声がでる。そのたび、ペンが皮膚にくいこむ。とん、とシャーロットの肩にあごをのせたエーリカの表情は、おそろしいほど無邪気だった。

「ね、わたしさ、ペンつかったしなない程度の拷問のしかたならいくつか本で読んだことあるんだ。でも実践はしたことないから、いきおいあまっちゃうかも……」

 すっと目前に移動したペン先、いつのまにかキャップははずされ、とがったそれがシャーロットの瞳にむけられる。急激に、のどがかわいていく。彼女が、なにを言っているのかわからない。なにを言えばエーリカを満足させられるのか、見当もつかない。

「シャーリーは、アカシなんでしょ。ずっと、さがしてた」

 だからおねがい、しってること、全部話してよ。あまりに暴力的なことをしているのに、少女の声はどこまでも必死だった。シャーロットのことを、アカシときめつけている。そしてそのアカシは、なにか重要なことをしっている存在。冷静になれない頭でなんとか把握できたのは、たったそれだけ。しかし、申し訳なくなるほどに、シャーロットはなにもしらない。このままでは、しらをきっていると思われて相当なことをされるかもしれない。どうしよう、どうしたらいい。ずっとさがしていたなんて言われても、どうしたらいいのかわからない。

(ここでしなれちゃ、こまる)

 ふと、脳裏に記憶がうかび、はっとした。まるでずっとむかしのことに思われる、意識をうしなうまえにきいたことば。あれは、エーリカの声だった。シャーロットの死を、案じているようだった。シャーロットはごくとつばをのみ、なんとか口をひらく。

「……い、いいのか。下手なことしたら、びっくりするくらい簡単にあたしはしぬかもしれない。あたしがどれだけひ弱かは、もうしってんだろ、なあ、あたしにしなれたら、おまえは、こまるんだろ……」

 うらがえってふるえる声で、おどしにかかる。もしこれが失敗におわれば、確実にやられるにちがいなかった。が、いまの彼女には博打にでる以外の手が思いつけない。すっと、沈黙がおちる。シャーロットは目をつむって、審判のときをまった。
 瞬間、ふっと気配がとおのく。思わずにげるようにまえのめりになると、また床にころげおちた。

「……そんな、泣きながらおどされてもねえ」

 がばりとふりむけば、エーリカは先程までのようにベッドに腰かけ、あきれた顔をしながらくるくると指先でペンをまわしてあそんでいた。窮地をしのげたことにほっとして、しかし即座に思いがけぬ指摘におどろいた。思わずほほに手をのばすと、なるほどたしかにぬれている。

「こ、ころされかけたら、だれだってなくだろ…」

 かっこうわるいにもほどがある。シャーロットはてのこうでごしごしと泣き顔をこすって、言いわけをした。しかしエーリカはそんなことには興味がなく、ぽいとペンをなげすててもとのテーブルのうえにもどした。

「ふうん、ほんとになにもしらないんだ。アカシだってことは、まちがいないんだけど」
「そもそも、なんでそんなことになってんだよ。あたしは、ただの迷子だ」
「まいったなあ」

 先程までの異様な雰囲気は完全にけしさり、エーリカはほほをふくらませてすねた顔をする。案外百面相らしい。

「……で、さ。そのアカシって、なに? これも常識なわけ?」
「ううん、たぶん、だれもしらない」

 簡単にいえば、民間伝承というやつだった。ハルトマンの一族に古より代々つたわる、いい加減な夢物語。どこかにある桃源郷、その地へいけばすべての苦難から解放され、のぞむことはすべて現実になる。アカシは、そのばかげたところへいくための道しるべとなる存在、たった、その名だけがつたえられてきた。どんなすがたをしているのか、ものなのかいきものなのかもだれもしらない。たったひとつのアカシのあかしは、橙色の光。
 そのことを言われて、シャーロットは意識をうしなう一瞬まえを思いだす。おそろしいムシが目前にいた、けれど、いきなりつよくてこい橙の光が視界を、いや全身をつつんだ。シャーロットは、ふしぎと冷静に、そうか自分はアカシなのだ、と納得してしまう。異様なことの連続で、感覚が麻痺しているようだった。

「……その口ぶりじゃ、桃源郷なんてしんじてないみたいだけど」

 エーリカのなげやりな説明に、シャーロットはつっこまずにはいられない。すると少女は唇をへの字にしてひざを胸にだいた。

「そんなことないよ、しんじてる」

 彼女の口調は、しんじないとやっていられない、と言いたげだった。ふと、ケモノのことばを思いだす。あるじ以外のヒトと話をしたのは五年ぶりだと言っていた、ひょっとしたらこのふたりは、それだけのあいだ、確証もない伝説をおいかけ世界中を奔走していたのかもしれない。ちいさなこどものころから、ずっと、ふたりきりで。

「ねえ、トゥルーデから、なにきいた?」
「え?」

 唐突に、エーリカがきりだす。シャーロットは彼女がなにを言いたいのか即座には理解できなかったが、じっと見つめられるあいだにはっとした。きっとはじめてふたりにあった日の夜、ケモノによびだされたときの話だ。

「あー…。あのとき、おきてたんだ」
「まあ、あれだけそばで気配がうごけば気づくよ。トゥルーデったら、わたしが気づくってわかっててないしょ話しにいくんだもん。ね、どうせトゥルーデは……」
「あるじ」

 エーリカの台詞が、途中でさえぎられる。しかしシャーロットはまったく声をだしていないので、それは第三者のしわざだった。だがこの部屋にはエーリカとシャーロットのふたりしかいないはず、それでは、いったいだれの……。ちゃっかりエーリカのとなりにすわりなおしていた彼女は、反射的に声のしたほう、すなわち背後を見た。すると。

「……!」

 ケモノが、いた。なんとなくそんな気がしていたとはいえ、先程までなにもなかったはずの空間に、すまし顔で片ひざをつきシーツのうえにひかえるようにしゃがみこまれていては、おどろかざるを得ない。

「あるじ、そいつが目をさましたのなら、さっさと行動にうつったほうがいい」
「んー。そうだねえ」
「ここには、長居しすぎだ」
「じゃあ、朝ごはんたべてから。ここのいっかいの食堂、けっこうおいしかったんだー」
「……わかった」

 目をむいているシャーロットなどかまいもせず、ふたりは会話する。彼女の背後の窓がいつのまにかあけはなたれ、カーテンがかぜにゆれている。なるほどね、窓から登場してくれたわけね。意味もなくかたをすくませていると、ケモノは言いたいことは言ったという顔をしてまた窓のそとへときえた。

「……神出鬼没。なんだよ、いっしょにここにいればいいじゃん。なんでわざわざそとに」
「トゥルーデは、ヒトのつくった建物にはいるのすきじゃないからね」

 言いきられ、思わずだまってしまった。するとエーリカは、やっぱりねという顔をする。

「ケモノとヒトのこと、ちょっとはきいたんだ」
「……ああ。おまえらの旅の目的も、なんとなくは」
「そう……」

 すこしだけ、となりの表情に影がさす。しかしそれは一瞬のことで、彼女はすぐにたちあがった。

「まあ、そういうわけなので。さっさとごはんたべて出発しましょうか」

 そのへんにぬぎすてられていた服と防具をひょいとひろいあげて、さっさと身につけていく。シャーロットはそれをぼんやりとながめていたが、そういえば、たいせつなことをわすれている気がする。即座にはっとした。

「ちょ、ちょっとまった、あたしの服、見あたんないんだけど?」

 そもそも、なぜ服をぬがされていたのか。あらためてシーツをからだにまきつけなおしながら、室内を見わたす。すると、エーリカがああと言った。

「あれねー。すてちゃったんだ」
「は、はあ?」
「だって、血がべっとりだったから。あ、ここ宿屋なんだけど、あんな格好して気うしなってるようなやつとめてくれるとこなんてないの。だから服はすてて、いちおうわたしのマントはかぶせといてあげたから。ったくさあ、シャーリーのことおんぶしてここまでつれてきてあげたんだよ、感謝してよね」

 おもかったよほんとに。わざとらしく肩をたたいてみせて、疲労をアピールする。しかし、それはまったくもって納得のいく説明ではなかった。

「す、すてたって、おまえ、マントかぶせてくれるんなら血はかくれただろ、わざわざ、すてる必要なんてなかっただろ!」
「……。あー」

 さも、いま気づきましたという反応がかえってくる。なんてことだ。

「ふ、ふざけんなよ、ばかかよ」
「だって、服すてようって言ったのトゥルーデだもん。トゥルーデが言うならそうなのかなあって」
「な、な、まさか、あたしの服ぬがしたのって」
「うん。トゥルーデ」

 思わず、やつにむかれる自分を想像してしまう。シャーロットは青い顔になり、無意識に自分のからだをだきしめた。

「……なんか、言いようのない犯され感があるんだけど」
「なにそれ。まあまあ、とりあえずごはんたべたら、服かいにいこうよ」
「はだかで!?」
「マントかしたげるから」
「……」

 全裸にマントって、変質者かよ。シャーロットは反論する気力もうせて、ベッドに背中をおとした。するとからだのうえに、ぽいとマントをなげつけられる。はやくやはく、トゥルーデってせっかちなんだ。シャーロットには、発言権などなかった。ああ、ごはんも、このかっこうでたべなくてはいけないのか。思いついて、肩がおちる。ばさりとあつい布をきこんで、すきまがのぞかないように念入りにとめ具をつけた。

「ねえねえ、トゥルーデはどうせ、シャーリーのことじゃまものあつかいしておいだそうとしたんでしょ」

 すると、耳元でささやく声。気づかぬうちに、エーリカがそばにいた。

「え、なに?」
「さっきの話のつづき」
「……ていうか、なんでそんなちいさい声」
「トゥルーデって耳がいいんだもん」

 そういえば、先程は絶妙なところで会話が邪魔された。そうか、それは、エーリカがケモノにとって余計なことを言おうとしたから。

「それね、きっとわたしが、トゥルーデのためにシャーリーをひきとめたんだって思ったからだと思うんだ。だから、邪険にされたからって、きらわないでね」
「……」
「トゥルーデって、わたししかともだちいないんだ。……わたしも、トゥルーデしかともだちいないんだけどさ」

 彼女は、ケモノだ。ケモノは、ヒトからうとまれている。だから、平気な顔で彼女と話をするようなやつは、シャーロットしかいない。エーリカは、そんな存在を必要と思ったのだ。たとえそのせいで、ケモノの懸念したとおりに旅の効率がわるくなったとしても。

「ね、シャーリー。トゥルーデの、ともだちになってあげてよ」

 すこしだけ笑いながら、少女がおねがいする。けれど返事なんてまたずに、ひらりと身をかえして部屋の出口へとあるいていった。シャーロットは、ことわれるはずもないと思った。それどころか、彼女にとってはもしかしたらもう、ふたりともともだちだった。だから、わざわざ返事なんてしない。すくない荷物をまとめ、ひとりでかかえようとするエーリカから半分ほどうばいとりながら、シャーロットはドアをあけた。ついていこう、最後までつきあおう、これから、どんなに過酷な道がまっていたとしても。

「なあ、あいつはごはんたべないの」
「トゥルーデ? うん、ええっとね、ケモノは、摂食行動をとらない」
「へえ?」
「あと、睡眠をとる必要もないんだって。どっちも、あえていうなら精神統一がいちばんちかい行為なんだって」
「……わけがわからんな」
「ね。わけわかんないよね」

 ふたりして、ともだちをからかうように笑う。シャーロットは、ふみだす脚にぐっとちからをいれる。さんにんの旅のはじまり、これこそが、未知の世界への本当の入口だと、シャーロットは思った。


10.11.21