本を読んでいるときのウーシュの背中は、すこしだけちいさく見えた。
 きまって夕食がすんでお風呂にもはいって、家のなかがひっそりとしはじめるころあいのことだった。ぱちぱちと薪のはぜる音がかすかにひびくなかで、あわくひかる暖炉がぼんやりとその背中を暗闇にうかびあがらせている。椅子にすわって膝かけをしてそのうえにだいすきな本をひらいて、ただ目のまえの火だけをたよりに字の羅列に視線をすべらせているのだ。
 電気をつけたらいいのにね、と提案したことはあったけど、ウーシュはうんとうなずいておきながらわたしの言ったことを実行することはなかった。電気のあかるさほど手元をよく見せてくれない暖炉のまえで、たったそれだけの光のなかで本を読むのが、きっとウーシュはすきなんだ。おかげでウーシュの視力はわたしよりもちょっとだけわるくて、だから眼鏡をかけている。それってきっと、見分けをつけるのにちょうどいい。だけど、目がわるいのってあんまりいいことじゃないなあとも思うのだ。だから、くじけずにまたいつか電気をつけなよと言ってあげようと決心する、ただうんとうなずくばかりの妹を想像しながら。

「ねえねえ」

 返事はないってわかっているくせに、わたしはウーシュのとなりにたってよびかけたり顔をのぞきこんだりしてしまう。おもしろいの、それにはどんなことが書いてあるの。たずねたいことはいっぱいあって、だけどこの子がなあにと返事をしてくれるまでその質問はとっておくことにしている。それはつまり、一生それをきくことはできないということ。だってウーシュったら、わたしのことを無視ばかりするんだ。よっていって話しかけてその表情をながめてみても、あちらからのリアクションは一瞬だけちらりとした横目が流し見てくるくらい。ねえ、邪魔ならね、それっくらい言ってほしいんだ。そしたらわたしはすぐにとなりからいなくなるんだから。でもたったそれだけのことも言ってくれないから、わたしは調子にのってうざったいことばっかりしてしまう。おもしろいの、それにはどんなことが書いてあるの。きょうもたずねられないままわたしはしばらくとなりにしゃがみこんで、暖炉に赤くてらされるほほを見あげていた。
 わたしの本当の目的はといえば、ウーシュを見張ることだった。そうと思いだすころにはウーシュに無視されるのにもあきているから、ぱっと身をはなしてもといた場所、つまりはウーシュの背中がよく見えるソファのほうまであるいていく。それというのも、ウーシュが心配だから。だっていくら暖炉のまえだからといって、もしそんなところでいねむりしちゃったら風邪をひいてしまうかもしれないでしょう? だからそういう事態になったらすぐにおこしてベッドにいこうと肩をたたいてあげられるように、わたしはここでまるくなって待機しているわけ。だいじょうぶ、たしかにここは暖炉からちょっととおくてさむいかもしれないけど、さむがりのあの子とちがってわたしはこれっくらい平気なのです。それにわたしはこうやって、どうしてかちいさく見えるかわいい背中を見ているのがたまらなくすきなんだもの。それはきっと、ウーシュが暖炉のまえで読書するのをだいすきなのとおなじくらい。

「――ねえさま」

 ふと声がして、まぶたをあげるとウーシュがいた。あれ、あげたということはいままでさげていたということで、それはつまり。

「こんなところでねたら、風邪ひいちゃう」

 淡々とした口調がわたしを心配していた。ああしまった、また失敗しちゃったみたい。さっきはかっこうつけたことを言っておきながら、だいたいにおいてさきにいねむりしてしまうのはわたしなのだ。すこしねぼけた目をこすって、無表情で首をかしげているウーシュを見あげた。

「読書はおわった?」
「うん」
「ねむたい?」
「うん」

 じゃあ、ベッドにいこう、いっしょにねようね。きまりがわるいわたしは、いまさら姉ぶってみる。そしたらウーシュは、やっぱりうんとうなずくかわいい妹になってくれるのだ。ひょっとして気をつかっているのかしら。思いついて戦慄する。なんてこと、ねえねえ、たまにはわたしにだっていいところを見せさせてよ。そう思うのに、おこしてもらえたのもうなずいてくれるのもうれしくて、結局わたしはぴょんとソファからたちあがって上機嫌にその手をひくのだ。

「ウーシュはほんとに、暖炉と本がすきだねえ」
「うん」

 思いついたことをぽんと言ってやると、即座に肯定がかえってくる。うんうんだよね、とひとりでうなずいて、すっかりその話は完結。だっていつも話をひろげようとするのはわたしで、ウーシュはうんとううんしか言わないんだ。だからおどろく。だって、でも、とふとつぶやいて、ウーシュがわたしとつないだてのひらにかすかな力をこめてきたんだ。

「……でも、ねえさまがうしろにいるのもすき」

 ちらりと上目づかい。眼鏡のフレームのすきまから、わたしよりすこしだけ世界がぼやけてうつる目がわたしを見ていた。ウーシュって眼鏡がにあうんだ、わたしだっておんなじ顔をしてるんだろうけど、でも、わたしがしたってきっと全然しっくりこないにきまってる。だってウーシュはウーシュで、わたしはわたしだもの。見分けをつけるのにちょうどいいなんて、そんなのなんにもわかってないやつの言うことさ。さっき自分でぼんやりかんがえていたことをなんとなくあざわらってしまうほどにわたしは混乱して、びっくりしていた。だって、だってそんなふうに思っていたなんてしらなかった、邪魔がられてるって、それどころかわたしがいることを意識のはしにもひっかけてないって思ってたんだ。

「わ、わたしだって、ウーシュのこと見てるのすき」

 あせってつっかえて一所懸命告白しかえすと、ウーシュはうつむいてまたてのひらに力をこめた。わたしもがんばってにぎりかえす。ぎゅうぎゅうと指をからめあって、廊下にたちつくす。ひんやりした空気、なのにほっぺはあったかい。どうしちゃったの、急にそんなこと言うなんておかしいよ。さっきのウーシュみたいにうつむきながらちらりと上目でのぞきこむと、ウーシュもおんなじ顔してた。なんだかてれくさいんだ、なんだこれ。えへへってごまかすつもりで笑ったら、ウーシュもひっそり目をほそめて唇のよこをすこしだけうごかした。ぎこちないしぐさ、それって笑ってるの、ねえ、ウーシュってば笑うのがあんまり上手じゃないね、でもそんなところもかわいいな。やっぱり全然ちがうよ、だって鏡のなかの自分の顔を見ていたって、こんなにぽかぽかした気持ちになったことないんだもの。
 ベッドまであるいていくあいだ、ずっとなんだかはずかしかった。ウーシュはどうだったのかな、ねえ、わたしといっしょでねつけるか心配なくらい胸がはずんでいたならうれしいな。

「おもしろかった? きょう読んだ本には、どんなことが書いてあった?」

 びっくりしちゃう、だって一生できないと思っていた質問を、きょうのわたしはできてしまったんだから。

09.04.19 やわらかいよるに