そんなほんねがたつまえの




 ぺりーぬはきれいなかみをしているね。

 それは穏やかな午後のひるだまり。読書をしていたペリーヌの頭の上から、太陽の光のようにそんなやわらかな言葉がふりそそいだ。その声のぬしは陽光をさえぎるようにしてペリーヌのまえにたったから、ペリーヌの手元はかげるはずだったのに顔をあげるとどうしてかひどくまぶしくて。だからペリーヌは逆光でその姿がよくわからない中でも彼女の名前をまちがうことなどなかったのだ。きらきらと輝く太陽みたいな髪は、自分も同じものを持っているはずなのに全く自分のそれよりもよっぽど煌々としてペリーヌにはみえた。

「なにかご用事でしょうか、ハルトマン中尉?」

 こんな時間にあなたが出歩いているなんて、今日は嵐でも来るんですの?
 精一杯のいやみを付け足して、とげさえ隠さずにペリーヌは言ってみる。けれどそれがハルトマンと呼びかけられた彼女に対して何の功も奏さないことぐらい、ペリーヌはそんな自分が苛立たしいくらいに知っているのだった。

 そんなペリーヌを見て、くっく、と。のどのおくを鳴らしてエーリカは笑う。そしてあいかわらずだねえ、なんて答えてペリーヌの先ほどの言葉など歯牙にもかけていないとばかりに微笑むのだ。
 あえて視線を合わせないようにしているのだというのに、エーリカときたらあえて合わせるように腰を落として、それでも足りないとばかりにしゃがみこんで見上げてくる。せっかく、その背にある太陽のおかげでペリーヌは目の前に立つ天才の顔を見ずにすんでいたというのにエーリカときたらそんなことさえお見通しだと言わんばかりにそのかわいらしい顔をペリーヌの前に突き出してくるのだった。かわいいかわいい、と自身に対してさえ臆面もなく賛辞を述べられる彼女はそのとおり、自分の魅力を、それを相手にあらわすとっておきの方法を、ちゃあんと知っている。

「……えらく、ごきげんがよろしいようで」
「えー、そっかなあ。あ、そういうペリーヌはいつもどおりぺったんこだね」
「ううううるさいですわっ!!それは、あなたも同じではありませんの!もう、人の読書中は静かにしていてくださいなっ!!」

 いつものように、つっけんどんに。
 返して手の中の物語に目を戻したかったのにそうしてすぐに挑発されて引き戻されてしまうのだった。けどそれを口にしたところのエーリカはおそらくそんな気など欠片もなく、自身の心の赴くに忠実にそれを口にしたのに違いなく。もちろんのこといまさら物語を追おうとも集中できるはずがなかった。だってそうして無視を決め込んだとしても、むしろそうしてほうっておくほど、どうしてか寄ってくるのがエーリカ・ハルトマンであるのだから。自分のことをかまってくれない相手のあつかいにどうしてかひどくてなれた様子のこの子悪魔は、そんなこんなでペリーヌが一人で優雅に満喫していた昼下がりのこの空間に平然と入り込んできた。それはもう、きもちのわるくなるほど自然に。

(ほんとうに、きもちがわるいわ)

 だっておかしいのだ。ここ数日、エーリカはひどく不機嫌であったではないか。その理由などわかりきっていて、だからこそ部隊はみんなして安心して放置を決め込んでいたわけで。それはいつものごとく如実に表れていたものだからペリーヌは昨日の午後のお茶の時間にリーネと芳佳が『またやってるね』と穏やかに話しているのを同じテーブルでリーネの淹れてくれた悔しいくらいに芳しい紅茶を飲みながら聞いていた。そう、エーリカが不機嫌なのはよくあることで、その原因もまた、おそらくはいつもどおりで。つまりそんなやりとりがあるということは部隊に配属されてまだ日の浅い新人のふたりにとってもすっかり『いつもどおりのこと』として認識されているということなのだった。

 リーネたちがそうと笑ってしまえる理由は、しばらくしたら忘れっぽいエーリカは不機嫌の理由などすっかりわすれて、またいつもどおりの天使のような朗らかな笑みを浮かべつつ食堂のおやつをつまみ食いしていたりするからだった。だってあのふたりときたらそれはもうおいしいおやつを目の前にしたらすぐに吹き飛んでいってしまうくらい些細なことで、かといって人にふれまわることはできないくらいはずかしいことで、いつもいつもいさかいを起こすのだから。部屋が片付いていないこと、たべものを散らかすこと、くちうるさすぎること、こまかすぎること。

(……なんでかしら、この胸騒ぎ)

 けれどこの不思議な心地のわるさは、今のエーリカの行動のみに起因するのではないことにペリーヌはいつしか気づいていた。どこか心のどこかがくすぶって、空気が通り抜けるたびに何かが引っかかっていく。なぜそんなことを思うのかはわからないけれど、なんとなくこの状況はひどく不自然な気がしてならなかった。

(なにか、わるいことが起こりそう)

 先ほどの自分の言葉ではないが、まさに『嵐が来る』かのような。そんな根拠もない予想が頭の中をかすめていく。何かが間違っている。どこかがいつもと違う。でも、いったいそれは何であろう。わからない苛立ちをごまかすようにまた、意味もなくひとつページをめくりあげた。するとあらわれた新しいページにはまるで影絵のような、挿絵が描かれていて。髪の長いおひめさまに、髪の短いおうじさまが手を伸ばしている図がペリーヌの視界に飛び込んでくる。髪の長さだけでそれとわかるのは世の中のお姫様はみな長い髪をしていてしかるべきであるからで。かく言うペリーヌだって、幼いころはそんな理由で髪を伸ばして、『お姫様のようね』とささやいてくれる祖母の言葉に顔をほころばせていたっけ。

「ペリーヌのかみ、ふわふわ。きれいだね」
「……今日のあなた、少々、いいえ、ものすごく、おかしくありませんこと?」
「わたしはいつもどおりだってばあ」

 談話室にある数少ない、一人がけのソファにわざわざ無理やり入り込んでくるエーリカを軽くにらみつけてやったら、その目が合った瞬間にそんなことをささやかれた。同じいろをした金色が目の前でかすかに揺れて、異なったいろをしたひとみがやさしくペリーヌの髪を、頬を、線で優しくなでていく。
 ふわふわで、ながくって、とってもきれい。つぎつぎと重ねられていく歯の浮くような褒め言葉に、日の光から感じる熱とは別のものでペリーヌの顔が熱くなっていく。みずからのことをほめるのがとてもとくいなエーリカは、もちろんほかの誰かを褒めるのだってとてもとてもとくいだった。……そのことにエーリカが気づいているかまではペリーヌもしらない。けれど、意識してやっているのなら相当の悪魔だわ、とも思う。

 じい、と真剣な瞳で見つめられて、血液がどんどん頭の上のほうに昇っていく。だってエーリカときたら『わたしってだまってればもっとかわいいよね』なんて本人が言うくらい、本当にかわいらしい顔立ちをしているのだ。できることならペリーヌだって物語のほうに目を戻したくて仕方がなかったけれど、こんなにも、捕らえるがごとく注視されてははずせようもなく。
 かち、こち、と。こま切れに刻まれていく針の音ともに、時間だけがただひたすらすぎていく。蒼く蒼く澄んだその瞳はもしかしたら宝石なのではないか。その輝きにいよいよ魅せられてそんなことを頭のかたすみで考え始めたとき「ねえ、」と、ようやっとエーリカが次の言葉を吐いた。

「……ねえ、私も髪を伸ばしたら、ペリーヌみたくきれいかな。」

 それは逡巡を経て、こわごわと。
 らしくない弱い声で発せられた。そこでペリーヌはああ、これがどうやら本題であるらしいと思い当たる。視線を落として、それほど長くはない自らの髪のひとふさを手にとって、そしてまたペリーヌの長い髪を見やって。

「……──そんなの」

 そんな、簡単だけどひどく難しい問いかけばかりを残して再び黙りこくってしまった、妙なくらいのエーリカの言動がひどくむずがゆかったから、ペリーヌは自ら重苦しくてたまらない口を開いてその空気を壊してやるしかなかった。らしくない。本当にらしくない。のどの奥でだけつぶやいて音には出さない。だってエーリカは天才なのに。何もしなくても、その手をひょいと伸べてみれば世界のすべてが差し出されるような、そんなとびきりの存在のはずなのに。
 だから彼女が不機嫌になるのはそれは世界が悪いからで、彼女が天使のように微笑んでいる状態こそが、世界が正常である証拠であるといっても過言でないくらいで。──それくらい、彼女は世界そのものに愛されているようにペリーヌには思えていた。当然愛されるべき存在なのであろうと。そうとでも思わないとうらやましくて憎たらしくて、やっていけなかったのかもしれないけれど。

「そんなの、やってみないとわからないことですわ。……のばしてみたら、わかることです。」

 だから、エーリカは平気な顔をして「わたしはかわいいの」などとのたまう。人の読書なんて堂々と邪魔をして、人の座っているソファにだって平然と座り込んで、人の心の中でさえ当たり前のごとくお菓子をほおばって、食べ散らかしたあまいあまいかすを掃除もせずにおいていくのだ。エーリカ・ハルトマンというのはそういうやつなのだ。それなのに。

(そうしたら、あのろくでもないあのひとだってひとことくらい「かわいい」といってくれるでしょうね。お望みどおりに)

 いやみったらしく付け足そうとした捨て台詞を、すんでのところで飲み込む。その途端、胸にひっかかっていた小骨のようなこのここち悪さの原因にようやっときづいて、ペリーヌはまた顔をしかめてしまった。
 そうだ、こんなにもエーリカが上機嫌だというのにゲルトルートがここにいないのがおかしいのだ。ちっぽけなことでしょっちゅういさかいを起こしているはずの二人なのに、ふたりはいつだって一緒なのだから。けんかをしたってそれはその二人の物理的な距離がほんの数メートル開けるくらいで、二人の精神的なつながりにはなんら弊害はないはずで。
 なにより、不機嫌を脱してようやっと上機嫌になったエーリカを、ゲルトルートがそのそばでひどくほっとしたような、それでいてしあわせそうな顔で見ていることをペリーヌは知っていたから。だから、ここにゲルトルートがいないことをペリーヌはひどく不自然に思ってしまうのだった。だってそれは、ゲルトルートが見ていないところで、エーリカが一人勝手に機嫌を取り戻したということなのだから。お互いについて知らないことはないとまで思われるほどのふたりに、お互いの見えないところでそんなことがあるとは到底思えない。そのくらい、二人はいつだってなかよしだった。

 顔をしかめたペリーヌに、けれども今のエーリカは気づけていないようだった。いつもはそんな表情の機微にだってエーリカはちゃあんと気づいて、その上でにこやかに笑うのだというのに、自分の明るい色をした髪をつまんでじいと見ているエーリカはそんな余裕もないようなのだ。
 下手なことをしたら、ぜったいにこじれるのに。なにかの思案に夢中になっている傍らの人にそういってやりたい気持ちになる。それはやさしさではなく、むしろその逆の感情をもって。どこの誰が余計な口出しをしたのかまではわからないけれど、こういったときは下手に手を出すと逆に面倒になるのだ。むしろ自分にまで飛び火して、やけどしてしまうような事態になりかねないから。
 いつもは何だって上手くやるエーリカがたった一つだけ上手にできない、むしろ情けないくらいの不器用ささえ露呈することがある。それがこの、ゲルトルートについてのことなのだ。おたがいがおたがいをとてもとても大切にしていながらもまったく進展を見せる兆しのない、不器用の過ぎるふたり。それは季の節ごとに彩りを変えながらも毎年同じようにめぐってゆく季節とどことなく似ている。けんかをして言い争うことさえ、彼女らにとって無自覚の予定調和なのだろう。それでもこじれそうになったのならそこにはミーナという保険がちゃんとあって、そうしてもどかしいくらいに不器用なあのふたりはそれでもなんとか歩いている。それはペリーヌだけではなくて、みんながしっていることだった。

「……のばせば、かわるかなあ」
「そんなこと、保証できませんわ」

 ふだんから丸いのにいつにもましてやわらかい、その言葉はきっとエーリカの甘えであったのだろうけれども。
 伸ばされているかのようなそれを取ってはいけないのだと、ペリーヌはなんとなくしっていた。だってペリーヌがそんな言葉をかけたところで、きっとエーリカは満足しないであろうと思ったから。エーリカはいろんな人にとても優しくするのがとても上手だし、とても上手にいろんな人に甘えるけれど、実際問題欲しているのはそうして上手く投げかけられたやさしさや甘えに、これまた上手に同じものを返してくれるひとではないのだから。むしろそれをうまくできないようなひとにそれを求めている。それはペリーヌの知るかぎりたった一人で、もしかしたらほかにもいるのかもしれないけれど、それ以上はペリーヌのあずかり知るところではなかった。

「…そういうことは、ミーナ中佐にでも聞けば……」

 それでも、つっけんどんな自分にさえ臆することなく接してくれるこの同僚に精一杯の親愛をもって。ペリーヌは自身の思いつく、もっとも最良の選択肢をエーリカに差し出す。そうしてこの、きもちのわるい状態である彼女から逃れたかった。だってとにかくここでペリーヌが突っぱねれば、どうせあとはミーナが引き受けてくれるのだから。そうすればたいていのことは丸く収まると決まっているのだから。
 そう思ってそれを口にした。…けれど。

「……あ、ありえませんわ…」

 その試みはいともあっさり無碍にされることと相成ったのであった。というのも、眠るのが大好きな短髪のお姫様は、一人がけのせまくるしいソファーの上で、ペリーヌにぴったりとくっついてすでに眠りの中だったから。その髪をひとふさつかんで、口付けるようなそのていで。

(ペリーヌは、きれいな髪をしているね)

 ささやくようにいわれたその褒め言葉が、不意に胸によみがえってくる。あどけない眠り顔は天使そのものでこんなにもかわいらしいというのに、このエーリカ・ハルトマンときたらそれと全く同じ顔でこんなにも凶悪なせりふを平然とはくのだ。ペリーヌはエーリカに優しくなどしないし、むしろ彼女のあふれんばかりの才能を妬んでやまないからそれはたぶんお世辞も何もない、エーリカの心からの感想で。だからそれを口にすることで相手にどう思ってほしいとも考えていなくて。そうして人の心ばかりを引っかきまわすくせに、本当に振り向いてほしい人に対しては手さえ伸ばせずに戸惑ったりして。

 ああもう、だれかなんとかして。ペリーヌは誰とも言わず乞う。

 こんなにもかわいらしいひとに、だれかが本気になってしまうまえに。

 とりあえずはこの談話室に、誰かが入ってくるまえに。

 エーリカとともにゲルトルートの罵声を浴びて、それによってまた不機嫌になったエーリカの傍らにいるのはまっぴらごめんなのだ。だってそのエーリカの不機嫌は全くの見当違いで、ゲルトルートの振りかざす怒りはエーリカに向けられている振りをして、ゲルトルートが自分のものだと盲目的に信じてやまないその場所を奪い取っているペリーヌにつきつけられていることは間違いないのだから。

 ねがうのならこのおひめさま役よりも長い髪をしていて、そのくせぶきようでかっこわるくてへたれた、彼女にとってだけのおうじさまであればよかったのだけれど、ペリーヌが最後に見たお茶の時間のゲルトルートは困り果てたようにエーリカの顔色をうかがうまるでだめなろくでなしのそれであったから、どうせ無理なのだろうなあと嘆息するしかない。
 息をついたその瞬間片手で支えていた物語がぽろりとこぼれたけれど、一向に目を覚ます気配のない眠り姫のおかげで拾い上げることすらかなわないのだった。



むかし某所に本音と建前という無駄にながい連載物をなげていたことがありまして、それの幕間劇的なものをむろ神さまが書いてくださいました!!
お許しいただいたのでさっそく掲載!!
そもそも本立て自体むろさんのネタを私がぱくりまくった結果というあれなんですが…
本当にむろさんありがとうございます!! 毎度毎度本編よりハイクオリティなものを書いていただけて私はもう首つるしかないような気がします!!

むろさんのおうち