「いてっ」
ルッキーニがシャーロットの部屋の本棚をあさっていると、背後で声がした。そこにはベッドがあるはずで、そのうえでシャーロットがよくわからないちいさな機械をいじっているはずだ。だからルッキーニはきょうは相手にしてもらえず、仕方なくおもしろくもない本棚を見学していたのだ。事態の変化にわくわくして、ルッキーニは勢いよくふりかえる。するとシャーロットは、じっと自分の左の人さし指をながめていた。
「どったの?」
ぱたぱたと近づくと、シャーロットがそれがなあと指先を示した。するとそこには、真っ赤な色がついている。
「血だ」
「んー。ちょっとこいつでひっかいちゃって」
今度は右手にもったよくわからない機械を見せてくれる。よく見ればとがった部分があって、どうやらここに皮膚をけずられてしまったらしい。
「シャーリー、いたい?」
「まあちょっとはね」
でもまあこんなもんは。そう言いかけたところで、ルッキーニに手をとられる。なんだろう、とシャーロットが思っていると、ルッキーニはおもむろにそれを口にふくんだ。あれ、なんだ、いま自分でしようとしたことをなぜかやってもらえた。やわらかい舌が、指のはらをなであげた。
「ル、ルッキーニ?」
裏返る声で言ったら、ルッキーニがひとまずそれを口から解放する。
「少佐がなめとけばなおるってまえに言ってたよ」
「え、あ、少佐? ああ、少佐ね。少佐が言ってたんじゃ仕方がないな」
「うえ、でも血っておいしくない」
ルッキーニは舌をだして眉をよせたが、またシャーロットの指を口にふくんだ。どうやら本気で治療行為をしているつもりらしい。確かにこれはきくかきかないかで言えば一応効果のある方法だと思うが、しかしなんだこの背徳感は。シャーロットは目下で自分の指を丁寧になめるこどもがとても危険なものに見えた。
(いや…しかし、これはなかなか……)
一生懸命な舌のうごきが指先につたわり、よこしまな思いがわいてきた。このまま無理矢理指を奥までおしこんでかきまわしてしまいたい衝動をなんとかおさえながら、シャーロットはごくりとつばをのむ。そのとき。
「すまない、ちょっといいか。なんだか時計の調子がわるいみたいで……」
ノックもなしに部屋のドアがあく。そうすればもちろん訪問者があらわれるわけで、シャーロットは反射的に入り口のほうを見、そしてかたまる。
「……バ」
「あ、ひゃいいら」
訪問者、バルクホルンもまたかたまった。そのなかで、指をくわえたままのルッキーニだけがたのしげだった。
金縛りにかかってしまったふたりの大尉のうちでさきに我にかえったのはバルクホルンだった。いまだ呆けるシャーロットをぎんとにらんでからつかつかとふたりに歩みより、そして手に持っていた時計を思いきりふりさげた。がつん、と鈍い音がひびく。かたいそれとシャーロットの頭の天辺とが、まんまと見事に接触したのだった。
「いたい!」
「うるさい、ばか! こんなこどもになにをやらせているんだ!」
「な、なにって……」
もちろん、ただの傷の手当だ。そんな言い訳はしっかりと用意されているのにシャーロットは口ごもる。なんてったって、さきほどまで自分がいったいどんな表情をしていたか見当もつかないのだ。ひょっとしたら相当の、目も当てられないようなだらしない顔をしていたのではなかろうか。
「ルッキーニ少尉、いつまでもそんなきたないものをくわえていなくてもいい、この変態は私がちゃんと制裁しておくから」
バルクホルンはルッキーニが両手で口もとにもってきていたシャーロットの左手をつかんで口からひきぬく。ルッキーニはふしぎ顔だ。いったいどうしてバルクホルンはおこっていて、シャーロットはなぐられたのだろう。
「へ、変態? 変態だって?」
「なにかまちがっているか?」
「誤解だって、いい加減にしてよ。いまのはだから……」
「ふん、どうやら私たちももうおわりのようだな」
「は? なんだよそれ、あんたすぐにそういうこと言うんだ。器がちいさいったらないね」
「なんだと!?」
「なんだよ!」
「ねえねえ」
徐々に熱をましていった言いあいがはっととまる。それからふたりは間から呼びかけてきた首をかしげるルッキーニを反射的に見た。
「おわりって、なにがおわるの?」
とにかくよくわからないことだらけだった。すでに述べたバルクホルンのおこっている理由とシャーロットがなぐられた理由。さらにはふたりのけんかの理由。その内容だって皆目見当もつけようのない意味不明なものだった。それでもけんかの観戦をしているのはそれなりにおもしろかったが、疑問のほうがつよい。ルッキーニは首をかしげて答えをまつが、ふたりはなにやら汗をたらして向こうをむいてしまった。そしてルッキーニにきこえないように声をひそめる。
「……おい、ごまかせ。全力で!」
「なんであたしなんだよ」
「もとはと言えばなあ、きさまがあんな変態的な行為をあんなこどもにさせているのがわるいんだ」
「だからそれはちがうって言ってるじゃないか! そもそも失言したのはそっちだろ、あんたこそどうにかしてよ」
「だから失言する羽目になったのがきさまのせいだと言っている。この変態がっ」
「あ、また変態って言った。だったらこっちも言わせてもらうけどな、あんただって宮藤見てるときの顔は相当なもんだよ。ええ? あたしのことだってあんなふうに見たことないくせに」
「み、宮藤? なんでいま宮藤がでてくるんだ!」
「あんただって変態だって言ってんだよ!」
「ねー! あたしのこと無視すーんーなー!」
顔をよせて小声で大げんかをしていた上官ふたりに、まちきれなくなったルッキーニがタックルをかます。バルクホルンはぐえと言ってベッドにたおれこんでしまったがルッキーニの不意打ちにはなれているシャーロットはそのからだを上手にキャッチし、それからさきほどの指先をぐっとつきだした。
「ルッキーニ、なあ、さっきのはあたしが怪我しちゃったからなめてくれただけだよな、しかも自主的に。あたしがしてくれとはひとっ言だって言っちゃいない。そうだろ?」
ルッキーニはシャーロットにのしかかりながら首をかしげて、だけどすぐに思いだしたようにうなずく。
「うん! シャーリーがドジだから血がでちゃって、だからあたしが治してあげたの」
「なーそうだよなー。ほらな、見たことか。あんたのかん違いなんだよ」
勝ち誇った声をあげてとなりでベッドに突っ伏するバルクホルンを見たが、彼女はルッキーニの当たりどころがわるかったのかうごかない。
「げ、ちょっとだいじょうぶかよ、まぬけだな」
「ル、ルッキーニ少尉、…やるじゃないか……」
「ねーそんなことよりさあ、さっきなんの話してたの?」
「……」
がばりとバルクホルンがからだをおこしてシャーロットの胸倉をつかむ。おい、全然ごまかせないじゃないか、と必死な目がにらんでいる。
「こっちがわざわざのびたふりまでしてやったのに」
「あ、ふりだったの今の。ほんとにい?」
「本当だ!」
耳元で大声をだされてシャーロットは顔をしかめたが、普段から機嫌のわるいバルクホルンがこれ以上不機嫌になってもいいことなんてないのでそろそろ遊ぶのもやめることにする。自分をつかむ手をひょいとはらってルッキーニにむきあった。
「ルッキーニ、おまえのおかげで血がとまったよ、ありがとう。そんでさ、このまんまじゃ傷がひらいちゃうかもしれないだろ」
きょとんとするルッキーニに指で示しながら説明する。だからさ、医務室から絆創膏とってきてくれないか。
「ばんそうこう?」
「おう、おつかいな」
「おつかい!」
ぴょん、ととびはねるように立ちあがって、ルッキーニは自信満々にかけだす。のせるのがうまいものだ、とバルクホルンが感心していると、ドアから顔をだし手をふって見送っていたシャーロットが突然いきおいよくドアをしめてさらには鍵まできっちりかけてしまってぎょっとした。思わずまばたきをしていると、シャーロットは一仕事おえた顔で息をつく。
「……さ、最悪だなおまえ」
「なんだよ、あんたがごまかせって言ったんだろ。ルッキーニのことだ、あしたにはさっきのことなんて忘れてるさ」
ベッドにこしかけてあきれた視線をなげてくるバルクホルンにちかづき、そのとなりに座った。ぎしとベッドがなって、ひょいと彼女の手のなかのものをとりあげる。
「ノックしないんだもんな、あんた」
「ふん、いちいち無礼なきさまにおなじ思いをさせてやろうと思ってな」
シャーロットこそ、バルクホルンの部屋におとずれる際にノックを省くことがふつうになっていた。べつに急にはいられてこまるような後ろめたいことはないと断言できるが、それでも気分はわるいのだ。
「しかも、あんなことをしているし」
「あのね、きいてただろさっきの。ルッキーニのやさしさじゃないか、あれは」
「そのわりにはたのしそうだったがね」
「なんだよ、嫉妬?」
「くだらない」
シャーロットが手のなかの、バルクホルンの持参したまるい置時計を目の高さにもってきて観察する。それからベッドのうえにころがっていたドライバーをにぎった。
「あ、へこんでるよここ」
「おまえの頭がかたすぎるんだ」
「あーそうだ、なぐられたんださっき。こぶになったらどうしてくれる」
「しらんね。ふん、火のないところに煙はたたないそうだよ、イェーガー大尉」
嫌味たらしい呼び名に閉口する。なんだよやっぱり妬いてるんじゃないか。そっけない横顔にため息をついて、手をとめる。時計は中途半端に分解されたまま放置された。
「あんたのしかめっ面は見飽きちゃった」
それからシャーロットは、ついとバルクホルンの胸元のリボンをひいた。ぎょっとした目がとなりを見るが、抵抗はしない。
「ここでするのは気分がのらない」
「なんでだよ」
「こんなちらかったベッドのうえじゃあ集中できそうにもないと言っている」
バルクホルンが口だけで拒否するが、シャーロットは意にも介さず作業をつづけた。ボタンをはずして、それからバルクホルンのふたつに結わえられた髪を解く。意外と繊細な真っ直ぐな流れ。後頭部の上から下へと指をとおすと、バルクホルンははあとため息をつく。それからベッドのうえにほうりなげられている工具をわきによせて、気休め程度の片づけをした。
「ねえ、あたしもぬがして」
「元気だよ、おまえは……」
バルクホルンの手がシャーロットのネクタイにかかる。慣れたうごきがそれを解き、几帳面な指がさきほどのシャーロットとおなじ動作をする。丁寧にボタンをはずしているあいだ、自分のまえもすっかりとはだけていく。こいつはぬがされるのがすきなんだよなあ、とバルクホルンはぼんやりと考える。そのわりにひとの服をひっぺがすのもきらいじゃないらしく、いつもまずはじめに省略できない儀式のようにふたりしてお互いの服に手をかける。バルクホルンはこの時間がすこし苦手だ、てれくさいじゃないか、とだれにでもなく言いわけした。
「……指、だいじょうぶなのか」
「え、ああうん。ただのかすり傷だから。心配しなくても全然つかえますって」
「ばか、そういうことを言ってるんじゃない」
「わーってるよ。むしろ、あんたになぐられたとこのほうが重症」
すっとシャーロットの左手がバルクホルンのあごをとる。そのまま指が一本のびてきて、ぴたりと唇にふれた。
「……ね、心配ならなめて」
「……」
人さし指が、バルクホルンの唇を乱暴になぜる。こじ開けるつもりだということは容易に見当がつく。だがすなおに言うことを聞くのも癪だと思い歯をくいしばった。しかしそんな反応なんて、シャーロットにとっては想定のど真ん中だ。あいた手を、白い肌の、心臓のそばにはわせた。首元から胸元にかけて、何度も何度も丁寧にくすぐるように、てのひらをすべらせる。じらすうごきで敏感なところにはまだふれずに、目を合わせたまま肌を指で蹂躙した。絶対に言わないが、バルクホルンの肌はくせになるんだ、とシャーロットは思っていた。
しつこくなでつづけるそのうちに観念したのか、バルクホルンはそっとシャーロットのうなじにてのひらをのばし、這わせる。オレンジの髪がゆびさきにからんで心地よく、仕方がないな、という顔をつくってシャーロットの傷ついた指をたべた。ん、とシャーロットは声をあげ、それから親指と中指でその両ほほを固定して指を奥まですすめる。舌をなでて歯をなぞり、バルクホルンが少々苦しそうな顔をしても気にしない。
「あんた、これでルッキーニと間接キスしたってことになる。妬けるなあ」
「……、どっちにだ?」
指を舌のうえにおきながら、バルクホルンが器用に発音する。妙なことを聞く、決まっているのをわかっていて言わせたいんだろうか。シャーロットはくっと笑ってから、あんたと間接キスしたルッキーニにだよ、とまじめな顔でささやく。どうだいこの素敵な口説き文句。シャーロットは内心ふふんと笑った。途端、指先に激痛がはしる。
「……っ」
声にならないさけびをあげて、あわててバルクホルンから手をはなした。じんじんとする傷口、そこには歯形とやぶれた皮膚と、赤い血があった。
「な、なにするんだよっ」
「いやなに、急にいらっとしたものだから。しかし、あれだな。ひとの肉をかむってのは、最悪の感触だ」
気分がわるくて仕方がない、という顔でバルクホルンが眉をよせる。なんともおもしろい言い分じゃないか。シャーロットはバルクホルンの肩をおしてベッドに背中をおとさせた。そのまま横からのしかかり、傷口がまたひらいてしまった指をバルクホルンの心臓のうえにおしつける。すっとひき、するとバルクホルンの胸元には縦一文字のかすれた赤の印ができる。
「これで、あんたはあたしのもん、ってことで。どう?」
「悪趣味だな」
「そんなの、あんたとこんなことするようになった時点でわかりきってたことさ」
シャーロットの手が、やっと胸の突起にふれた。急なうえに奔放なうごきでせめられて、バルクホルンは思わず唇をひきしめた。それでものどの奥からもれる声は消せない。ごまかすように、自分を見下げる人物の首に両腕をまわしてひきよせ、唇をふさぐ。そのまま問答無用で舌先でとじたそれをこじ開けて侵入した。
「ん……、は、はあ……」
どちらともなく声がもれる。シャーロットのてのひらはバルクホルンのふくらみにすいついたまま、それでも舌のほうも抜け目がない。からめとろうとしてくるうごきをさらにからめとり、主導権をにぎる。バルクホルンは早々にあきらめて、シャーロットのうごきにあわせた。
「はっ……」
やっと解放されたころには、バルクホルンは肩で息をしていた。あんたってキスがすきだよね、と自身も息を切らしながらもシャーロットは夢中になっていた目下の人物をからかった。するとバルクホルンはすこしだけむっとして、それから服に手を侵入させる。じつはお互いまだまえを解放しただけで、軍服のそでには腕がとおったままだった。本当のことを言ってしまうと、バルクホルンはすべてをぬいでしまうよりは、こうやって中半端に着衣したまま行為におよぶほうが興奮の度合が高かった。まあそんなことは、死んでもこのお気楽者には言いたくない。それをネタに散々とあそばれることは目に見えているのだ。
すばやく服のなかで背中まで手をまわして、それから一本の指でつうと背筋をなぞった。
「あっ」
シャーロットは、背筋がなかなか敏感だった。高い声をあげて目をとじる。ぎくりとした。色っぽい表情。自分の真上のそのようすにバルクホルンはかっとはずかしくなり、かくすつもりでさきほどのようにシャーロットの顔をひきよせる。しかし今度は、唇ではなく彼女の耳たぶにかみついた。
「あ…や、……はあっ…」
背筋に爪をたてるのをやすめないまま、片方の耳も舌で侵した。シャーロットがここがすきだと知ってからなんども舌をはわせたから、形も感触も熟知している。舌のはらをつかって全体をなめあげ、さきを細くして形をなぞりくぼみのなかまで犯していく。シャーロットは遠慮なく喘いだ。それを聞くたびにバルクホルンの体温はあがっていく。こうやって自分が感じていることを隠そうともしない声に、せめているはずのこちらが辱められて犯されているような気分になる。さらにはシャーロットはいつのまにか両手をつかってバルクホルンの両胸をかわいがっていたし、まるで気がくるうかと思った。それはシャーロットもおなじらしい。無我夢中でお互いをもとめた。
「や…あ、シャ、リ、んあっ……」
「あ、はあ……バルク、ホル…っあ」
無意識のうちに、ひざをお互いの下腹部におさえつけていた。からみあって、もうにげられそうにない。ゆっくりと、まるで息を合わせたように、ふたりは相手のそこへと指をのばしていった。
「あれー?」
ルッキーニがシャーロットの部屋のドアノブをにぎる。しかしそれはまわらない。鍵がかかってる、とルッキーニは首をかしげた。
「あら、どうしたのルッキーニさん」
「あ、中佐だー」
ぱっと笑って、ルッキーニは背後から声をかけてきたミーナにむかいあう。それから絆創膏を見せつけた。おつかいがちゃんとできたという証拠の品だ。
「シャーリーがけがしたから、ばんそうこうとどけてあげようと思ったのに、鍵かかってるの。バルクホルン大尉もいっしょにいるはずなのに」
かがんで目線をあわせながらふむふむと頷きながら聞いていたが、ミーナは最後のほうででてきたなまえにはっとする。それから鍵のかかったドアを見つめて、さっとほほをそめた。
「……ルッキーニさん、だいじょうぶ。ちょっとした怪我なら、なめておけば治るの。なめておけば……」
口もとに手を当てながら目をふせたミーナをふしぎに思いながら、聞き覚えのある台詞にルッキーニはうれしくなる。
「しってる! 少佐も言ってたよ」
「え、美緒、美緒も?」
ふせていた視線をぱっとあげて、それから数秒思案顔をつくったあとミーナがたちあがる。
「そう、美緒も言ってたの……。さ、ルッキーニさん、こんなところにいてもどうせまだまだ鍵はあかないんだからいきましょう」
なんでわかんの?そう言いたげなルッキーニの手をとって、ミーナはあるきだす。
「あ、そうだ。ねえねえ、バルクホルン大尉が私たちおわりだなってシャーリーに言ってたの。あのふたりになにがはじまってたのか中佐しってるー?」
「そうねえ……」
ルッキーニの好奇心を話半分に聞き流しながらミーナは手をひいた。なにせいまの彼女の頭のなかには、美緒のまえでいかにさりげなくちょっとした怪我をするかのシュミレートがくりかえしおこなわれていたのだから。
08.10.26 しらない関係
自分で書いといてなんだけどシャーゲルはつきあってないほうがもえる