キャベツも刻みおわり、生地の材料の分量もはかりおえた。そうすれば、あまりにタイミングよくインタフォンはなるのだ。
「ウルスラ、でて」
ホットプレートを年間だしっぱなしのこたつのうえに設置しているキャサリンが、また本をよみはじめてしまった学生服の眼鏡少女に声をかける。ウルスラはさっとたちあがり、それでも視線は本をとらえたまま。
「わるい、おくれた」
ドアをあければ、銀髪の切れ長の目の女性がたっていた。いらっしゃい、と自分の家にまねくようにつぶやくウルスラに一瞬だけ笑いかけ、訪問者ビューリングは手にさげたコンビニエンスストアの名がプリントされたビニール袋をひょいともちあげる。
「ビール。と、ウルスラにはオレンジジュース」
「おそいねー。準備万端になったとたんの到着なんてずるいねー」
いつの間にかウルスラの背後にたっていたキャサリンがそれをうけとる。ぽんとうしろからウルスラのひくい肩に手をおいて、どうぞとビューリングをまねきいれた。
「エルマはまだよ」
「ああ、バイトだそうだな。たしかはやくても八時くらいにしかこれないそうだ」
「家庭教師なんて、よくやるよ。さすがは現役の大学生ね」
「ふん、なまいきなとしごろの中学生が相手なんだろう。なめられていなければいいがな」
「それは無理な話ね」
銀のボールにいれた生地とキャベツを、ビューリングが適当な手つきでまぜる。キャサリンはこたつにほおづえをつきながらそれを観察し、ウルスラはもう本をよんではいなかった。文庫本はウルスラのとなりにすわるキャサリンのあぐらのむこう側にある。こうでもしないとこの文学少女は会話に参加してくれないのだ、とはいえ、さきほどから声をだしているのはキャサリンとビューリングだけなわけだけれど。
「もうやいちまうか?」
「もちろんね、エルマのことまってたりしたら日がくれちゃうよ」
「日はもうくれてる」
「ウルスラ、それっくらい時間がかかっちゃうってことね、いまの」
「おい、ブレザーはぬいでおいたほうがいい、においがつくぞ」
じゅ、と音がなる。黒いプレートのうえにたかかった豚肉をしき、そのうえに生地をながした。うわ、ビューリングそれちょっと一気にいれすぎね、こんなでっかいのひっくりかえせないよ。あ、えー…、そのへんはおまえにまかせる。お好み焼ききれいにひっくりかえせないことほどやるせなくなることはないね、それはビューリングの仕事ね。おとなふたりがおしつけあっている横で、ウルスラはブレザーをぬいで丁寧にたたみ、おかせてもらっているスクールバッグのうえに邪魔にならないように保管した。それから一瞬間をおいてから、ポケットにいれたままだった携帯電話をとりだしてこたつのうえにおく。キャサリンはそのストラップのひとつもついていないシンプルなそれに気づいて、ふと笑う。
「おみやげ、いらない?」
「いらない」
「なにがだ?」
「この子のおねえさんにねー。さっきメールで、お好み焼きのことうらやましがってた」
「ああ……エーリカ・ハルトマン」
「ビューリング、そういえばしってるね」
「いやになるほどな。しかし、にているのは顔だけだな、おまえらは」
「勤め先の生徒だっけ」
「それどころかクラスの副担任をやらせてもらっているよ」
「しっかし、ビューリングほど学校の先生がにあわない女はいないよ」
「おまえはさっさと定職についたらどうだ」
「バイトで充分ね」
「ファミレスのウェイトレスなんて、たかがしれているだろう」
「あ、それはもうやめたね、いまはコンビニ店員いっぽん」
「……なおわるいな、それは」
ひさしぶりに顔をあわせたものだから、話しはじめればとまらない。いつのまにやらこげそうになっていたお好み焼きをキャサリンがあわててひっくりかえし、そうしたらもちろんばかのようにおおきかったそれは空中分解してしまった。
ピンポン、とまた訪問者の出現をしらせる音がなる。だけどだれもたちあがらない。プレートのうえではソースのかけられたすこしこげ目のつきすぎたお好み焼きがいい音をたて、ウルスラが一切れとろうとしているのをキャサリンがてつだっていた。ふむ、とビューリングはうでをくんでから、ジーンズのポケットから煙草とライターをとりだす。
「あ、ここ禁煙ねー」
「これだけけむりがでていればかわらないだろう」
「かわるねー。ったく、灰皿は?」
「もちろん携帯してるさ。ところでだれかきたみたいだが」
「どうせエルマね、放置しとけば勝手にはいってくるよ、きっと」
「まあ、そうか」
「……あつい」
ウルスラが舌をだす。やけどでもしたのか、さきがあかかった。キャサリンはウルスラのコップをひょいとさしだし、ビューリングはまたふむと言う。この風来坊のキャサリンが、ウルスラをまえにするとまるでしっかりした姉のようになるからふしぎだ。
ばたばた、と、やっとのことで廊下に足音がひびく。涙目で登場したのは、さきほどの話題の人物だった。
「な、なんででてくれないんですかあ」
「おー。遅刻者がえらそうなこと言ってるね」
「さきにはじめてるぞ」
エルマはそっけない反応にしゅんとしながらあわててきたせいで乱れた前髪をなでた。それからおくれてすみません、と頭をさげてあいた席にすわり、準備されていた皿とわりばしを見てほっとする。
「で、さしいれは?」
「へ?」
キャサリンにほれ、とてのひらをつきだされて催促されて、エルマはがく然とした。いそぐことしかかんがえていなくて、そんなことは頭のすみにもおいていなかった。
「ミーはお好み焼きの準備、ビューリングは酒とジュース」
「……、う、ウルスラさんは?」
すがるきもちで逃げ道をえらんでみたが結局、うわこどもにたかる気ねこいつ、とキャサリンにからかわれてしまってエルマはちぢこまるしかない。まあつぎに期待している、とビューリングはそれよりはなんとかやさしかった。
「あ、キャサリンさん、昼間メールのお返事できなくてすみませんでした、ちょっといそがしくって……」
「あー、かまわないよ、どうせエルマの返事がイカ玉だろうと豚玉だろうと結局豚玉になってたね、多数決で」
「おいウルスラ、テレビつけてくれるか、天気予報の時間だ」
「ひー、天気予報のためにテレビつけるやつはじめて見たね」
「わるいね、習慣なもので」
「あ、一週間ずっとはれですねー。いいことだわ」
「エルマ自分でとれよ、セルフなんだ」
「わ、はいわかってます。おいしそー」
「マヨネーズ、とって」
「はいはい、どうぞウルスラさん、あ、青のりとってもらえますか」
「ああ、あしたは朝さむいな、ここに雑魚寝するつもりだったがまずいか」
「だいじょうぶね、身をよせあえば」
「え、きょうとまりですか、わたしあしたも学校なのに」
「強制参加ね」
「私だって仕事だ」
「わたしも、学校」
「ウルスラは九時には解放してあげるねー」
「わ、わたしは……?」
「ウルスラ、もうテレビけしていい」
「ひー、天気予報のためだけにテレビつけておわったらけすやつなんてはじめて見たね」
あらかた全員の胃が満足したころ、ちょうど時計は九時をしめしていた。ウルスラがまばたきをしてからたちあがる。それからみんなが見送りムードになったので、ブレザーにうでをとおしながら首をふる。べつにすわっていればいい。するとビューリングがひょいと車の鍵をもちあげた。
「おくるか?」
「いらない。自転車があるから」
「っていうかそもそも飲酒運転です、ビューリングさん」
「またね、ウルスラ。また遊ぶねー」
キャサリンにそういえばとりあげられていた文庫本をさしだされ、ウルスラは頷いてうけとった。あとこれ、と、キャサリンはさっさと部屋をでていこうとするウルスラをよびとめる。それからなにやらごそごそとはじめて、なんですかあれ、とたずねるエルマに、おみやげだそうだ、とビューリングが言った。
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「ただいま」
居間にはいれば、テレビの音がなっているのにだれもいなかった。それなのにふと、おかえりい、とまのびした声がする。ウルスラがかすかに首をかしげていると、ひょい、とソファのむこうから顔がとびでてきた。エーリカのその手にはスナック菓子の派手な色あいの袋がかかえられていて、ソファのうえにねそべっていたから姿が見えなかったらしい。ウルスラが分析していると、むむ、となにやらこちらのようすを凝視したあとエーリカはぴょんとソファをとびこえて彼女にちかづく。それからみじかい髪のはしをつまんですんすんとはなをならした。
「ソースくさい」
うらめしげな声。ウルスラはなにも言わずに、手にもっていたコンビニのビニール袋をさしだした。おみやげ、と、キャサリンにもたされたもの。もうさめてしまった、お好み焼きだった。エーリカはきょとんとしてから、自分にそっくりな眼鏡の妹をながめ、すぐに破顔する。
「お、うまそー」
きゅうに上機嫌だ。エーリカはうけとったそれからラップのかかった皿をとりだし、そのままキッチンの電子レンジのまえにたつ。
「風呂わいてるぞー、はいっちゃいな」
そう言う姉のよこをとおりすぎると、ながしにはちゃんとひとり分の使いおわった食器が水につけられ、しかもいま食後のおやつもたべていた気がする。ウルスラはバスタオルをかかえながら、多分あがってきたころにはこのわが姉はたべすぎたとくるしげな顔をして、さっきみたいにソファにだらしなくねそべっているんだろうな、と、まちがいない未来を予想した。
08.10.24 おこのみやきのはなし
もんじゃやきくいたい