インタフォンをおした。あやまらなくちゃいけないと思った。放課後、ひさびさに後輩たちが部活動をしているはずの体育館へいった。彼女がまだ部員だったころとなんらかわりのない空気をもったその場所には、しかし目的の人物はいなかったのだ。そして昼間にもう部活はやめたよとうそぶいたひとりの後輩も、確かに姿は確認できなかった。バルクホルンは覚悟をきめてやってきたというのにすっかりと出鼻をくじかれた気持ちになり、ついでだから後輩のようすを見ていこうと思っていたのもわすれて、だれにも見つからないうちにさっさと体育館をあとにしていた。
「……いまあける」
唐突に、インタフォンのとなりにあるスピーカーから声がする。はっとした。だから夜になってから、しかたがないから自分の家の真んまえにあるあやまるべき相手の家へとたずねてきた次第なのだった。おさない声、機械をとおしたそれは、そっくりな双子の姉妹のどちらののどから発せられたかの判断をつけにくくした。あちらには、ちいさな門のそばにたっているバルクホルンのすがたはモニターにうつって見えているのだろう、それであけると言ってくれたということは、もしエーリカならばあってくれるということで、もしもう片方ならば。あやまりにきたはずのバルクホルンは、後者であることをかすかにのぞんでいた。だから、門からおくへと数メートルいったところにある彼女たちの家の扉のむこうからあらわれた金髪の少女の顔に、銀縁の眼鏡がのっていると気づいてほっとする。
「……ウルスラ」
ぼんやりとした表情のエーリカの妹は、てくてくと歩いてきて内側からかけられている鍵をはずした。きいと門が開放され、背のたかいバルクホルンを見あげた。そっくりなのに、全然ちがうのだ。ひどく寡黙でおとなしく、傍目では自分以外には興味のないように見える少女だ。必要以上に愛嬌と元気をもっている姉とはかけ離れていて、しかしバルクホルンはこの双子の思考回路がひどくにていることをしっていた。
「エーリカはその、いるか。ちょっと話があるんだ」
「いない」
ぴしゃりと言われてバルクホルンは閉口する。ウルスラは、エーリカの関連する話となると、バルクホルンにたいして急に手厳しくなるところがあった。トゥルーデがきても無視しといてね、とでもエーリカにたのまれたのか、ウルスラはそれだけ言ってつんとしたままバルクホルンを見かえしている。ちらりとうしろの立派な家を見る。確かにエーリカの部屋の窓のむこうは光にてらされていない。ひょっとしたらもう不貞寝をしているかもしれない。時刻は夕食もすんでいるであろうころあいをねらってきたが、現代っ子をまるで地でいくエーリカは、寝る時間だけは健康優良児そのものだった。まだ九時前だったとしても、もうベッドのなかにいてもおかしくない。
「本当にいない、友達の家に泊まるって、メールがきた」
そんなバルクホルンの視線に気づいたウルスラは、ぼそりとつぶやく。ウルスラの発言をうたがったことに勘づかれバルクホルンはぎくりとし、ああそうか、ときまりのわるい返事をした。
「わかった、ごめん、邪魔して」
「まって」
あわてて背をむけ、不躾ににげだそうとしたところでよびとめられる。反射的にふりむけば、ウルスラはいつのまにか携帯電話をのぞきこんでいた。
「エーリカから伝言」
ぎょっとする。くるりと彼女にむきなおり、バルクホルンはつばをのむ。それを気にするようすもなくゆっくりと顔をあげ、おもむろに、ばか、と、たったそれだけ言ってからウルスラは携帯電話をポケットにしまった。
「……」
たったそれだけの伝言のために、わざわざメールをのぞきこんで確認したのか、ばかだなんて、なんだ、そんな悪態をついてくれるほどには、エーリカだってゆるしてくれる気があるようじゃないか。バルクホルンはにわかにほっとするようなおかしいような気持ちになって、ふっと思わず息をついてしまう。するとウルスラは、すこしだけまゆをよせるのだ。
「のんきな顔しないで」
それからかすかにぷくりとほほをふくらませて、きゅっとつくったこぶしをバルクホルンのみぞおちのあたりにぶつけた。力なんてもとからいれる気のないかわいらしいしぐさ。ああ、こういうところはふたりそろっておさなくて、本当にそっくりなんだ。やはりバルクホルンはそんなのんきなことを考えてしまい、それに気づかないはずのないウルスラに再度ぶうたれた顔をされる。
「わかってる、ごめん」
「わたしにあやまってもだめ」
「……うん」
なさけなくうなずけば、ウルスラは唇をとがらせてからとんとバルクホルンをおす。それからおやすみと言って門をとじてしまう。さっさと玄関へともどっていく背中、それにバルクホルンもおやすみと言って、すっかりと扉のむこうに姿がきえてしまうまで見送る。
(そうだな、あやまらなきゃ)
バルクホルンはくいとうしろをむき、ちょうどそこにあるミーナの家を見あげた。エーリカとはちがい、彼女の部屋の窓は光で黄色くぼやけていた。あやまるのは、彼女にもそうしなくてはいけないのだ。こまらせてごめん、なにもしらなくて無神経でごめん。いままでつきあわせてわるかった。バルクホルンは、ごめんなさいと自分に頭をさげたミーナを思いうかべながら、しかしきょうのうちにあやまれる気はしなくて、重い足どりですぐそばの自宅へときえることにした。
09.03.29 けんかのはなし