「わたしいっちばーん」

 うかれた声をあげて、エイラが手元のタッチパネルのついた機械をモニターにむけた。ややあってスピーカーから音がながれ、画面に曲名がうかんだ。うわ音でかい。あわててモニターのしたの音量レバーを調節し、それから手にもったマイクにテステスと声をかける。こちらの具合はちょうどよかった。

「ねえ、リーネちゃんこれ歌える?」
「あ、しってるー」
「じゃあいっしょにうたおー」

 そのとなりで肩をよせあった芳佳とリネットがやはりちいさな機械をのぞきこんでいた。こういうのってさ、まず履歴見るよねえ。先程のエイラのようにモニターにむけてつぎの曲をおくってから、芳佳はいそいそと機械を操作し履歴と書かれたパネルをタッチする。

「すごい、美空ひばりばっかりだよ。この部屋まえにつかったのおじいちゃんとかおばあちゃんだったのかな」
「ねえねえ、川の流れのように歌いたい」
「あ、いいねえ。あれでも、そういえば川の流れのようにってサビしかしらない」
「わたしもだ。エイラさんしらないかなあ」
「とりあえずいれとこ」

 送信のボタンをおし、画面の上部に予約曲が表示されるのを確認する。と、ぶはっしぶっ!とエイラがマイクをかまえたまま、歌声のとちゅうでふきだした。
 ひろすぎずせますぎない室内で電灯をいちばんよわくして、うすぐらさに雰囲気がでるねと笑いあっては二本のマイクをまわして歌を歌った。芳佳などは、それはもういまはテスト期間なのだということをわすれようといういきおいである。あしたからがんばるもん、とこころのなかで誓いつつ、きっとあしたもおなじことを思い、結局試験一日目の前日になっているのだ。これは中学校に入学してから二年ともうすこしのあいだ試験があるたびに経験している事態なのだか、たったそれだけのくりかえしでは芳佳を反省させることはできなかった。

「よし、宮藤芳佳いきます!」

 ききなじんだイントロに、自分の十八番がまわってきたとマイクをにぎる。やっぱり、たのしいことってやれるときにやっとかないとだめだよね。自分に言いわけし声をはりあげ、二番のサビまでくるころには芳佳からは一片の迷いすらもとりはらわれ、すなわちそれは、試験勉強に対する情熱は今後徐々にしりすぼみになっていくことを暗示していた。

----------

「おい……なんで私がこんなことにつきあわなくちゃならないんだ」
「つきあうとかじゃなくてさあ、これも立派なあんたの仕事じゃないのよ」

 どこが、と反論しかけたが、そうしたところでこの女が自分の言い分をきくとは到底思えない。ビューリングは手のなかで銀色のライターをかちかちと言わせながら、となりをあるく同僚を見た。同期である彼女は、なにかにつけてビューリングとともに行動をとろうとした、というよりは自分のやりたいことに彼女をまきこもうとした。たとえばいまのこれである。いいですかビューリング先生、いまは試験期間中です。すなわち、そんな貴重な時間を遊びほうけてすごしている生徒がいないか見まわる義務が、われわれにはある!と、あたしは考えるわけです。
 いやねえビショップ先生。ビューリングはえらくあつくなっているウィルマに嫌味にそうよびかけたが、彼女はまったく気にするようすもなく問答無用とビューリングをひっぱり街の巡回をはじめてしまった次第であった。ゲームセンター、ショッピングセンターと昨今の若者がすきそうな場所へと足をのばし、きょろきょろと高校生のかげをさがす。非常に真剣で情熱的な行動なのだが、なぜかウィルマがやると遊び半分に見えてしまうからふしぎだ。ビューリングはやはりかちかちとライターをならしながらため息をつく。

「さて、もうあらかた見回りつくしたんじゃないか、さあ、帰ろうか」
「よし、つぎはカラオケボックスよー」
「……」

 帰りたい。ビューリングがわざとおおきなこえでつぶやいてみても、ウィルマはあははははと元気よく笑うだけであった。

----------

「わたしドリンクバーとってくるけど、みんななにかいる?」

 リネットはふとたちあがり、空になった自分の透明なグラスをひょいともちあげてしめす。あ、わたしコーラ。わたしカルピス、ソーダじゃないほうな。すると芳佳とエイラもそれをかかげた。

「ありゃ、みっつ一気にいける?」
「うん、だいじょうぶだいじょうぶ」

 ふたりのグラスをうけとり、リネットは部屋をでる。ぱたんとドアをしめると、それでも彼女たちの部屋からは歌声がきこえてくる。カラオケって、けっこう防音あまいんだよねえ。自分の声が廊下にもれているようすを想像してむだにはずかしくなりながら、リネットは一階にあるドリンクバーのコーナーへといそぐべく階段をかけおりる。ええと、コーラと、ソーダじゃないカルピス。わたしはリプトンにしよう。リネットはひとりうなずきながら、まずはコーラをいれようとグラスをおいた。

「うわ、のぞくやつがあるか」
「だってそうしないとだれがいるのかわからないじゃない」

 ふと、個室のならぶほうから話し声。しかもかたほうは非常にききおぼえがあり、さらにはいまここにいてはあまりに危険な。リネットはコーラのボタンをおしていた指を反射的にはなし、角のむこうにいると思われる人物の顔を想像する。

「だいたいさあ、見られてこまることしてるわけでもあるまいし。いやまてよ、してたらしてたでおもしろいねえ」
「下世話な笑い方をやめろ。もういい、もういないさ生徒なんて」

 徐々に会話は近づいてくる。たらり、と冷や汗がたれ、固唾をのまざるを得ない。リネットはドリンクバーにグラスをおきっぱなしにしていることもわすれて、おおあわてで階段のほうへとかけだした。瞬間、やはりそこにいた現在最も遭遇したくない人物と目があう。が、リネットにその現実が受けいれられるはずもなく、あっと目をまるくしたそのひとからにげるように階段をのぼった。
 ばたん、とおおきな音をたてて後ろ手で個室のドアをとじる。するとぎょっとしたふたりぶんの視線をうけた。

「うわ、どうしたんだよリーネ」
「あれ、ジュースは?」

 のんきなふたりになにかしらつたえようにも、リネットはぱくぱくと口をうごかすことしかできない。ごめんなさい、まずいの、まずいんです、まずいひとに、見つかっちゃったの。リネットは大声でさけびたかった。しかし無情にも、それよりもさきに彼女の背後でノックがなってしまうのだ。

「え、あれ、なんか注文したか」
「ううん」

 頭のうえで疑問符をうかべているふたりをながめ、リネットは顔を青くする。そのあいだもこんこんこんこんと異様にしずかなノックがひびきつづけている。うわしつこいな、なんかへんなやつなんじゃないのか。エイラがまゆをひそめたが、途端、そのドアはひらかれてしまうのだった。

「くおらリーネェ!!」

 なぞの侵入者は開口いちばんにリネットの名をよび、しかもあまりの怒声にその場にいた三人をぴきとかたまらせた。あんたもいまテスト期間中でしょうがなに遊んでんのそんなことしてられるほど成績いいのかいあんたは平均いってりゃいいってもんじゃないのよわかってるのリーネ! のどがつぶれるのではないかと思われるほどの叫び声をあげ、そのひとは額に青筋をたてていた。

「お、おねえちゃん、あんまり大声ださないでえ」
「カラオケは大声だすところでしょうがあ!」
「いや、ドアあけてやるのはまずいと思うが……」
「お、おねえちゃん?」
「え、リーネちゃんのおねえさん?」
「あのちがうの、なんでもないの、気にしないで」
「なんでもないわけがないでしょうこの不良娘!」
「おいおちつけ、むこうのふたりがひいてるぞウィルマ」

 ウィルマとよばれた、どうやらリネットの姉らしい恐ろしい人物は、そのうしろにいたもうひとりの女性に示されて芳佳とエイラに気づいた。ふたりはぎくりとし、リネットはひいと内心で悲鳴をあげる。

「あら、あんたたちもリーネとおなじ学校? だったらあんたたちもこんなとこで遊んでるのはまずいんじゃない」
「やー、まって、まっておねえちゃん。もう帰るから。もうわたしたち帰って勉強するところだったの、だいじょうぶもう解散なのだからもうやめてえ」
「はあ? こらリーネはなしなさい、あの不良っ子どもにも説教を……」
「だからそれをやめてって言ってるのっ」

 すばやく自分の荷物をひっつかみ、リネットは姉の背中をおして部屋をでようとする。なにこら、なに生意気な口きいてんの。ぎゃあぎゃあとさわいでいるウィルマをなんとかおしやりながら、リネットは首だけでふりかえりごめんねと口をうごかした。すっかりとそっちのけにされていたふたりはそれを見てやっと我にかえり、しかしそのころにはリネットともうひとりのおとなのひとと、そのふたりにひかれたウィルマは扉のむこうへときえてしまっていたのだった。それでもドアのむこうはしばらくさわがしく、やっと台風が一過したなかでもふたりは思わずいきをひそめる。

「……リーネのねえちゃんってこえー」
「あれだったらペリーヌさんがおねえちゃんのほうがこわくないかも」

 やっと緊張がとけ、つぶやきあう。リネットがいれたはずの曲がぼんぼんとなっている室内で、とりのこされたこどもたちは顔をあわせるほかないのだ。どうしようか、どうしようね。そんな視線をかわしていると、ふと芳佳の携帯電話がなる。

「あ、リーネちゃんからメール。……お金はあしたはらうからふたりでたのしんでね、ほんとにごめんね。だって」
「……たのしめって言われてもなー」

 異様な空気の残り香は、いまだにきえてはいないのだ。こんなところでたのしめというのも無理な話なうえに、鬼につれていかれたリネットを無視して自分たちだけでよろしくするというのも気がひける。

「いやまあでも、やっぱカラオケってふたりが最高じゃないか」
「さっきと言ってることちがうよエイラさん……」

 のこされた時間は二時間、エイラと芳佳は結局、つぎの曲をいれる気にはなれないのであった。

----------

 ひどく憂鬱な気分だった。うまくいかないのだ、なにもかも。ペリーヌはうつむき、さっさと自宅にもどりたかった。それなのにふと、かすかにとおくからの声をきいてしまう。

「おーいペリーヌ」

 ひらひらと手がふられている。思わずたちどまってから即座に後悔した。ひとどおりのおおいむこうから、同級生がふたりちかづいてくる。あれ、ひとりたりない。一瞬だけペリーヌはおかしく思うが、そんなことはすぐにどうでもよくなった。

「なんだよー。こんなとこほっつきあるいてるひまあったんならカラオケつきあえよなあ」
「図書館にいった帰りです、かんちがいしないで」
「ねーきいてよペリーヌさん、いますごいことがあったんだ。リーネちゃんがねえ」
「あなたたち、本当にカラオケなんかで遊んでいたんですの?」

 意図せずでてしまったつめたい声に、芳佳はことばを途中でとめてきょとんとする。しまった、かすかにペリーヌは息をのむが、エイラがそのよこでふんと鼻をならしたせいであやまるタイミングをうしなう。頭のうしろで腕をくんだ彼女をついにらみつけ、すると肩をすくめられてしまうのだ。

「おまえもさあ、勉強ばっかしてないで遊ぼうよ。なあ、あそべるのってこどものうちだけだぞ、きっと」

 ひどく正論だった。ペリーヌはまばたきをし、それからおしだまる。しかしすぐにくるりとからだのむきをかえ、もうあるきだすことしかできなかった。だからあなたって、きらいなの。それを捨て台詞に、彼女はもうたちどまれないのだ。思いのほか機嫌のわるい彼女に、ここでもとりのこされたふたりも呆然とした目で彼女を見送ることしかできない。

「……な、きらわれてたろ、わたし」
「そうかなあ……」
「なんだよ、強情なやつだなあ」

 ひとごみのなかにきえていくなぜかよわよわしく見える背中を、目をこらしてさがしながら芳佳はまばたきをし、エイラはといえば、もう興味がないようすで家路につくべくあるきだしていた。

09.03.29 しけんべんきょうのはなし
ウィルマさんのキャラ捏造はなんつうかこう……すまん^^