「べ…べつに、すきとか、そういうことじゃないのよ」
「はい」
コンビニのせまい駐車場にある車止めのブロックに腰かけながら、ふたりしてカップのアイスを平べったい木のスプーンですくった。せまいとおりにあるこのコンビニには車での客はあまりこないから、駐車場はひとつも車がとまっていない。かわりに自転車が二台ほどすみにとめられていた。
「なんだか、すごく、意識しちゃうひとがいて、すきっていうか、むしろ苦手で」
「うん」
しどろもどろな説明になってしまうのがはずかしかった。ペリーヌはうまくまとまってくれないことばにこまりはてながら、それでも一所懸命話をした。むかしからなかのよかった年上のひとがいて、ちいさなころはそのひとにとてもなついていたのにいまはどうしてかうまく話ができないこと。それなのに、先程そちらがすきなひとの話をしたときに自分の頭のなかにうかんできたのはそのひとだったこと。ぼそぼそと語られる話を、リネットはなんどもうなずいてきいていた。
「ほんとに、苦手なの。あのひとのまえだと、どうしたらいいのかわからなくなって……」
見おろした手のなかのアイスは、どんどんととけていってしまう。バニラ色のつめたいそれは、まるでペリーヌのこころのようだった。リネットのまえでゆっくりとかされて、だれにも話したことのないひみつが、口をついてでてしまう。
「……あのね」
「はい」
「……」
どうしよう、言ってしまおうか、言っても、大丈夫だろうか。いつも余計なことは言いたくもないのに言えるのに、言いたいことを言うのは、本当にむずかしい。ペリーヌはすこしだけ息をのんで、唇をうごかした。
「そのひとって、ちょっとあなたににてるわ」
すっと視線をあげて、ペリーヌはほほを染めてリネットをながめた。彼女はペリーヌの発言があまりに意外だったのかしばらくぽかんとしていたが、すぐにぱちぱちとまばたきをしはじめる。それからうつむき、アイスをスプーンでつつきながらすこしだけ唇をとがらせた。
「そっか、そうなんだ。そういえば、こないだエイラさんがペリーヌさんってわたしにはなんだかよわいんだって言ってたんですけど」
「……」
他人に気づかれていたことがはずかしかったが、いまはそれはわきにおいておくことにする。だって、つぎにつづいたリネットのことばは、訂正せずにはいられないことだったのだ。
「どうしてかなって思ってたんですけど、そっかあ、苦手なひとににてたからなんですねえ」
ちょっと、ショックだな。えへへとリネットがこまった顔で笑うので、ペリーヌはあわてた。どうしていつもはこちらの気持ちをよんでいるような反応をするのに、こうやってすなおになってみた途端にまちがった捉えかたをされるのか。
「ち、ちがいます。そうじゃなくて、だって、いまはすきなひとの話をしてるんでしょう?」
必死に弁明すると、リネットがはっと顔をあげる。そして目があって、ゆらりとゆれる瞳にうつる自分の顔があんまりこまった表情をしているものだからいやになる。
「……でも、ペリーヌさん、なんかいもすきとかそういうことじゃないって」
「え? あ、えっと。そ、そうだけど……」
しまった、いま、いちどにおおくのことを認めてしまったような気がする。ペリーヌ自身ですら納得していなかったあのひとへのこの気持ちが、急に透明になる。そうだった、いまはすきなひとの話をしていて、その話をするのにペリーヌがえらんだのは、苦手でしかたないはずのあのひとなのだ。
「え、ええっと……」
ほほが熱くなることを自覚する。思ったよりはずかしい、と先程てれていたリネットが思いだされる。ふふ、ととなりから笑い声がする。ペリーヌさん、真っ赤だよ。それからはずかしい指摘がつづき、ペリーヌはさらに赤面した。
「ね? はずかしいでしょう?」
「……うん」
くすくすと笑うリネットのとなりで、ペリーヌはあつくてしかたのないほほを手で覆う。アイスのカップをもっていたてのひらはつめたくて、気持ちをすこしだけごまかしてくれる気がした。
「でも、ちょっと複雑です」
ふと、リネットが言った。ペリーヌは顔をあげ、やっと色のひいてきたほほを手であおぐ。そのとなりでリネットは指をもじもじとしていて、すこしかなしそうだった。
「きょう、先生…おねえちゃんのともだちのあのひとにも、だれかににてるって笑われたの。すごくうれしそうに笑ってて、それで、いまもペリーヌさんはわたしがそのひとににてるから、こんな話だってしてくれたんでしょう?」
わたしって、だれかににてないと、笑わせたり話をきいたりもできないのかなあと思って。こまったように笑うままに、そんな見当ちがいなことを言う。ペリーヌはあわてて首をふった。
「ちが、ちがうわ。私は、…リーネさんだから、話をしようと思ったもの」
思わずとてもはずかしいことを言ってしまった。しかし後悔はしなかった。だって、リネットがそのことばをうけてきょとんとまばたきをしたあとに、どうしてか泣きそうな顔で笑ったから。
「さっきと言ってることちがうよ、ペリーヌさん」
「か、からかわないで…」
思わずてのひらでリネットをはたくようなふりをして、すると彼女もよけるような真似をした。こどもじみたたわむれに、気づかぬうちにおたがい笑みがこぼれた。くすくすと、すこしずつ日のおちてきている街角に女の子たちの無邪気な笑い声がひっそりとひびく。ふたりの手のなかのアイスクリームはすっかりとけて、とろりとあまい液体になっていた。
「ところでさっき、すきとどきどきはべつって言ってましたけど」
もうたべられそうにないアイスをごめんなさいとあやまりながらコンビニのまえのごみ箱にすてて、すると思いだしたようにリネットが言った。それって、すきなひとのべつにどきどきするひとがいるってことですか。つづいた質問にペリーヌはぎくりとして、それからひょいと視線をはずしてとぼけた表情をつくった。
「もう、ここまできたら全部しゃべっちゃいましょうよお」
「あ、あなたねえ」
年頃の女の子であるから、恋の話題となると気持ちも相応にたかぶるものである。リネットはペリーヌの顔をのぞきこんで上気したほほで笑った。まったく、とあきれた表情をつくっているペリーヌも、しかしそんな年頃の女の子なのだ。だれにも話したことのないこの気持ちをことばにしてしまうことが、急にとてもたのしいことである気がしてくる。
「……そのひとは、さっき言ってたひとのしりあいで…、えっとじゃあ、仮にさっきのひとがAさんとして、こっちのひとがBさんとします」
「うんうん」
先程の車止めに座りなおしながら、どこかひらきなおってしまったような口調でペリーヌが解説する。Aさんはちいさいころからバスケットボールをしていて小学生のときにはスポーツクラブに参加していて、そこにはBさんも所属していた、それでAさんにつれられてまだ小学校にあがっていなかったペリーヌがクラブの見学にいったときにBさんとはじめて顔をあわせたのだ、とペリーヌはどこかわくわくとしながら語った。リネットはそれを真剣にきいてはうなずいて、ペリーヌとおなじくわくわくしていた。
「……で、もう、そのBさんが、すごくかっこいいひとで…」
先程の姉の友人について語ったときのリネットのように、ペリーヌがほほを染めながらまるで自分にあきれるように言う。だってしかたないの、すごくやさしいしかっこいいし、バスケだって上手なの。だれにともなく言いわけをし、彼女の話をしているだけですこしどきどきしていることを自覚してははずかしくなる。それをながめていたリネットは、いたく共感してうなずいた。
「ね、かっこいいひとって、なんであんなにかっこいいんだろうね。ずるいよね」
まるでそれは、テレビのむこう側にいるアイドルに胸をときめかせている心境にちかかった。しかし、じゃあそれはただのあこがれなのかと言われるとすなおにはうなずきがたい。こんなにどきどきするのに、あこがれだなんてきめつけてしまっていいのだろうか。すきとどきどきするのはちがうと言ってみたものの、いざ話してみると、本当にちがうのかどうか、よくわからなくなってくる。おとなが見たらなんてちっぽけなことで悩んでいるのかと笑うかもしれないが、少女たちはたしかに、肩をよせあって真剣に自分たちの気持ちを分析していた。
「それで、これは私の推測なんだけど」
ペリーヌがすこし声のトーンをおとし、リネットの耳にすこしだけ口元をよせる。それにあわせて彼女も顔をよせてなあにと言った。ペリーヌは、あのふたりの姿を思いだしていた。すこしまえ、ぬすみ見てしまったこと。鮮明にうかぶむかしの光景に、ペリーヌの意識はぼんやりとしてしまう。
「あのふたりって、つきあってるんじゃないかしら……」
今年から地元からはなれた大学にかようようになった片方のひととは、もうしばらく会っていない。そして彼女が地元からはなれるすこしまえのこと。そのひとのまえで声をこらえるように泣いているひとを見つけた。むかしからやさしくてつよかった、そんなよわよわしい姿なんて見たことのなかったあのひとが肩をふるわせている姿。ペリーヌはそれを、偶然見かけてしまったのだ。
あれからしばらくしたころ、そのようすをペリーヌが見ていたことに感づいた泣いていたあのひとは、自分が彼女をきらいだから泣いていたのだとペリーヌが認識したとまのぬけた思いちがいをした。ちがうのにと思う、本当はその光景を見るまえから、どこかでそうなんじゃないかと思っていた。あなたは、あのひとがすきだから泣いていたんじゃないんですか。ぼんやりとゆっくりと、あのときの涙が思いだされる。
「え…そ、そうなの?」
「確信はないけど、たぶん……いや、ほんとにたぶんなんだけど」
ペリーヌがこころここにあらずといった風情でうなずくと、リネットはまばたきをして汗をたらした。しまった、余計なことをきいてしまったのではないか。すきなひととどきどきするひとがひょっとしたらつきあっているだなんて、ペリーヌがすくいようのないほど絶望的な位置にいることになる。ええと、とかえすことばをさがしていると、リネットが答えを見つけるさきにペリーヌがはっとした。
「い…いや、たぶんだから。それに、あのふたりってすごくお似合いだし……」
気をつかわせていることに気づいたペリーヌは手をふり気にしなくていいとことばをつづけるが、むしろ逆効果なことばかり言ってしまう。どうしよう、本当に、そういうふたりがお似合いだと思っていて、自分のはいりこむすきはないとわかっているのに。自身も気づかぬうちにペリーヌのなかではすっかりと腑におちていたらしい自分たちの相関図が、しかしリネットにとってはただごとではないらしい。
「も、もう私の話はいいでしょう。リーネさんは、いったい宮藤さんのどこがいいの?」
できるだけ、皆目見当もつかないと言いたげな口調をつくり話をそらして、リネットの気をそちらにもっていこうとした。すると彼女は目論見どおりに芳佳のなまえにぎくりとする。リネットのほうも話題変換はねがったりだったので、幾分かほっとした顔をしてからすぐにはずかしげにまばたきをした。
「え、えー…。どこがって……、ひきませんか、ペリーヌさん」
「……発言によります」
そこはうなずいてくださいよう。リネットは泣き笑いをうかべて神妙な顔のペリーヌにすがりつきつつ、覚悟をきめた表情をする。
「……芳佳ちゃんって、なんだか、ぎゅってしたくなるんですよねえ」
ぽわんとほほを赤くして、リネットがもじもじとてのひらをあわせた。なんだ、ひくというからどんな大層なことを言いだすのかと思ったら。ペリーヌは拍子抜けしつつ、半分だけ同感だった。だから、私だったら、ぎゅってされたい、かも。と、ちゃんと本音をおしえてあげる。するとリネットはきゃあとちいさな黄色い悲鳴をあげて、それにつられてペリーヌまでうふふと笑ってしまう。大胆ですね、そっちこそ、と言いあって、肩をよせてまるでふたりだけのひみつを話しあうように声をひそめた。
「それからね、それから……」
すきな子の話をしているかわいい横顔に、自分もさっきからこんな顔をしながら話をしていたのかと思ってすこしてれた。もしも私があのひとのまえでこんなふうに顔を赤くしたら、あのひとはいったいどんな反応をするんだろう。ペリーヌは、自分がいったいどちらのひとを思いうかべているのかわからないまま、ふたりきりを夢想する。
「それにね、芳佳ちゃんって、パックのジュースとかのんでるときの、ストローくわえてる顔がすっごくかわいいの」
そのとなりでリネットは少々マニアックなことを言ってうっとりとそのようすを思いうかべていたが、ふたりがふたりともすっかりと自分の世界にひたっていたためにそれについて指摘がとんでくることはない。結局のところ、恋をしている女の子というのは、自分のことだけで精一杯なのであった。
09.06.08 しちがつげじゅんのはなし