そろそろ夕食時ということで、ファミリーレストランのなかはそれなりにさわがしかった。シャーロットはひろげたメニューのはしのあたりをとんとんと爪のさきではじきながら、鼻歌まじりの友人を見る。

「なんでおまえはあたしの行動を完璧に把握してんの」
「わたしのしらないことなんてないよ」

 四人がけのテーブルに、むかいあってすわっている。クラシックめいた音楽が頭のうえにひびいているが、それはまわりの人間の話し声でほぼかきけされていた。窓際のその席からは、そとのようすがよく見えた。

「まあ種明かしをすると、月曜日にバイトがないってことはルッキーニにきいてたし、部活いこうかと思ったときにシャーリーが生活指導につかまるの見かけたってだけの話なんだけど。きっと雑用でもおしつけられたんだろうと思って」

 おっしゃるとおりだった。生活指導の先生からはしっかり目をつけられているので、面倒くさい命令じみた頼みごとをうけることはあまりめずらしい話でない。ただし三回に二回は適当ににげだすわけだが、きょうにかぎっては言うことをきいてやる気になってしまったのだ。ちなみに本日のはげの言いつけは茶を一杯いれることからはじまった。職員室で電気ポットとむかいあいながらちょうどとなりにやってきた女性教師にこういうのってパワハラっすよねと話しかけると、ぞうきんのしぼり汁でもいれとけばと言われたので実行した。したら、ほんとにいれたよこの子、とその教師はおおいによろこんで、のんだひとに味の感想ちゃんときいといてねとシャーロットに耳うちした。

(あのおっさん、おなかこわさなかっただろうか)

 あした胃薬をわたそう、謝罪はこころのなかだけですまそう。いくらすこしむかついたからといってやりすぎた自覚のあったシャーロットは、ごめんねと内心で手をあわせた。ちなみに、平気な顔でその茶はすすられたわけだが味の感想はききそびれている。なぜなら彼がひとくちのんだ直後には早速とばかりにつぎの指令がくだされたから。プリントのコピーとホッチキスによる製本、なかなかの量があったのでおわるころにはすっかり日もおちて部活動もおわる時間だった。シャーロットは肩をこきこきと言わせながら生徒玄関へとたどりつき、そこでまちぶせるエーリカと顔をあわせる羽目になったのである。

「いやー。急にここのフライドポテトがたべたくなっちゃって」

 このレストランは学校から多少はなれているので、学校帰りの寄り道としてはあまりえらばれない。しかし、原付があれば話は別だった。シャーロットはまってたよとにこにこ笑うエーリカに運転手を申しつけられ、理不尽にも自宅をすっかりとおりすぎるこの場所までつれてこさせられたわけであった。
 あいかわらずエーリカはにこにことしている。愛想よくしていればまわりのやつがやさしくしてくれるとでも思っているのか、とシャーロットは言ってやりたかったが、実際に彼女はしっかりと要望をかなえてあげている。そもそも、それはただのエーリカの思いこみでなく事実なのかもしれない。思いっきり肩をすくめてやりたい気持ちだった。いきているだけで得をしそうなやつなのだ、エーリカ・ハルトマンという人間は。

「しかしさあ、あたしこういうの気にくわん」
「え、なになに」

 とんとんとメニューをたたいていた指先をすべらせ、おいしそうな写真のなかのひとつのうえでとめる。それは、エーリカが先程注文したものだった。

「大盛りポテトフライってな、自分で言うなと言いたいね。商品名がおいしい牛乳とかもさ、おいしいかどうかなんてひとそれぞれだろ」
「あー。わたしは考えたこともなかったけど」
「つうかさ、ポテトたべたいなら学校のちかくにマックあんじゃん」
「だからー。ここのがたべたかったんだよ」

 どこでも冷凍のものをあげただけじゃないか、とシャーロットは思ったが、どうせどうでもいい反論がかえってくるだけだろうと思ったから主張はしないことにした。それからドリンクバーへいくべく腰をあげると、あっとエーリカが声をあげる。

「わたしがとってきたげるよ」
「おーありがと」
「ここつれてきてもらったからねー」

 すでに一杯ずつはのみほしていたので、氷とストローだけのはいったふたつのコップをひょいととってエーリカが席をはなれていく。まったく、ドリンクバーへのおつかいだけではわりにあわないというものだ。シャーロットはほおづえをつき、なんとなく店内を見まわした。すると、ちょうど入店するひとがいた。あれ、と彼女はまがっていた背筋をのばしその人物を確認する。

「おまたへー」

 こつん、とシャーロットのまえにコップがおかれた。あれそういえばこれをいれてきてほしいという注文をしわすれたな、と思いつきふとそれへと視線をおとすと、お世辞にもきれいとは言えない色の液体がそそがれていた。

「コーラとメロンソーダまぜといたよ」
「……まあ、とりあえずやるよね、こういうの」

 あんまり自然におしえられるものだから、文句を言う気もうせてしまう。ちなみにエーリカのもつコップにそそがれたのは、純然たるオレンジジュースだ。シャーロットはひとくちのんで、思ったよりはふつうの味わいであることに安心しながらエーリカの背景を見た。店内はちょうどL字の形をしていて、入り口が角のところに位置している。そこから右のほうが喫煙席、左のほうが禁煙席となっていて、高校生である彼女たちはもちろん禁煙席についていた。そして、先程シャーロットが見つけたひとは、喫煙席のわりと入り口にちかいほうにすわったようだった。ちょうどよく見える位置だ。

「……あれさ」

 とどいたフライドポテトにフォークをさしているエーリカに話しかけ、あごでしめした。エーリカはぱくりとポテトを一本口にいれてからシャーロットの視線をおって首をまわし、あれっと声をあげる。

「ビューリングせんせいじゃない、あれ」
「やっぱ?」

 ふたりづれのうちの、こちらから顔のよく見えるほうにすわっているのはたしかに彼女たちの副担任だった。無愛想で授業中の雑談のすくないかの教師は、そのわりに生徒からなかなかの好評を博す人物だった。いまどきは、ああいう生徒に干渉をしないような先生のほうが人気がでるらしい。

「ねー。なんか修羅場っぽくない?」
「そうか?」

 よく見えるようにとシャーロットのとなりに移動したエーリカが耳うちした。いっしょに来店したひとは、ビューリングよりはわかそうな、大学生ほどに見える女性だった。ほら、なんかせんせいむすっとしてんじゃん。またささやかれ、やつの目つきがわるいのはいつものことだろうにとシャーロットは思う。とはいえ、たしかに話をしているようでもないし、ましてやなごやかな雰囲気とはほどとおいようなようすに見えた。

「なに話してんだろうねー」
「どうでもいい」

 つん、とした声がでてしまう。シャーロットがあれと思っていると、エーリカが口にだしてあれと言った。

「興味ないの。意外だなあ」
「そう?」
「うん、……ううん?」

 エーリカはいちどうなずいておきながら、すぐに首をかしげなおした。シャーロットはずずとストローでジュースをすすり、ポテトを手でつまんだ。注文したやつに阻止されるかと思ったが、あたたかいそれは意外とあっさりシャーロットの口のなかにおさまることに成功した。

「シャーリーってさあ、ビューリングせんせいのことあんまりすきじゃないよね」
「そう見える?」
「まあ、たぶんね。へんなの、授業だってわかりやすいし、口うるさくだってないのに。でもさすがにいま見つかったら注意されるかなあ」

 エーリカは下校中の寄り道をしていることについて懸念しているようだが、シャーロットはそんなことはまったく心配しなくていいとしっている。

「大丈夫さ、あいつ、学校外でまで教師面ができるような立派な人間じゃないらしいから」
「……」

 ふん、と鼻をならすと、エーリカがぱちぱちとまばたきをした。ふしぎそうな顔を一瞬だけ見かえして、再度山になったポテトに手をのばすとフォークをさされそうになったからこんどはやめた。ねえねえせんせいとなんかあったの。エーリカがたのしげにたずねてくるが、べつにたいした話じゃないので言わないことにする。

「よくわかんないな、いいじゃない、ああいうすなおそうな感じって」
「すなおってどのへんが?」
「媚売ってなさそうってかさ。じゃあ、シャーリーはビショップせんせいみたいな熱血教師がこのみなの?」
「熱血…あのひとはそういうのとはまたちがうような」

 先程の、職員室でのことを思いだした。シャーロットのいきすぎたいたずらにおおよろこびしていたのは、たしかにいまでたなまえをもった先生なのだ。彼女もまた生徒からの人望はあつい。多少口うるさいところはあるが、教師というよりはともだちのような感性でもって生徒たちとふれあうところがその要因である。このふたりのわかい教師は年齢がおなじほどであるくせに性質がまったく真逆であるので、生徒たちになにかといえばくらべられていた。
 しばらくふたりして意味なく息をひそめて観察をしていたが、とくにおもしろい展開もなくふたりが食事をはじめたので中断することにする。

「ふたりつきあってるのかな」
「だとしたら別れ話の最中だな、あの空気は」
「ひでー」

 自分こそ彼女たちの様相を修羅場だと推測していたくせに、エーリカはあははと声をあげて笑った。それから、そろそろおなかがいっぱいになってきたらしい彼女はフォークにさしたポテトを隣人にさしだす。シャーロットはまばたきをしてからそれを口でうけとって、遠慮なく皿にもられているほうにも手をのばした。ドリンクバーしかたのんでいない彼女は、少々おなかがすいているのだ。

「あ、そういえば」

 ふと、エーリカが思いだしたように言った。むしゃむしゃと口をうごかしながらシャーロットはなにと首をかしげてつづきをうながして、するとエーリカは自分のかばんをひっぱってなかをあさりだした。じゃーん。そして効果音つきでとりだされたのは。ごく、と口のなかのものをのみこむ。

「……ピアッサー」
「えっへへへ。こないだ薬局で見つけてついなんとなくかっちゃってさあ」
「あけんの、あな」
「うん」

 開封のすんでいなかったプラスティックのおもちゃみたいなそれの包装を、べりべりとエーリカがあけていく。しかもここでか。シャーロットはどこからつっこんでいいものかわからなくて、ぼんやりとエーリカの手元をながめていた。きら、とその簡素な器具の真ん中で光るちいさな針を見つけてまゆをひそめる。これを耳たぶにさすってのか、なかなか根性があるじゃないの。結局自分のとなりに移動したままのエーリカのちいさな耳をちらっと見た。途端、自分の耳に奇妙な感覚。

「……で、おまえはなにをしてるのかな?」
「え、ひやすとあんまりいたくないんでしょ?」

 そういうことを言ってるんでなくてね。シャーロットは、ふいに耳にぴたりとくっつけられたつめたいコップについて異議を申したてぬわけにはいかなかった。しかしエーリカは当然のようににこにこしながら、よりつよく耳たぶに表面のぬれたそれをおしつけてくる。

「あ、あけるってあたしの耳にか」
「いっかいこれつかってみたくてさー」
「だったら自分の耳でつかいなさいよ」
「だっていたいじゃん」
「あたしもいたいだろ!」

 大丈夫マキロンももってるから! 不可解なおおきな自信でもって、エーリカはおおきくうなずいた。しかしシャーロットはぶんぶんと首をふる。運転手くらいならたまにはしてやる、が、そんないたいことにはさすがにつきあえない。

「いいじゃんただでピアスホールあくんだからさあ」
「いやあたしべつにあけたくないし」

 耳はまだまだひえきっていないというのに、さっさとコップとピアッサーをもちかえたエーリカがせまってくる。シャーロットは本気で抵抗した。手首をとっておしやる、エーリカも負けじと耳たぶへと器具をおしつけようとする。数秒ほどの攻防、その最中、シャーロットの耳元でがしゃんとかたい音がなった。最悪な予感に、思わず目をとじさあっと顔色がわるくなるのを感じる。

「……あーあ」

 が、エーリカが残念そうに息をついたところではっとする。まぶたをもちあげぱちぱちとまばたきをし、自らの耳たぶに指をはわせる。……いたくない、なにもない。はあ、とシャーロットは安堵の息をつき、唇をとがらせているエーリカの手のなかを見た。そこにはあいかわらずピアッサーがある。しかしひとつだけ先程とはちがうところがあり、それは耳をはさむべきところがすっかりととじてしまっていることだった。勝負はシャーロットの勝ちだった、エーリカのピアッサーは、あえなく空中でもって使用されてしまったようなのである。
 ぽろり、とそれのなかからとめ具の装着されたちいさなピアスがこぼれおちた。なるほどこの器具は、さきがとがっているピアスが耳をつらぬいたあとに、自動的にとめ具がくっつくようになっているのか。エーリカの手のなかからシンプルなピアスのような針をとりあげて観察した。していると、エーリカがひどいと言う。

「千円がむだになった」
「いやむしろひとの耳にいきなり穴あけようってのがひどいだろ」
「ちぇー」

 そもそも、そこまで本気でなかったように思われた。ついいたずらめいた気持ちでちょっと危険なにおいのするものを買ってしまった、そしてそのひそかな高揚を、友人といっしょに共有したかった、というところだろう。
 ま、自分の耳にあけたくなったときはあたしがあけてあげるからさ。さきにちいさな色つきの石のようなものがはめられたピアスをエーリカにかえして、シャーロットは両手をひろげておどけた。ひとの耳に、と言わなかったのは、もしそう言ったらエーリカはそれを冗談ではおわらせないだろうという予感があったから。すなわち、エーリカはにこにこと笑ってひとに甘えるのがたいへん上手なのである。だから、きっとシャーロットがすこしでも口をすべらせればじゃあ穴あけたいと言いだすにきまっているのだ。しかし、彼女の笑い方には二種類ほどあるような気もしていた。

「おまえってさ、けっこうあたしのことすきなの?」

 だから、ちょっとかまをかけてみることにする。たしかにエーリカは基本的には愛想がいいが、きょうのような暴挙、たとえばとおいレストランへの送迎やピアスホールを無理やりあけたがるようなことを笑顔でおしとおすのは、まれに思われた。そうだ、そういうわがままをおしつけるのは、どこかの堅苦しい先輩へだとか、それくらいだと思っていた。つまりは、彼女が甘えるときはただの愛想笑いではないそれでもってのみであり、だれかれかまわず行使されるようなことではないということ。多少うぬぼれがまじっていることは否めないが、それはまったく見当ちがいであるわけでもない気がした。

「うーん、そうね。シャーリーって第一印象があんまりよくなかったから、それよりはましになったかな」
「え……そうなの。初耳」
「いっつもへらへらしちゃってさー。うさんくさいったらなかったよ。まわりにやさしい自分がだいすきなようなやつかと思ってた」

 失礼なやつめ。シャーロットはたいしておもしろい反応をかえしてもらえなかったことを遺憾に思いつつ、ちらりとエーリカを見た。うさんくさいと彼女は言ったが、シャーロットは例の堅苦しい先輩とはまたちがう、彼女がひどくなついているもうひとりのひとも、たしかにいつも笑っていることをしっていた。

「じゃあさ、ミーナ部長もうさんくさいっての?」
「え、ミーナ?」

 すこしびっくりしたような声、それからエーリカはシャーロットに彼女と自分をおなじと思うなという気持ちをこめた視線をおくる。シャーロットはそれをうけて肩をすくめた。

「でもさ、あのひともだれにだって笑顔だし、博愛主義っての? 見方によってはうさんくさいっていうか」
「ふうん」

 ひとつ言いわけをしておくと、いまの発言は単なることばのあやであり、シャーロット自身のミーナへの印象ではない。彼女はだれにでもやさしく、たとえばあまりふかい仲でもないシャーロットにたいしても本物の厚意をしめしたのだ。それは、シャーロットがあのひとを信用するにたるほどの一大事だった。

「まあ、たしかにミーナは他人だってだけで相手を肯定的に見るようなところがあるけど」

 一瞬だまっていたエーリカがきりだす。しかしまた間があいて、シャーロットがなんだろうとまばたきをしていると、エーリカは自分を納得させるようにうんとうなずいた。……でもそれって、わたしがいま言ってる話とはちょっとちがうよね。

「ミーナってむしろ、愛すべき存在だと思う」
「また、おおきくでたな」
「つまりはさ、ミーナにだってきらいなものはあるってこと」

 思わせぶりに言って、エーリカがたちあがる。なにがいい? シャーロットのコップに手をかけながら、こんどこそ注文をとる。コーラ、ただのね。シャーロットがわずかに意外に思いながらすこし嫌味をまぜて返事をすると、エーリカはぺろりと舌をだした。
 ドリンクバーへとあるいていく背中を見送り、シャーロットはふむと思案する。エーリカがうさんくさいと感じるようなだれにでもやさしいやつとはちがう、それでも他人を絶対否定しないミーナ、きらいにならないミーナ。そんな彼女の、きらいなもの。それは、つまり。

(……自分自身、か?)

 こん、とすこしおおきな音をたててコップがおかれて、はっと思考が停止した。顔をあげると、わたしはレモンスカッシュにした、とエーリカが軽い口調で言っていた。まるで、さっきまでの話はもうおわりだとでも言いたげだった。シャーロットは濃い色の液体のはいったコップをうけとりどうもと言ってから氷をストローでつついた。そういえば、結局なんの話をしていたんだったかな。

「あ、せんせいでてっちゃう」

 急にエーリカが言った。それにつられて顔をあげると、たしかに会計をすませた件のふたり組がでていこうとしているところだった。そして偶然にも、店のそとへとでていった彼女たちは、シャーロットたちのすわる席の窓のすぐむこうにとめてあった車にのりこもうとしたのである。まさかの急接近にふたりは思わず顔をふせたが、ビューリングのほうは目前の教え子にまったく気づいていないようだった。彼女たちは横目で観察し、車が車道へとでていったあたりでやっと顔をあげた。

「いっしょにいたひとかわいかったね」
「うん」

 顔をあわせて、気のよわそうな、およそビューリングとは縁遠そうな連れのひとを思いかえす。そして先程の気まずげな空気である。ふたりには、彼女たちの関係にまったく見当がつけられなかった。

10.08.27 ファミレスのはなし