「ここが、きょうくる予定だったとこ?」
「うん」

 からりと店の戸があく音と同時に、そんな会話が耳にとどいた。その瞬間ねむりにおちかけていたハルカはぎくりと肩をゆらし、顔をあげた。するとちょうど、お客と目があう。

「あら、いらっしゃい」
「こんにちは」

 それは常連の高校生だった。いつもひとりでしずかにやってくる眼鏡の女の子、しかしきょうは、すこしちがう。彼女のとなりには、もうひとりの女の子がたっている。かわいい子、とこころのなかでつぶやいて、いちおう接客する気をみせようとハルカはたちあがった。

「きょうはお連れさんがいるんですね。妹さんかなにか?」
「ちがう」
「あ、こんにちは」

 その子は丁寧に頭をさげる。それからちらりと常連さんを見あげ、古本屋さんなのねとたずねていた。ハルカはすぐにカウンターのうしろにある椅子にすわりなおし、そのようすを観察していた。ウルスラのすきそうなとこだね。クリスはつまらないかもしれない。そんなことないよ、それに、いまの台詞さっきもきいたよ。なかのよさそうな会話、そうか、あの子のなまえはウルスラというのか。はじめてあってからもう何か月とたっているのに、そういえば自己紹介なんておたがいにしていなかった。

「ねえ、どんな本があるの」
「こっち」

 たのしげな少女、クリスとよばれた子がウルスラの服のそでをひくと、彼女は手招きをした。確実に店主よりもならぶ本棚のうちわけにくわしい常連客なのである。小学生ほどの子がたのしめるであろう本のつまったところは、すっかり把握しているのだ。案内されたところでクリスが本棚に目をすべらせはじめることを確認してから、ウルスラは自分もよみたい本をさがしはじめた。
 そうやって客がふたり本棚のあいだにきえてしまったところで、ハルカはいいことを思いついていちどおくのほうへとひっこんだ。

「えへへ。いちご大福、あるんですけど。もらいものなんだけどね、たべない?」

 それから店のほうへともどってくると、ちょうどふたりは気にいった本を見つけたようで、ウルスラがカウンターのそばで彼女専用の椅子をクリスにすすめているところだった。ハルカはあらまあと思い、急に登場したおやつに困惑しているふたりを放置して、またおくへとはいっていく。かたんと音をたててカウンターにおかれたお盆のうえには、急須とみっつずつの湯呑といちご大福がのっていた。

「椅子ならいくらでもあるんですよー」

 ウルスラのために用意したものとおなじかたちの、背もたれのないみっつのふとめの脚のついたまるい椅子。よし、それじゃあこれは、あなた専用のね。そう言って、数種類の柄のあるシールをわたした。自分用のってしるしに、すきなやつはっちゃってください。ハルカがにこにこすると、クリスはこまったようにまばたきした。

「言われたとおりにすればいい」
「え、でも」

 遠慮がちにクリスは首をかしげ、しかしウルスラがわたしももらったからというと、簡単に気をかえて目をかがやかせた。

「え、ウルスラはなんのシールはったの、どこにはったの?」
「わすれた……」

 ごまかすようなことを言い、ウルスラは自分の椅子に腰かけた。ねえねえとくいつく子を無視して、ウルスラは手にもった本をひろげてしまう。てれたようなそのようすに、ハルカはすこしたのしくなった。そういえば、この常連客が、自分以外と話しているところを見るのははじめてだ。

「お客さんは、椅子の裏面にはってましたよ。自己主張しない子なのねえ」
「あ、そうなんですか」
「ちょっと……」

 ひみつを暴露すると、ウルスラが文句を言いたそうな声をだした。そんなにはずかしがらなくてもいいのに。思わず笑ってしまったが、笑われた子がそれに気づくことはない。なぜなら、のぞきこもうとするクリスを必死に邪魔しなくてないけなくなったからである。

「ウルスラのけち」
「いいから、はやくシールえらんだら」
「あ、うん」

 なんとかごまかすべくクリスの手のなかのシールを指さすと、結局また彼女は遠慮したそうな顔になった。

「あの」
「気にしないでいいんですよ、うちをひいきにしてくれてるお客さんのつれてきた子には、いくらでもサービスしたいくらいなんだから」

 とはいえ、たしかに常連客であるはずのウルスラは、ここで買い物をしたことがなかった。財布のひもはかなりかたいほうらしい。しかしハルカにとって、この店に足をはこんでうもれた書物に目をとおしてくれるというだけで、とても素敵なお客さんだった。なので、そんな本当のところはわざわざ言わない。

「えっと……それじゃあ」

 デフォルメされた動物の顔がならぶ台紙から、彼女は耳のたれた犬のシールをえらんだ。しゃがんでそれを椅子の脚にぺたりとはって、すこしのあいだながめる。かわいい子をえらんだね、とハルカが言うとすこしてれた顔があがって、ウルスラもうんとうなずいた。彼女の横顔は微笑をたたえていて、またはじめてを見ることができた。いつものしずかな顔もいいけど、やっぱり笑顔も素敵だわ。ハルカはすっかり上機嫌で、急須にお湯をそそいだ。

「あ、緑茶きらいだったりは」
「わたしもクリスも大丈夫」
「え、えっと。あの」

 おやつをいただくこと前提で会話をすすめると、クリスがとまどった声をあげる。それはそうだ、はじめてきた店でこんなことになるなんて思いもしない。

「やー。いいんですよ。ほんとは先輩のぶんだったんですけど、あの抜け作、店番ぶっちしてあそびにいきやがったんで……」

 けっ、とハルカが邪悪な感じに喉をならすと、クリスがすこしおどろく。先程までは気のいい店主にしか見えなかったのに、急にこわい。そのうえ、なんていただきにくくなることを言うのか。先輩、というひとのぶんならば、クリスがたべていいはずがない。そう思ったのに、となりのウルスラはなにを気にすることもなくおいしそうないちご大福にぱくつきはじめたのでまたおどろいた。

「ウルスラ」
「遠慮しなくていい。先輩のぶんがおやつででてくるのは、いつものこと」

 ウルスラが言うことには、先輩とやらが店番をぬけだすことはめずらしくなく、そのたびかのひとのぶんのおやつがこのカウンターのうえにならぶとのことだった。ハルカは、自分の仕事を放棄したことによりこんなに損をするのだぞ、と、そういう事実をつくりたいらしかった。しかしその先輩とやらにはそんないやがらせは効果がないらしい。ウルスラがこうやって他人のおやつをいただくのは、もう数えきれないほどになる。

「先輩って、どんなひとなの?」
「わたしは、あったことない。でも、このひとの話ではここの居候らしい」

 ふしぎなお店には、ふしぎなひとがすんでいるのだ。と、クリスは思う。やさしいのかこわいのかわからない店主に、素性不明の先輩。いまだに黒い表情でぶつぶついっているひとをちらりとながめながら、クリスはいちご大福にかじりついた。

「で、おふたりはごきょうだいなんだっけ?」
「さっきちがうって言った」
「あれ、そうか」

 すっかり気をとりなおしたハルカが、にこにこしながらふたりにむきあった。そして案外ひとの話をきいていないようで、とんちんかんなことを言う。カウンターをテーブルのかわりにして、三人分のおやつがならぶ。あまいあんこといちごのすこしの酸味が絶妙で、それらをやわらかくつつむ白いもちはよくのびた。つまり、とてもおいしい。ハルカのいれたお茶もまた、味わい深かった。

「でも、お客さん、きょうだいがいるっていってませんでしたっけ。あ、おねえさんだったかしら」
「うん」
「そうそう、双子の、ですよね。いいなあ、わたしひとりっこなんです。しかも、できそこない。ははは」

 親がかわいそうでしかたないんですよねえ。おかしそうに言い、世間話をするおばさんのようなやりかたで手を上下にふった。クリスは自虐的な笑い話の返答にこまるが、ウルスラはいつものこととさらりとながし茶をすすった。

「あなたは、きょうだいとかいるの?」
「え、あ。えっと。わたしも、おねえちゃんがいます」
「へえ、うらやましいな。ふたりとも妹さんなのね」

 わたしも、おねえちゃんとかほしかったなあ。ハルカが適当なことを言う。すると、クリスはなんとなくむっとしてしまう。

「えー。でも、けっこううるさいだけですよ」
「あら」

 つい反論すると、ハルカがまばたきをした。ウルスラはクリスをちらりと見たが、とくになにを言うこともなかった。

「うるさいんですか、あなたのおねえさん」
「うん、きょうだって、余計なことばっかり言われちゃって。最近は、おねえちゃんなんてやだって思っちゃう」
「そうですか……」

 ハルカがうなずくと、クリスはすこしうつむいた。また、姉にたいしてひどい自分がいやになったんだろう、とウルスラは思う。なんとなく、頭をなでてやろうかと思った。しかし、それよりもさきにハルカがでもとつぶやいた。思わず顔をあげると、彼女は、しずかに微笑んでいた。愛想のいい笑顔が印象的な彼女にはあまり似合わぬ顔だったから、ウルスラはすこしおどろく。

「でもね。案外そういううるさいのって、なくなるとさみしいんですよ」

 クリスがはっとするような、芯のある声色だった。ふいに、場の空気がかわってしまう。古めかしい本屋のなか、なごやかだった雰囲気がふわりと変化する。緊張感でもない、焦燥感でもない。ただ、目のまえの人物が急に得体のしれないになかになったような、ふしぎな感じがするのだ。

「うしなってはじめて気づく、なんてよく言うけど、あれってきっとほんとなんだよ」

 ウルスラはふと、まえの店主を思いだした。厳格そうなおじいさんだった。でも、ある日突然いなくなってしまった。根拠は一切ないが、きっとハルカは彼のことを言っているのだとウルスラは思った。

「……ええと。これから言うことはわたしの勝手な持論で、ただ話したくなったから話すだけなので、真にうけたりしないでききながしてもらいたいんだけど」

 もったいぶった前置きがされる。ハルカはすこしうつむき、視線をななめしたにながした。それでも口元には、微笑がうかんだまま。
 いきるって、案外、後悔しつづけることなんだと思うのね。どんなに考えて人生を選択をしたって、もしちがう道をえらんでたら、もっといい人生だったかもしれない、なんて。わたしはよく考えるので、それってけっこうつらいです。でも、きっとそれがわたしのいきるということで、だから、後悔しない人生なんてきっと存在しないのね。でもやっぱり、できるだけ後悔なんてしたくないよね。

「だからわたしは、いまのことばを、あなたがいつか後悔しないことを、ねがいます」

 ハルカのやさしいことばを、しかしウルスラは、なんてひどいことを言うんだろうと思ってきいていた。仮にそれがハルカにとっての真実だったとして、こんなこどもにそんな薄暗い話をきかせる必要なんてない。彼女が言っていることは、このさきの人生がつらいものときめつけての助言だった。おのれの行動を見かえすことの大切さとつらさを、そっとたたきつけた。

「あの」
「うん、ええっと。ひょっとしてわたし、ひどいこと言ってるのかな。しかもこんなこと、ひとに言われたって意味がないよね。自分で実感してはじめて、わかることだもの」

 非難しかけたウルスラを、さえぎるようにハルカが笑う。あ、お茶、おかわりありますよ。しかも、もうその話はおわったと言わんばかりに急須をもちあげてみせる。ウルスラは釈然としないまま、となりのクリスを見た。するとクリスは、ぼんやりとした顔で、じいっとハルカを見ているのだった。

「わたし、あのひとなんかすき」

 店をでた途端、クリスが宣言した。ウルスラは、入口のわきにとめてあった自転車に手をかけながら、ぎょっとした。ちらりと少女を見ると、すこしわくわくしているようすでほほを上気させている。そうきたか。

「ねえ、また、ここに連れてきてくれる?」
「もちろん。わたしにたのまたくったって、きたくなったらまたきてもいい。ひとりでくるのがいやなら、いくらでも連れてくるけど」
「いいの?」

 その反応は、ウルスラにとって意外ではなかった。ウルスラは、ハルカの話はこどもにするような話ではないと思った。つまりハルカは、クリスをけっしてこどもあつかいしていなかったのである。それはおそらく、彼女が年上からうけたはじめてのあつかいだった。ウルスラだってバルクホルンだって、クリスのことはすっかりこどもとして見ていた。そうだ、クリスは、それがいやなのだ。ことバルクホルンからそうされるのが、いやにちがいないのだ。先程エーリカと自分のことを思いうかべたときに思いついた憶測が、確信にかわる。
 口うるさい注意は、バルクホルンがクリスをいつまでもちいさな子として見ているからでてくる。でもクリスは、いつまでもこどもであることはない。かわりにくいものと、すぐにかわっていってしまうものがいっしょにあったら、すこしずつのずれができあがってもしかたがない。

「ウルスラ、ねえ、もうかえろっか」

 クリス自身が、自分のそんな思考回路を理解しているかはわからない。しかし、きっとこれが正解だった。ああ、ここにつれてきて、この子を彼女にあわせてよかった。ウルスラはぼんやりと考えながら、クリスにうながされるまま、自転車をこぎはじめた。

----------

「……おかえり」

 見なれた家へとたどりつくと、むすりとした顔で玄関のまえでかまえていたバルクホルンにむかえられた。クリスはあちゃあと一瞬だけ口元をおさえるが、すぐにそのわきをとおりぬけて玄関のおくへとむかう。

「あ、こら」
「ウルスラ、ばいばい。またあそぼうね」
「うん」

 ハルカという自身の欲求をみたしてくれるひとを見つけてしまったクリスは、もうすっかり余裕で、バルクホルンのせいでかなしくなったりいらだったりすることはもうないようだった。またなにか小言を言おうとするのを見事にききながし、彼女はさっさとおくへときえていく。

「……まったく」

 バルクホルンはすこしさみしそうにまゆをひそめたが、すぐにウルスラにむきなおった。

「わるかった。なにか迷惑かけたりしなかったか」
「まさか」

 いつもの会話だ。そうやって、バルクホルンはクリスの保護者としてふるまいたがった。トゥルーデ、クリスはそういうことはもうもとめてない。こどもとしてじゃなくて、ひとりの人間として見てほしいの。助言を思いつくが、わざわざそれを教えてあげるには、ウルスラはすこしクリスに傾倒しすぎていた。

「クリスは、ちょっとかわった」
「……」

 でも、すこしくらいのヒントならさしあげよう。バルクホルンはウルスラにそんなことを言われるとは予想もしていなかったようで、おおきくまばたきをしておどろいた。それからすぐに、こまった顔で頭をかく。

「……反抗期かな」

 弱気な声が、ウルスラの見解をもとめている。ああ、と思う。ハルカは、後悔しないでほしいと言っていた。ハルカはきっと、おじいさんのことで、クリスのようなことを言ったことがあるのだろう。いないほうがいいとか、そんなことを。そしてそれが、本当になってしまったのだろう。しかしきっと、クリスにとってはそんなのは無用の心配だ。それはつまり、いつかバルクホルンの口うるさい心配がなくなってしまったときの話なのだ。あのときそんなのいらないと言ってしまったことを思いだし、クリスがさみしくなってしまうことを懸念していた。でも、それはおそらく、無駄におわってしまう。

「それはちょっとちがうと思う、そうじゃなくて」

 だってバルクホルンは、きっと一生、クリスをこどもあつかいして心配しつづけるのだ。それがクリスにとっていいことなのかわるいことなのかはわからない。けれどそれは、たしかにクリスのきょうのことばを後悔にかえるようなことはない。

「どっちかっていうと、きっと、……成長期」

 ウルスラが、きっぱりと宣言する。彼女より背の高いバルクホルンを見あげ、彼女にしては力強く、ことばをささげる。バルクホルンはまたおどろいて、ぽかんとまぬけな口があく。ほうけた顔が、ウルスラを見おろす。が、それはじょじょに、てれくさいようなこまったような顔にかわっていった。

「……おまえの言うことって、いちいちかっこいいな」
「トゥルーデよりかっこよくないひとなんてなかなかいない」
「…うぐ」

 冗談めかした悪口に、バルクホルンはすなおにまいった顔をした。そしてそんな情けない表情のまま、いまさら、家のなかへときえてしまったクリスを目でおう。

「成長期、か」

 その唇がふわりとつぶやく。さみしさもうれしさもにじみでたちいさな声。ウルスラはそれを、とてもいい気持ちできいていた。

10.09.10 せいちょうのはなし