これのつづきです



 幻想的な景観だった。地底に形成されたその湖は、それでも淡くかがやいている。耳にふれるのは心地よい流水の気配、ときおり魚のはねるような音がするが、それは湖を守護するファルシのしわざだろう。ふかいふかい、つめたい夜だった。

「……寝られるときに寝とかないと、からだがもたないぜ」

 岩窟のなかにあるスーリヤ湖、それをかがやかせている原因は、岩壁がいりくんで形成された自然の天井のなかにぽっかりとあいた隙間だった。そこからこぼれおちるなにかの残光、水面がきらきら波うって、そのかがやきをはねつけようとするかのようにファングは空をにらみつけている。

「それは、こっちの台詞だ」

 説教じみたことを言うその背中に、ライトニングはしずかにこたえた。それからしばらくはじっとしていたが、ファングにふりむく気がないと見てとるやいなや、遠慮もなく彼女のとなりにふみこんだ。彼女はそれでもただ一点を見つめていたので、ライトニングはしかたなしにその視線をおう。そこになにがあるかなんてわかりきったことだ。天空の真ん中に君臨する繭、夜のなかでもぼんやりかがやく、コクーンのファルシがつくりだした光。

「あたしはいいの。いいからさっさと寝な」
「そうしたいのはやまやまなんだが」
「……」

 寝しずまる仲間たちのなかにファングがいないと気づいたのは、もう一時間以上もまえの話だ。いつもならばこの隙のない女を心配する必要など感じられないライトニングも、しかしこのごろはすこし事情がちがっていた。ふー、と、すこしながめのため息がきこえる。それから隣人がすとんと腰をおろしたが、ライトニングはつづく気にはならなかった。

「あたし、そんなに話きいてほしそうな顔してる?」
「……してるなあ」

 腕をくんで、とぼけた声で言ってやる。するとファングは苦虫をかみつぶしたような顔をして、指のさきで眉間をとんとんたたいた。そっか、とつぶやいた彼女は、しかし話しだそうとはしなかった。

「ヴァニラとなにを話した」

 そしてライトニングもまた、きき上手ではない。たったのひと言目で、おそらく核心であろう部分をつく。ファングは眉をぴくりとひきつらせ、きまりがわるそうにうつむいた。
 数日前のことだ。マハーバラ坑道の中程で、ファングとヴァニラがはぐれてしまった。一同はずいぶん心配したものだが、ひょっこりもどってきたファングはわるいわるいとのんきな顔をした。そんな彼女のうしろでもうしわけなさそうに笑うヴァニラは、いつのまにやら召還獣ヘカトンケイルを使役していた。あのときはそのことばかりにおどろいていたものだが、ファングのようすがおかしくなったのはその一件があってからだ。ぼんやりすることがふえたし、いまのようにねむれぬこともすくなくなっていた。思いかえせば、はぐれてしまったのではない、あれはファングがヴァニラをひそかにつれだしたのだ。たったふたりきりで、したい話があったのだ。

「あのさ、たっていられちゃおちつかないから、おまえもすわんなよ」
「私はたってるほうがすきなんだ」
「うるさい、いいからすわれ」

 たわむれるように軍刀のおさまった鞘をひっぱられ、ライトニングは不服そうに腰をおろした。コクーンのよく見える場所だった。岩壁と岩壁の隙間いっぱいにひろがるそれは、まるで空を支配しているようだ。
 コクーンの人間が下界をおそれていたように、グラン=パルスの人びともまた、コクーンをにくんでいたときく。かつてひとりの神が、広大な大地をすくいとりまるい楽園をつくりあげた。下方にひろがる地をまるで我がものとするかのように、天空からすべてを見おろした。うつくしい空をあおげば、いつでもにくむべき繭が目にはいる。それはいったいどんな気持ちなのだろう、グラン=パルスの人びとはいったいどんな思いで顔をあげていたのか、……ファングとヴァニラは、いったいどんな気持ちで空を見つめていたのだろうか。

「ヤシャス山のおくのさ、パドラって都にいったときのことおぼえてるか? ……ま、都っていっても、すっかり廃墟になっちまってたけどさ」
「……ああ」

 かつては栄華をきわめたという都市パドラ。うつくしくそびえたっていたであろう建造物はあわれにも朽ち果て、ただシ骸がさまようばかりとなったかつての都。あの地にたどりついたとき、グラン=パルスを故郷とする彼女たちはさとったように思う。ここにはもう自分たちの生きた世界はない、なにもかもがほろびてしまった。……それはいったい、だれのせいなのだろう。

「そのとき、ヴァニラ言ってたろ。自分がラグナロクになって戦ったんだって。コクーンを傷つけたんだって」

 あれさ、うそ。ぽそり、とファングがつぶやく。かすかな水音にかきけされるかと思うほど、よわよわしかった。天空を見つめていた視線はいつのまにかつまさきのほうにおちていて、彼女はこどものようにひざをかかえる。

「そんなうそ、つかなくていいのにな。なんでもかんでも自分のせいにしようとして……、あたしだったよ、全部、あたしだ」
「ファング」
「全部あたしさ、コクーンをほろぼそうとしたのも、結局それを半端におわらせちまったのも、……そのせいでたくさんの同胞がしんで、グラン=パルスがこんなになっちまったのも。全部、あたしのせいだった」

 ヴァニラはすべてをおぼえていたのだという。黙示戦争とよばれる在りし日の侵略と防衛、使命を全うせんとするファングはその最中にいた。ルシの力をふるい、魔獣ラグナロクと成り果て、おのれのしんじる道をつきすすんだ。その結果は、いま目のまえにある。

「本当は、なんとなくそんな気はしてたんだ。ヴァニラは、うそつくのへただからさ。わかってたんだ、わかってた。……そのはずなのに」

 さすがに、きつい。ファングはついにはひざに顔をうずめて、ふかく息をつく。ヴァニラは、わたしがよわいから、にげたから、とファングにあやまった。なにをばかな、とファングは思う。それはむしろ、彼女ののぞむところだ。それなのに、どうしてヴァニラがないてしまうのだろう。

「……ヴァニラは、あたしのせいでルシになったんだ」

 ファングは、ひっそりとかたる。かつてのつらい思い出だった。ヲルバの村の人間は、年にひとり、ルシとなる。その年はファングの番だった。納得などいっていなかった。さらさらルシになどなる気はなかった。だから、儀式のおこなわれるその日、ファルシにもっともちかづけるその瞬間に、ささいだろうが一矢むくいてやるつもりだった。それはもちろん失敗におわる。ファルシにはむかったファングはまわりにいた神官にやすやすととりおさえられた。不届きなおこないをした彼女は、死刑となるはずだった。

「ルシもシ骸もすっとばして、しぬとこだったんだ。それなのにさ、ただのつきそいだったはずなのに、ヴァニラのやつ、ファルシと神官に頭さげて、自分もルシになるから命だけは、って。ばかなんだ、あいつ」

 あたしがやけをおこしたせいだ。もしおとなしくルシになってれば、ひとりでコクーンと戦うって使命をうけてれば、ヴァニラにつらい思いをさせずにすんだ。あたしがちゃんとそれをまっとうすれば、いつかヴァニラもルシになる日がきたとしても、ひょっとしたらもっとましな使命をうけてたかもしれないんだ。

「でもさ、もしあたしが本当に何百年もまえにコクーンをほろぼしちまってたとしたら、そしたら、コクーンでうまれるはずだったライトやみんなはどうなってたんだろうって思うと、……うまく後悔もできない。もういやだ、どうして、こんな……」
「ファング」

 ライトニングが、ファングの肩をつかむ。遠慮をしらぬやり方だったから、いたいほどだった。はっとして顔をあげれば、にらみつけるようなふたつの瞳があった。ファングの唇が目尻が、ふるえる。

「ヴァニラじゃなくてよかった、ラグナロクになったのがあたしでよかったと思うんだ、でもいざ思いしると、こんなに、……結局、守る守るってでかいこと言ってても、いつも本当に守られてるのは、守ってくれてるのは」
「ファング!」

 つかまれていた肩が、はらわれる。うしろにくずれそうになった体勢を、手をついてささえた。ファングの目がおどろきに見ひらかれる。ライトニングは、先程のままするどい目つきをしていた。

「なさけないことを言うな。守られてるなら、守りかえしてやれ。おまえはそんなこともできないのか」

 しん、とふたりのあいだがしずまった。しばしの視線のまじわりは、彼女たちのあいだにそれ以上のものを交差させたように思われた。くっと歯をくいしばったファングがたちあがる。ライトニングに背をむけてはなれていく。しかしさっていきはしないで、呆然としたようにたちすくんだ。

「……いまのおまえがこうすればよかったなんてかんがえることは、絶対にどれもこれも、ヴァニラののぞまないことだ。ヴァニラに自分のせいにするなと言うなら、おまえだってそうするべきじゃない。どちらかが犠牲になるんじゃない、おまえらふたりで、のりこえるんだ」

 ライトニングがしずかに言うと、しばらくの沈黙のあと、伏し目がちだったファングの顔があがる。また、コクーンを見つめる。その横顔はおぼろげな光にてらされ、決意にみちた色をしていた。じっと見ていると、ふいに彼女がこちらにむきなおる。

「そんなの、もとからそのつもりだっつーの」

 不敵に口元をゆがめたファングは、いつもどおりの彼女だった。すこしほっとしたライトニングも、やっとたちあがる。ゆっくりと彼女によって、となりにたつ。しばらくふたりはだまっていたが、そのうちにファングがため息をついて頭をかいた。

「あーあ、なさけねーとこ見せちまった」
「ふん、それくらいのほうがかわいげがあっていい」
「ちぇ、言ってくれるぜ。こんなとこ、絶対ヴァニラには見せらんねーや」
「あいつのことだ、見せなくたって、おまえのなさけないところなんてもうしってると思うがな」
「はは、ちがいない。……なあライト」

 ありがとな、話きいてくれて。かなり楽になった。すなおな気持ちを吐露したファングは、てれくさそうに笑った。するとライトニングのほうまでてれてしまって、うまく返事ができなかった。口をへの字にして肩をすくませると、ファングがこんどはからかうように笑う。すこし不服だったが、それでもよしとしよう。そうだ、ファングはこうやって笑っているべきだ、そうあるほうがヴァニラはきっとうれしいはずなのだ。そう思った彼女の口元もほころんでいたが、それはだれにも気づかれなかった。

「な、ライト。面倒かけたついでに、もいっこおねがい」
「なんだ、あらたまって」
「……」

 もったいぶるファングは、くるんと身をひるがえした頭のうしろで腕をくむ。それからぼそりと、感情の読めぬ声色で言った。ライトもさ、ヴァニラのこと守ってやってくれな。
 すこし、おどろく。気軽なようすでぐっとのびをして、ファングはむこうをむいている。ライトニングは、その背中をじっと見つめる。

「……もとからそのつもりさ」

 はっきりとした発音で言うと、ファングがふりむく。その瞳はおどろいているのかよろこんでいるのか、きっとヴァニラなら見わけられるんだろうな、とぼんやりと思った。

「……あはは!」

 瞬間、ファングがはじかれたように笑うので、ライトニングは面くらう。

「おまえ、守ってやるつもりの子の手、はらっちまうんだもんな」
「……」

 そして、先日のあることをからかわれていると気づき、かっと赤面する。

「あ、あれは……つい」
「つい、だって。ははは」
「うるさい、笑うな! あれは、おまえに邪魔されなければちゃんとあやまれてたんだ」
「あ、邪魔したのばれてた?」
「あたりまえだ、くそ」

 わかりやすくくやしがってしまった。するとファングがまた存分に笑うので、やはりこいつは笑うにしてもあとすこし遠慮をおぼえるべきだ、とライトニングは思いなおす。

「おい、いい加減やすむぞ。あしただってはやい」
「へーへー」

 ふざけた返事がまた気にさわったので、ライトニングはさっさとあるきだそうとした。すると、それをさえぎるもの。彼女の目のまえに、かたくにぎられた拳がつきだされる。ふと顔をあげれば、真剣な双眼がそこにある。

「全部さ、守ろうな」
「……」

 あたりまえだ。ライトニングはそうとはことばにしなかったが、かわりにこつんと拳に自分のそれをぶつけた。頭上にかがやくコクーン、ふたりはそのかがやきを感じながら、仲間たちのもとへとあるいていった。
13.04.03 けつい
つづく