これのつづきです



 気づけば、右腕に魔物の牙と爪がくいこんでいた。背後からは息をのむ気配、ライトニングは顔をしかめて、軍刀をにぎるその手をなぎはらう。瞬間その刃にふきとばされたやつのむこうに見えたのは、もう一匹の狼のような形をした魔物にとどめをさすところのファングだった。目があった気がした。ライトニングはもういちど唇をゆがませて、血をしたたらせながらそれでもなおむかってくる魔物にとどめの一撃をくらわせた。

「ライトニング!」

 背後にいた、すなわち先程衝撃をうけたように息をのんでいたヴァニラがさけんだ。いまのが最後の一匹だった。だから思わず安心してしまったのか、不覚にもひざがくずれてしまったのだ。彼女はすかさずライトニングのまえにまわりこみ、傷ついた右腕をとる。どろどろとながれる血のなかに、穴があいたようなまるい牙の痕や肉がえぐられた爪の痕があった。いたかったが大丈夫だとライトニングはつよがり、それでもいつのまにか左隣にいたファングにうそをつくなとたしなめられる。さらには肩をかりる羽目となった。

「たかがかすり傷で……」

 とんだ過保護だ。ライトニングはそう言いたかったが、たったそれだけのけがでたしかに彼女はひとりではあるけなかった。
 つれてこられたのは平原のかたすみの、身をかくせるほどの岩場のかげだった。背をつめたいそれにあずけてすわりこみ、ライトニングはおとなしくヴァニラにされるがままだ。移動中からずっとかけられっぱなしのケアルの光が右腕をおおっている。戦闘中なら気にもならないのに、面とむかって丁寧に治療されるのはなんとも気恥ずかしい。

「ごめんね、わたしのせいで」

 しかも、本気で申し訳なさそうな声がするのだ。ライトニングはちがうと思った。しかしなぜだかからだのすべてが鉛のようにおもくて、なにか言おうにも唇すらうごかせない。頭もぼんやりとしてきた。そこで、あることを自覚する。そうか、先程からあるくことすら困難だったのは、こういうことか。まずいな、と思ったが、それすらもまわりの人間につたえられない。

「……ライトニング?」

 治療はすっかりおえられた。あんなに痛々しかった傷口はぴたりときれいにふさがって、痕すらのこっていない。しかしヴァニラはあせった。だって、もう元どおりのはずなのに、ライトニングはうつむいてつらそうなままだ。

「野郎、毒もってやがったな」

 ファングが苦々しげにつぶやいて、ライトニングの額にてのひらをはわせた。汗がにじんでいて、体温はかなりたかい。ヴァニラ、と名をよび、治癒魔法をうながした。だが、ヴァニラはうろたえたように口元に手をやるばかりだった。ファングはまばたきをする。

「ヴァニラ」

 しかたがない、と思いながら、ファングはもういちどヴァニラの名をよぶ。こんどは耳元でやさしく、それでもはっきりと。するとヴァニラはやっとはっとして、ライトニングのほほのそばに手をやった。ケアルとはすこしちがった色が光って、かざされる。あたたかい光、ライトニングは徐々にからだが楽になっていくことを自覚していた。

「……すまない」

 開口一番は冷静をよそおった謝罪をするほかなかった。顔をあげようにもどういう顔をしていいものかわからず、ライトニングは額の汗をぬぐう。と、問答無用でファングにあごをつかまれた。

「おい……」
「ふうん、まあ顔色はもとにもどったかな」
「大丈夫、もういたいところとかない?」

 無理やり顔をあげさせられ、ふたりにのぞきこまれる。なかなかの屈辱だったので乱暴にファングの手をはらった。が、そこでやっとふたりがせっかく心配してくれていたのにと思いなおす。かといっていまさらすなおに礼など言えそうになかったので、ライトニングは思わずのどがかわいたと話をそらしてしまった。

「あ、じゃあ、わたし飲み水さがしてくる」
「え、いや、そういうつもりじゃ……」

 するとすかさずヴァニラがたちあがり、ライトニングの制止の声などきこえないようにかけだしてしまう。おいおい、と思いライトニングはため息をついた。

「あーあ。どうせいくならあたしがいくってのに」

 いつまでたってもおちつかねーなあ。おなじく息をついたのは、いつのまにやらとなりでおなじように岩場に背をあずけているファングである。あっというまにどこかへときえてしまった姿をまだ見送っているのか、視線はとおくへとむけられていた。

「いいのか、ひとりでいかせて」
「まあ、ヴァニラだって無茶はしないさ。もしなにかあっても、魔物を適当にやりすごすことだってにげることだって、ひとりでできないようなやつじゃない」

 ファングはそれからもなにやらかるい賛辞をならべようとしたが、ふと口をつぐむ。ライトニングは怪訝に思い、なんとなく隣人の視線をおっていたのをそばの横顔にむけなおした。するとそこにあったのは横顔などではなく、こちらをながめるふたつの瞳である。

「いいか、ヴァニラは、ひとりでできないようなやつじゃないんだ」

 くっきりとした発音、まるで言い聞かせるような調子でファングが言う。ライトニングがそれに面食らったのはたったの一瞬で、すぐさま彼女の主張したいことを理解した。そしてそれは、すでにライトニング自身わかりきっていることだった。つい視線をそらし、それを返事とうけとったファングがふんと鼻をならす。

「……私はおまえを守りたいんだ、ってか?」

 身に覚えのある台詞だった。ライトニングはかるく舌打ちをして肩をすくめる。

「盗み聞きか、いい趣味だ」
「枕元でぼそぼそ話されちゃ、聞きたくなくても聞こえちまうさ」

 今回ライトニングがやられた原因。それは、戦闘中にヴァニラに襲いかかろうとした魔物のまえへと不用意にとびこんだせいだ。ヴァニラだってもちろん反撃の用意をしていた、ライトニングにもそれはわかっていて、しかしからだが勝手にうごいてしまった。
 だからヴァニラがあやまるようなことではなかった、今回の件は単なるライトニングの判断ミスで、けがの原因は自分自身にあるにきまっているのだ。しかし見た目ではまるでヴァニラをかばいけがをしたような構図となり、それはヴァニラが自責するにたる状況だった。

「いいか、ライト。おまえが余計なことをしなきゃ、さっきはみんな無事だった。ヴァニラにあんな顔させることもなかった」

 ファングは、きょうだけではないと思っていた。戦闘中ライトニングの気がそれることがつづいていて、その矛先はいつもおなじだった。いつかこうなると思っていた。ことがおきるまえに忠告しておくべきだった、とすこしの後悔が彼女の脳裏をよぎる。

「……私が陣形をくずしてる、ってことか?」
「まあ、そのとおりだな」
「私が足をひっぱってるのか」
「いや、むしろ逆かな。おまえぬきで今後やってけるとは思ってねーさ。だからこそ、こんなところでなんかあってもらっちゃこまるって話」
「……」

 ライトニングはおしだまり、鞘におさめていた軍刀をとりだす。かしゃん、と音をたてて組みあがったそれは、血にまみれていた。魔物のそれだけでない、自身の腕からしたたったものもこびりついていた。ちゃんと手入れをしておかないと、と、場ちがいな思考をめぐらせる。現実逃避にちかい行為であることは自覚していた。

「きょういちにちはメンバー固定でいくつもりだったが、しかたねえ。おっさんとでもかわってもらえ」

 そんで、すこしは頭ひやしな。言い捨てるように、ファングがたちあがる。ヴァニラのやつおせーな、ちょっとさがしてくるわ。それからつぶやいたかと思うとさっさとあるきだし、もうライトニングを顧みることはない。ファングの主張はすべて正しかった、すべて、ライトニングがおかしくなっているのだ。

「――ヴァニラは?」

 だから、その背にそうたずねたのはただのわるあがきだ。それでもぴたりと歩はとまり、ややあって、肩ごしの視線がライトニングへとむけられる。ほぼかくれたままの表情は、よめない。

「そりゃ、つれてくさ。あいつにゃ問題はねーんだ。……それに」

 言いかけ、一瞬の間。ライトニングはことばをまち、ファングはまたライトニングから顔をそむける。……それに、あいつはあたしがまもるんでね。まるで挑発的なことばだった。

「……さっきと言ってることがちがわないか、おい、結局それが言いたかっただけか」

 唖然としてしまったライトニングは、半分ほどあきれてもうひとつたずねる。するとファングはこんどこそ明確にふりむいて、本気なのか冗談なのか判断しかねる顔をしてべえと舌をだした。もう半分もあきれた。

「おとなしくまってろよ、もしヴァニラがもどってきてふたりともいないんじゃ、心配かけちまう」

 おどけるように肩をすくめて、ファングは言いにげでもする調子でかけだした。ライトニングは、返事をする気にもならなかった。

「……なんなんだ、あいつは」

 ファングの姿がすっかりきえてからつぶやく。それから右手におさまるしまいわすれた軍刀を視界のすみに見つけ、眉がゆがむことを自覚した。そうだ、最後のほうはファングの個人的な感情に起因する発言だったとしても、それ以外はライトニングのことを、仲間のことを思った忠告だった。ライトニングは、ファングにおまえはなにがしたいのだとたずねられなかったことにこころの底から安心していた。だって彼女自身、自分の目的を把握しきれていないのだ。

(私は、守りたかった。セラが守りたくて、だからヴァニラを、私は、だから……)

 気づけば、片方だけたてたひざに顔をうずめていた。なんとまぬけでなさけない格好なのだろう。ライトニングはさけびだしたいくらいに気分をそこない、むなしくなる。ヴァニラを守るのは、ファングだ。だって私は、守りたかったセラを守れなかったんだ。
 かなしみなのかいかりなのかもわからない感情が胸につのる。いつかのことを思いだしていた、ひどいことをしたくせにすがりつく自分を、拒否することもなくほほにふれてくれた。ヴァニラはやさしくて、とてもつよい少女だった。
10.01.13 きざし