てのひらにふれるやわらかな感触に目がさめた。あたりは暗闇で、空からのこころもとない光だけがたよりだった。かがやいているのははるかかなたにうかぶコクーンだろうか、うすくぼんやりと、視界がひらけている。

「大丈夫?」

 ふと、となりから声がかけられた。予期せぬ事態だったので、あわててそちらに顔をむける。寝ぼけているらしい、それもそうだ、いましがた、夢にうなされてとびおきたばかりなのだ。

「……ヴァニラ」

 そこにいた、声の主の名をよぶ。夜のなかで身をおこし、ヴァニラがすこしこまったような顔をしていた。
 つぎにはまわりを見渡す。ほかの仲間たちは寝静まり、昼間のつかれをとるのに必死になっているようすだった。それもそうだ、連日歩きまわって人影をさがしても、成果はおもしろいほどにあらわれない。夜だってテントもないような野宿を強いられて、効率よく疲労回復ができるような状況ではない。いままでいかにファルシに飼われていたかということが、こんなところでも身につまされた。

「……あの」

 ふと、ためらいがちなつぶやき。なんだと思ったところではっとした。すがるように、私の右手がヴァニラの片手首をつかんでいた。ねむりから覚める瞬間に見つけたやわらかさの正体はこれか。あわてて手をはなしてすまないと言ったら、奇妙な気まずさがうまれてしまった。

「うなされてた」

 そんないやな空気を払拭するように、少女は端的にそう言った。それは、暗に自分がおきている理由を説明していた。つまり、私がこの子の安眠を妨害したということだ。すまないとまたあやまったら、ヴァニラはかるく首をふる。そもそも、文句を言うような調子ではなかった、むしろ言いわけでもするように、ヴァニラは私に説明したのだ。

「セラ、って」

 不可解なその態度を怪訝に思っていると、唐突に思わぬ名がとびでた。ぎょっとしてヴァニラを見ると、その子は伏し目がちになって顔をかくすようにしていた。

「……私が、そう言ったのか」

 ヴァニラはうなずく。思わずため息がもれた。おそらく、うなされるついでになさけない寝言までとびでていたのだ。いやな夢であったことは覚えていたが内容はさだかでなく、しかしいまのではっきりした。セラを信じてやらなかったことをずっと悔やんできた、そしてそれは夢のなかでもいっしょなのだ。弱味を見られてしまった気がしてはずかしかった。
 それになにより、きっと夢のなかでセラの腕をつかもうとしていて、それなのに実際つかんだのはヴァニラの手首であると言うことがふしぎなほどうしろめたかった。ふたりは全然ちがう、セラのほうがかしこそうだし、おちつきだってある。おまけにセラのほうが美人だ。……最後のは、ひょっとしたら身内のひいき目かもしれないが。

「ごめんなさい」

 また唐突に、予期せぬ発言だった。私はまばたきをせざるを得ない。ヴァニラは、基本的に会話のリズムが独特だ。思いついたことをすぐにつぶやく、だからそこかしこに話がとぶ。たまについていけないが、それほど話をするのがすきでない私にしてみればよくしゃべる仲間は重宝した。そもそも、ヴァニラは話し相手に私をえらぶくらいなら当然のごとくファングのところにいくのだ。だから私は、この子の話し方になれていない。
 なにがだ、と謝罪の理由をたずねようと思った。しかしすんでのところで気づいてしまう。きょうにかぎっては、話があっちにいったりこっちにいったりはしなかったようなのだ。ヴァニラはごめんなさいと言って、それはきっと、セラのことだった。

「そのことは、……もういい」
「よくない」

 気づかぬふりをしようかと思ったが失礼な気がして首をふると、ヴァニラは思いのほか強情だった。ごめんなさいともういちどあやまる声がして、私はまいってしまった。ゆるしているのかと問われればうなずけない、しかし、あやまってほしいわけでもない。どうしてほしいわけでもなかった。だって、どうしたって時はもどらない。

「話はファングからきいたし、そのときあいつにもあやまられた。それですんだんだ。もういいんだ」
「でも、わたしはまだあやまってなかった」
「おまえのぶんもファングからあやまってもらった。ついでになぐったし……」
「なぐったの?」

 ぴょん、とふせていた顔がとびあがってぎくりとした。その一瞬後にはしまったと思う。ヴァニラとファングは、傍目で見ているだけでおたがいを大切に思っているとわかった。ファングが特に顕著だったが、ヴァニラだってもちろん相方を想っているにちがいなかった。そんな大事なひとをなぐったときかされたのだから、おこるのは当然のことだ。

「いや…まあ、かるく。一発だけ」
「じゃあ、わたしもなぐって」
「……」

 そうきたか。ヴァニラはぎゅっと目をとじて待機する。おいおい、と思った。なぐれるものか。この子は仲間で、だから守りこそすれ傷つけるような真似ができるはずがない。そう思いついて、一抹の違和感を覚える。ファングをはたいたときはまったく躊躇もしなかったのに、ヴァニラにおなじことをするとなると異様なほどためらわれた。あのときのファングとは出会ったばかりで、いまのヴァニラとはそれなりにいっしょにすごしで情がうつっているからだ。推論は簡単に思いつくが、なぜか納得しかねた。まつげがふるえている、ほそい肩がちぢこまっていた。下手をすればキスでもまっているかのような風体で、ヴァニラは身をかたくしているのだ。そうだ、少女そのものである顔立ちと、ほそくてたよりないからだで。
 唐突に自覚した。さっきは、セラとヴァニラは似ていないと思った。でもちがった、わざわざ比較してちがうところを見つけようとしていたのは似ているからだ。年齢も背格好も、ふたりはとてもちかい。守りたかったセラと、ヴァニラはとてもちかい。そんなこの子を、私はなぐれるはずもないのだ。

「ヴァニラ」

 思いついた途端、私のからだは勝手にうごきだしていた。名をよび、ほほにふれた。身構えていた肩がびくとふるえて、しかしくるべく衝撃が自分をおそわないことにとまどってか、ヴァニラがそっと目をあけた。

「なぐらない」
「どうして」
「なぐりたくないからだ。私は、おまえにそんなことをしたくない」

 口も、すきなことを言いはじめる。指先をやわらかなほほにすべらせ、なでた。まるでセラにするようなやり方だった。かわりにでもするつもりなのだろうか、なんてあさましいのか。私は自嘲したかったが、ヴァニラが拒否しないのをいいことに指先が髪にまでふれるばかりだった。

「……私は、おまえを守りたいんだ」

 目を見つめていた、まるで真摯な思いをつげるようだった。でもそれは疑わしい、私はきっと、セラを守りたいだけだ。ヴァニラは私を見つめかえし、わずかに呆然としているようにも見える。それでいい、私の戯れ言なんて聞きながしてほしい。だけど、動機はどうあれヴァニラを守りたいと思うことだけは真実だ。それだけは本当のはずだ。自分に言い聞かせるようにこころのなかでつぶやいて、私はあまえるように、セラの面影にふれつづけた。
09.12.25 とおく
序章っぽく。つづくかはしらん つづきました