汽車にゆられて数時間、あるきはじめて数時間。たどりついたのはさびれはてた農村である。吉備桃香はぬるいひざしをおとす空を見あげた。
(……いなか)
もといた場所だっておせじにも都会とは言えなかったがここはそれとはくらべものにもならない。桃香は肩にかけたかばんをもちなおしてため息をついた。それに気づくものはひとりとしていない。そもそもひとがいない。
ポケットをあさってかみきれをゆびさきに見つける。手書きの地図。几帳面な線と字でできたていねいなみちしるべである。それと、目のまえの建物を見くらべた。
「ぼろい教会……」
白い外観がうつくしいが、それは多少くすんでいてふるびた空気をつくっていた。かたむきかけたポストのそばからのびている柵ははんぶんほどこわれてなくなっている。なんだここは。桃香は本日何度目になるかわからないため息をついた。それからそっと敷地内へあしをふみいれた。やねのうえにほこらしくそびえている十字架がみょうにおもくるしかった。
「しつれいします……」
おもたいドアをおす。ぎい、とおおげさな音がなってなかにひかりがさしこんだ。だれもいない。思ったとおり暗くて、思ったよりきれな内装。顔だけのぞかせたドアをおしきってすすんだ。そういえば教会なんてところにはいるのははじめてだ。桃香はかすかに息をのんで歩をすすめる。きしきしと床がなるから、やっぱりふるい建物なんだと再認した。というのに、天井のそばのかべにはめこまれたステンドグラスはどこまでもすきとおっていて見とれそうになる。へんなところだ、教会ってのは。桃香は心中つぶやいて、それからいちばんおくにたつ像を認めた。きっと教会と名のつくすべての建物に設置されているのであろう銅像。なんて言ったっけ、たしか。
ぎい、と背後で音がした。反射的にふりかえればさきほどしめたはずのドアがひらいていた。それだけじゃない、ひとがいる。ぎくりとした。
「あ、あの」
べつになにをしたわけでもないのにあせった。声がうらがえってしまって、それからことばがでてこない。目をしばたかせてごくりとのどをならしているあいだに登場した人物はゆっくりと桃香にちかづいてきた。
「こんにちは」
それからさわやかな笑顔とともにさわやかなあいさつ。桃香ははっとして会釈した。
「すみません、こんなかっこうで。ちょうど畑仕事をすませたところで」
ほんとうはこんなかっこうでここにははいりたくないんですけど、ひとの気配がしたもので。笑顔をはりつけたままさわやかに言う。い、いやウチはまったくもってかまいません。そう言ってからそのひとのみなりを観察した。うでまくりをしたつなぎ服のポケットに軍手をいれて、くびのうしろには麦わらぼうをひっかけている。ながめの髪がひとまとめにされてたばねられ、ふっとすこし土のにおいがした。
「ここになにかご用でも?」
「え、あ、ええっと」
いつから自分はこんなに急展開によわくなった。桃香はさきほどからまったくおちつかない動揺をのろった。
「あ、もうしおくれました。私はここで牧師をさせていただいております雉宮というものです」
「牧師さん」
「ええ」
いまいちど農民のようなかっこうをしている自称牧師を見た。さわやかな笑顔が、急にさきほどみた銅像の表情とかさなった。そうだ、たしかあれはマリア像。
「あ、桃香さん」
背後からよぶ声。桃香は再度ぎくりと心臓をならしてからふりむいた。こんどはなんだ。はんぶん涙目で声の主をさがし、するとそこにいたのはもとめていた人物。
「わ、わんこ」
ひさびさに再会した友の愛称をよぶ。教会のおくのほうからあらわれた見なれたウェーブがかった髪を見つけて桃香はほっとした。しまった、いまほっとしすぎてまぬけな声がでていたかもしれない。
「あれ、犬神サンのしりあい?」
「はい。あのほら、きょうくるってお話してあったと思うんですけど……」
「なんの話?」
「……、きのうたしかにわかったっておっしゃったじゃないですか……」
桃香をはさんで話すふたり。中心で右と左をきょろきょろしている話題の中心人物。ものわすれを指摘された牧師殿はあごにゆびをあてて数秒記憶をたどるそぶりをする。それからぽんとてのひらをたたいた。
「ああ、言ってたね。あした労働力がとどくって」
「わ、わたしはそんな言いかたしてないです」
「ふうん、キミが吉備桃香サンね」
さきほどまでのさわやかな表情を一変。雉宮牧師は意地のわるそうな笑みでもって桃香をじとりと見た。さっき畑からだれかが教会にはいってくのが見えてさ。どろぼうかと思っていそいでもどってきたんだ。そしたら案の定挙動不審で身元不明な人物がひとり。ふつうこりゃ現行犯逮捕だなって思うでしょ、ねえ犬神サン。
桃香の状況を把握するスピードと状況の展開していくスピードがまったくつりあっていない。桃香はとりあえず牧師を見た。マリア像を思わせたやわらかい雰囲気はきえさり性格のわるそうな目もと口もとだけが存在した。
「あんただれ……」
つぶやいたところで、だから牧師って言ってるでしょ、というめんどうくさそうな返事がかえってきただけであった。