「ここが桃香さんのへやになります」
案内されたところは、ひろくはないが、ベッド、ランプ、クローゼット、その他もろもろがそろっており、すむに充分たりたへやだった。あの牧師に何年もつかってないへやがあるからそこをつかうといいと言われたときはどんなうすよごれたところにつれていかれるのかと思ったが、いま目のまえにあるのはふるめかしいにしても手いれのとどいているように見えるへやである。
「あ、きれいにしといてくれたん?」
ひととおりみまわしてからふりかえった。へやの入り口にたっている犬神五十鈴は、桃香の問いににこりと笑った。その笑顔はおとなびているところをのぞけば学生時代と寸分かわらない。あいかわらずやわらかく笑うひとだ。
「すまんな、いろいろ」
「いえ、そんな」
あらたまってかるく頭をさげる桃香に、五十鈴は首と両手をふった。おそらくいまの謝罪はすべてのことをふくんでいる。
「ここにきてもらったのは、わたしがたのんだからですし。びっくりしたでしょう? あんまりいなかだから」
「そりゃあ……まあ。でもたすかったんよ、ほんとに。まえつとめとったとこクビになってからぜんぜんあたらしい職場見つからんでな」
わんこから手紙きたときは運命か思ったわ。きまりがわるそうにほほをかいて、桃香は背後にあったベッドに腰をおろした。すると五十鈴も、失礼しますとことわってからすっとへやのなかにすすんだ。しずかにドアをしめて、無造作におかれたいすをもってきて桃香とむかいあうようにおいてそれにすわる。それから、もうしわけなさそうにまゆをさげた。
「でもすみません。先生ったら、……すなおな方で」
先生とはあの牧師さまのことだ。さきほどここではそうよぶようにと言われたばかり。桃香はやつのことを思いだして顔をしかめた。なんだってこんな片いなかにきたの。へえ、失業。じゃあ三食やねつきのここは魅力的だったわけね。でももう後悔してるんじゃない? つとめさきがこんなへんぴなところのぼろい教会だなんてさ。いやになったらすぐでてっていいからね。人手は私と犬神サンでどうにかなってんだよ、ほんとは。いやみたらしい口調と声でもって再生される。げんなりとした。
「あいつ…なんなん? なんや二重人格やし」
「……あはは」
「だいたい牧師て、女でもなれるもんなんか?」
「あ、それは、大丈夫です」
「そうなん?」
「女性の牧師さまもたくさんいらっしゃいますよ」
「へえ……。でもそれにしたって、あの性格のわるさで牧師て……」
「キミはどうやら牧師と神父を混同してるみたいだね」
とうとつに、ふたり以外の声がした。いっせいに声がした方向をふりむく。ドアがひらいていて、そのすぐそばのかべに雉宮牧師がよりかかっていておどろいた。五十鈴はたしかにドアをしめた。あける気配なんてしなかった。いつのまに。桃香はつぶやいた。
「きてそうそうひとのかげ口とは感心しないね」
「あんたこそ、ひとのへやに勝手にはいってぬすみぎきかい」
「……キミは自分の立場がわかってないみたいだね。そもそもここは私の所有してる建物の一部なんだから勝手にあつかってとうぜん」
「なんじゃそのへりくつは」
「ふ、ふたりともおちついてください」
にらみあうふたりのあいだに、五十鈴がよわよわしく仲裁にはいる。そこでいったんふたりはくちをつぐみ、それから牧師はため息をついた。
「神父ってのは、たしかに男しかなれないね。Fatherって言うくらいだし。でもそれはカトリック系の話。うちはプロテスタント教会なんだ。だから司祭の呼称は牧師。これは神父とはべつものなんだよ。そもそも牧師は聖職者じゃない」
村人たちのよき理解者、指導者であるのが仕事なんだ。わるいけど私は神に人格までうりわたす気はないんだよね。牧師は肩をすくめてみせた。どうやらいまの長台詞の後半は、さきほどの桃香の性格がわるいイコール牧師失格というニュアンスの発言にたいする反論らしかった。桃香は初対面の瞬間のやつのなごやかな表情を思いだした。つまりあれがよき理解者、指導者としての顔で、仕事のあいだそれをたもっていれば本性など関係ないのだということらしい。極論だ、と桃香は思った。
「ま、どうでもいいけど。そんなことより、そろそろ夕食の時間だから。わかったね犬神サン」
「あ、はい」
言いたいことを言って満足したらしい雉宮牧師は、ひらりと手をふってへやをでていった。
「……なんじゃあいつは、えらそうに」
「じっさいえらいです。先生は雇い主で、わたしたちは雇用者ですから」
「ん…まあ。そうじゃけど」
「桃香さん、郷にいっては郷にしたがえ。ここでは先生がぜったいです」
「……」
「それに、あんな言い方ですけど、わたしたちに仕事をおしつけて楽をしようだなんてゆめにも思ってない方です」
はたらきものなんですよ、先生は。にこりと五十鈴が笑った。桃香はしゃくぜんとしないままうなずいて、みょうにあいつの肩をもつなあと思った。
「そういや、あんたなんでこんなとこではたらいとるん? しかも……」
あんないやみな女とふたりで。そう言いかけてからやめた。郷にいっては郷にしたがえ。ああ、と桃香は思った。ストレスでしぬかもしれない。
「はい、えっと、わたしの父が先生のおとうさまと生前懇意にさせていただいてたんです。それで、わたしもちいさいころから先生となかよくさせていただいてて」
「ふうん……」
ちらりと見たちいさなまどのむこうには、もうしずみかけた夕日があった。そういえば、もう夕食時なんだったか。桃香はゆっくりときょうのことを思いだしてうんざりとした。いやなことばかり。そもそも長時間汽車にゆられさらにはてもなくあるきづつけたのだ。いま気づいたが、かなりつかれている。それというのも。
「そういえば、桃香さんちょっとおそかったですよね。ここに昼ごろに到着するバスが駅からでていたはずなんですけど。地図といっしょにお送りした手紙に書きませんでしたっけ」
「あ、うん、いや、のりおくれたんよ」
「えっ」
「あのバス、いちにち1本しかでとらんのやね。やけん、あるいてきた」
「あ、あるいてですか。あの距離を」
すごい、と目をしばたかせている五十鈴にあははと笑いかける。それというのも、バスにのる小銭すらなかったせいだ。なんて言えるはずもなく。そうだ、自分には金がないのだ。桃香はいまさらながら自覚した。
「さ、わたしは夕食の準備にとりかかりますね」
「……ぜひおてつだいさせてください」
どうやら自分は、どんなに雇い主が気にくわなくてもたえるしかないのだ、と。