水をやったせいでぬれた葉が初夏のひざしにてらされてきらきらとゆれる。桃香はしゃがみこみふとく地にはっている茎をゆびさきでなでた。なかなかひろい範囲にひろがる畑。数種類のやさいがここでそだてられている。見わたして、また手元に視線をもどす。偶然桃香がここにきた日にうえたのだと五十鈴が言っていたかぼちゃの苗。まだ実はつけていないがみるみるうちにそだっている。つまりそれは、桃香がここにきてみるみるうちに時間が経過したということだった。
 きょうは日曜日だ。桃香はひょいと顔をあげた。さえぎるものがないからここからは教会の全貌を見わたせる。すこし勾配のある小道のはてにたつ白い建物が、青くすんだ空のなかにうかんでいるのだ。しんとしてかわいた空気。これのなかで、いまちょうど礼拝がおこなわれている。

「……あっつい」

 首にかけたタオルであせをぬぐう。このごわごわした感触にももうなれた。
 教会のうらの、ほぼ教会と同一の建物と言っていいわれわれの住処にもどる。ひざしにさえぎられたやねのしたはすずしい。頭にのせた麦わらぼうをとって玄関先のたなにとりつけられたフックにかけた。そのままキッチンに直行して、かごいっぱいに収穫したきゅうりを床におく。

「あ、おつかれさまです」

 そこでちょうど五十鈴が登場した。白いブラウスに黒のスカート。礼拝の日の彼女の正装だ。ただしおとなしい服装であることはいつもとかわらない。五十鈴はかべにかけられたエプロンをとる。もうそろそろ夕食の時間なのかな、と桃香は思った。さいきんは日がしずむのがおそいのだ。

「おつかれ。これ、きゅうりな」

 あしもとをゆびさしながら言う。とれたてのやさいは、たぶんこんやの食卓にならぶのである。

「ありがとうございます。上手にそだちましたね」
「まあ、ほとんど先生のおかげじゃけどな」
「でも、さいきんは桃香さんにお世話をまかせっきりにしてるみたいですし」

 先生、桃香さんのこと信用してるんですよ。うれしそうに五十鈴が言う。どうして彼女がよろこぶのかはわからないが、たしかにさいしょのころはほぼつきっきりで畑の手いれの仕方を教えられていたがいまはほとんどくちをだしてこない。だまったら五十鈴がふふと笑ったので、てれかくしに頭をかしかしとかいた。

「てか、先生人手はたりとる言っとったくせにあきらかに人手不足じゃろここ」
「先生、自分でできることはぜんぶ自分でやりたいひとなんです。だから先生にとってはわたしだっていらないくらいで、自分がいればそれで大丈夫だってかんがえてらっしゃるんです。でも、そんなことになったら、先生がたおれちゃうでしょう?」
「……ようわからんやつやね。ひとにたよるんがきらいってこと?」
「そういうわけでもないんですよ。ただ、加減をしらないというか」
「はたらきもの、ってこと」

 まえに五十鈴が言ったことばだ。不本意ながらおそらくそれはまちがいではない。はらだたしい調子ではあるがていねいに作業の仕方をおしえてくれたし、牧師をしているあいだの彼女はかんぺきなのだ。ここにきて数ヶ月、これまた不本意ではあるが桃香のなかでの雉宮像は多少なりともかわってきていた。かと言って、なぜ五十鈴が雉宮牧師をあそこまでしたっているのかは納得しかねた。まあ、このあたりには多少の個人的な感情が作用しているかもしれない。

「犬神サン」

 ちょうどそのときうしろから声がした。ふりかえれば案の定牧師がたっていた。

「あれ、キミもいたの」

 目があう。カラーのとおった襟の、しかつめらしい黒い服装の牧師。くびにかけた十字架が、まどからさしこむ赤くなりかけたひかりにてらされてまぶしい。こちらもまた五十鈴のように礼拝の日のための正装である。ふだんはそれでいいのかと言いたくなるほどラフなかっこうをしているくせに、この日ばかりはまさに牧師さまだ。

「おつかれさまです、先生。見てください、桃香さんがこんなにたくさん」
「わ、わんこ」

 まるで母親が父親にこどもが学校でつくってきたものを見せるような調子だ。思わず赤面していると、牧師がひょいときゅうりのやまをのぞいた。それからふうんとはなをならす。

「いくつか、そだちすぎのがあるね。あんまりおおきくなりずぎるとおいしくない」

 こないだ、そろそろ収穫時だねって言っといたのわすれた?と、それからため息をつく。ざんねんながら、わが家の父親はがんばったこどもをほめるということをしらない。

「……そりゃあどうも、すんませんでしたねえ」
「それにしても、きゅうりとれてたんなら言ってくれればよかったのに。はい、犬神サン」

 うえ、と舌をだす桃香を無視して、牧師はそこで手にもっていたつつみを五十鈴にわたした。

「あ、これ」
「パン屋のご主人がね、くれたの。さっき。しってたらおかえしにあげれたのに」
「わ、おいしそう。よかった、夕食用のパン、ちょうどかってこなくちゃと思ってたんです。こんどパン屋さんにいったときにおれいをしておきます」
「ああうん、じゃあそのへんのことはよろしくたのむね」

 雉宮牧師はかなり人望があついようすだった。きょうのようにものをもらうことはすくなくない。ただしそれもすべてかの牧師としての彼女の実績だ。彼らはやつの本来のすがたをしっているのか。おそらくしらないだろうが、現状それはまったく問題になっておらず、すなわち牧師の気にくわないロジックはいまだ正しさをたもっているのだ。なんだかなあ、と思う。

「それじゃ、私はおくにいるから」
「はい、準備ができたらおよびします」

 さっさとキッチンからすがたをけす牧師を見送ってから、桃香ははあとため息をついた。

「わるかったな、収穫時がわからんで」
「で、でも、ほとんどのはちょうどいいかんじです。おいしそうですよ」

 もうないうしろすがたにむかって舌をだす桃香を、五十鈴がなだめる。

「それに、ちょっとそだちすぎちゃったきゅうりは、おしょうゆでにこんで、煮汁をあんかけにしてかけてうえにおろしたしょうがをのせるとおいしいんです。ひやすととくにおいしいので、これからのあつい季節にはぴったりですよ」
「ふうん。わんこ料理くわしいんじゃね」

 まえから思っていたことをなんの気なしに言ったら、なんどか目をぱちぱちとしたあと五十鈴は苦笑した。私が先生にしてあげられることはこれくらいですから。それからそんなことをさみしげに言うから、桃香はついくちをつぐんだ。やっぱりこのふたりの関係はよくわからない。

「そういえば、桃香さんはもう礼拝にはでられないんですか?」
「え、あ、うん。こないだでこりたわ」
「たいくつでしたか?」

 話題の変換にほっとした。反面、さきほどの話はやはりしたくないものだったのだろうかと思った。

「まあ、たいくつっちゅうか、緊張するっちゅうか」

 まえにいちどだけ、礼拝にでたことがあった。じっさいは、字面ほどかたくるしいものでもなかった。牧師が聖書をよみきかせ、なやめる子羊たちの話をきいてそれにアドバイスをしてやる。思ったより和気あいあいとした雰囲気で、しかしそれでもキリスト教徒ではない桃香にとっては肩のこる空間だった。ふとあのときのふたりを思いだす。神をしんじるものとしてのふたり。ああいったところを見ると、自分がここにいることが奇妙に思える。無宗教者が、教会で、牧師のもとではたらいていてよいものか。

(まあ、やっとることはただの畑仕事やけど)

 そういえば、と思う。そういえば、雉宮牧師は桃香がくるまで畑仕事をしていた時間をいまはなににつかっているのか。思いかえせばいまのようにおくにいるといって自室にこもっていることがおおい。五十鈴の話からすれば仕事をしていることはわかるがいったいどんな内容のことをしているのか。

「……」

 ふと、初日に言われたことを思いだした。いいかい、自分のへや以外のドアをあけちゃだめだよ。私のへやや犬神サンのへやはもちろん、ほかのへやもね。それがみんなのためなんだ。この意味わかるね。当時は、自分にひとのへやをのぞくような悪趣味はないと憤慨したところだったが、あのことばにはもっとほかの意味があったのではないか。そもそも、雉宮牧師と五十鈴は、どうひいきめに見てもただの竹馬の友であるふうには見えない気が……。

「あ、桃香さんって、ピクルス大丈夫でしたっけ」
「えっ、おお」
「よかった。先生の好物なんです」

 いつのまにか五十鈴は夕食の準備にとりかかっていた。包丁をテンポよくうごかしているうしろすがた。

(……ま、あの先生がみょうなんはいまわかったことやないか)

 桃香はおそまきながらうかびあがった疑問に、とりあえずそういう結論をつけることにして、五十鈴のてつだいでもしてみようかと思いつく。そして結局、夕食をたべおわるころにはすっかりその疑問は散漫しきえさってしまったのだった。
 
07.11.01