「わんこー」
夏も本番である。ひるさがりのにくらしいほどの晴天が桃香をみおろし、じりじりとはだをやいた。桃香はもうおなじみの麦わらぼうのつばをかたむけてかげをつくりながら五十鈴に手をふった。教会のうら。
「桃香さん」
そこはひらけていてちょうど庭のようになっている。洗濯物がかぜにさらされていた。ひととおりおわったところらしく、五十鈴はバスケットをかかえてなかにはいろうとしていた。桃香はかげのなかにいる五十鈴にかけよる。
「どうしたんですか?」
「おー。ちょお先生にききたいことあって。先生なかにおるじゃろ?」
「はい、……あ、いえ」
五十鈴が一瞬表情をくもらせてうつむいた。意外なこたえ。それ以上に意外な表情。
「え、おらんの?」
「えっと……はい」
「そおなん? ウチずっと畑のほうおったけどでてったん気づかんかったわ」
そう言ったら五十鈴がだまってしまってこまった。まずいことだったのだろうか。うつむいている五十鈴の視線をおったら、ひなたに教会のやねからはえる十字架の黒くこいかげがななめにみじかくのびていた。
さいきんやっと気づいたことがある。牧師はたまにいなくなる。それはきまって昼間の話だ。といっても、夜のことは桃香が認識しきれていないだけかもしれないが。それを思いだすと、連動して牧師がいつもおくにこもってなにをしているのか、という疑問も再浮上する。しかし、それらのことにはふれてはいけないことなんだと思う。すくなくとも、桃香にとっては。五十鈴のいまの表情がそれをもとめている気がした。彼女は、こんなにもかくしごとがへただっただろうか。
「あー。えっと。まあ、おらんならしゃあないな」
つい視線をめぐらして、ふと目のはしにうつったものをゆびさした。
「あ、あれ」
五十鈴もそちらを見た。いくつかならぶほそながい植木鉢。ちいさな花がうえられていた。五十鈴の趣味だと牧師が言っていた。だから、あれには手をだすな、とも。
「なんちゅう花じゃったか。きいたけどわすれた」
「えっと、ゼラニウムです。そろそろ、さくんですよ」
「ふうん。何色?」
「それは、さいてからのおたのしみです」
にこりと五十鈴がわらったからほっとした。やっぱりこいつには笑顔がいちばんにあうなあとなんとなくかんがえてからはずかしくなった。
「ところで、先生にききたいことって、なんだったんですか?」
「え、あっ、わすれとった。なんや、かぼちゃの葉っぱにちっこい虫いっぱいくっついとるんよ。どうしたらいいんかわからんで」
「え…、それちょっと、あぶないかも」
「やっぱ?」
とりあえず手作業でとりのぞきましょう、わたしもてつだいますから。五十鈴があせった声をだしたから、桃香もやっとあれが危険な状況なんだと把握した。それからふたりでいそいで畑へはしった。
というのが、きのうの話。
「罰って、ただの口実じゃろ……」
桃香はかなづちをもった手首をまわした。木の柄のさきにくっついた黒い金属が遠心力でよけいおもく感じる。つみあげられた木の板。かたちはしっかりととのえられている。ちなみにととのえたのも桃香だ。そのへんにころがっているのこぎりをながしみた。
(私のたいせつなかぼちゃを危険にさらした罰。あしたの午前中のうちに教会のまえの柵なおしといて。材料と道具はあるからすきなだけつかっていいよ)
ついでだから、ポストかたむいてんのもどうにかしといて。きのうの夜に例の虫事件の報告をしたらそうつめたく言いはなたれた。思いだして、桃香はかなづちをにぎる手にちからをこめた。それからいやいやとくびをふる。わるいのは自分なのだ。かぼちゃの異変にはやく気づけなかった。そういえばさいきん仕事になれてきてちょっと気がぬけていたかもしれない。とりあえず、かぼちゃが無事でよかったとかんがえるのがただしいはずだ。
(……どうにもなあ)
おそらく、あの牧師とは相性がわるいんだろうと思った。彼女が言っていることはたいていただしい。しかし、どうにもすなおにそれをうけいれられない。やつのあのえらそうなもの言いがひとつの要因なんだろうが、われわれの関係上、それすらもただしいのだ。ふうとため息をつく。
「むかつくもんは、むかつくしなあ」
よいしょ、とかなづちを板にたつくぎの頭にめがけた。しかし、かんがえごとをしながら大工仕事をするものではないのだ。つぎの瞬間おそってきたのは、くぎをうつ小気味よい音ではなく親指の激痛である。
「いっ……」
反射的に右手をひっこめたがもうおそい。ねらいがはずれるのはかまわない、しかしそれが自分の身体の一部に直撃するのは遠慮しておきたかった。おそるおそるのぞきこむと、つめがわれて血がにじんでいた。さいあくだ、と思った。しばらくにじむ赤を見つめてから、桃香はかなづちをくさのうえにほうりなげてたちあがった。
五十鈴はかいものにでかけていていなかった。しょうがないから自分で救急箱をさがすしかない。キッチンにあるたなをてきとうにあさったけど見つからない。ここにきてなかなかたつが、そういえばどこになにがあるかなんてまったくわからない。すべて五十鈴まかせだ。まいったな、と思っておくにすすんだ。五十鈴のへやにならあるかもしれない。
「…って、はいれんやんけ」
へやのまえにたどりついてから気づいた。鍵がかかっているじゃないか。そもそも、ひとのへやに勝手にはいるような教育はうけていない。桃香は傷口を見おろした。
(まあ、そんなひどいあれでもないし)
気にしないことにしよう。午前中にしあがらなくて牧師に文句を言われては桃香の精神衛生上ことだ。さっさと作業にもどることにする。そう思ってふと顔をあげて、なんとなく、気になってしまった。いちばんおくにある、木製のドア。雉宮牧師の、へやのドア。彼女はあまりになぞがおおい。ずっとへやにこもっている理由。たまにいなくなる理由。桃香はひとつとしてしらない。
「……」
いつのまにかちかづいていた。無意識にしのびあしになりながら牧師のへやのまえにすすむ。こんこん、といつもの調子でノックをしたが、なかからのリアクションはない。いるときなら、わりとすぐにでてきてくれるはずだ。桃香はごくりとつばをのんだ。ゆっくりと、ドアノブに手をかける。
(……げ、あいとる)
あっけなくまわったそれにすこしひるむ。それからふと、五十鈴の顔がうかんだ。彼女は、桃香が牧師のひみつをしることをきらっているのだ。
「……」
しかし好奇心にはかてない。桃香は、ぐっとドアノブをおした。