妙なのに懐かれた。いや恐らくその程度ではすまされないのではないか。ナディは、漠然とした確信が確かに心の奥底にあることを自覚していた。

「おはよう」
「……」

 電子音が鳴り響いている。目覚めのあいさつもそこそこに、ナディは枕元に手を伸ばす。指先になかなか目標を見つけられない。枕に顔を押し付けながらばんばんと手を動かすが、目覚まし時計は一向に手に収まらない。

(…う、うるさ……)

 止まない騒音に危うく発狂しそうになったところで、ひよこの鳴き声を極端に耳障りなものにしたような音の連続が途切れた。ほっとしたのもつかの間、はたと我に返り顔をあげると、目覚まし時計はベッドの上に座り込む少女の手の中にあった。

「ナディ、おはようは?」
「……おはよう」

 枕元に転がっていないのも無理は無い。それは少女が抱えていたのだ。持ってたなら、もうすこしはやく止めてほしかったわ。身を起こしながら、ナディは薄い色の髪をしたこの場に全くふさわしくないこの子へと呟く。少女の名前はエリスと言った。

「そもそもね、つっこみどころが山ほどあるのよ」
「なあに?」

 朝食はフレンチトースト。自然にふたり分作っている己が憎らしい、とナディはため息をつく。エリスは低いテーブルの前で正座をしてキッチンに立つひとを眺めていた。

「どうしてここにいるの? どうやってはいったの」
「鍵開いてたよ」
「げ、まじで」

 またかと思った。施錠のし忘れは稀ではなかった。ナディはなにごとにおいても危機感というものが極端に薄い性癖だった。それが原因で、と嫌なことを思い出す。努力はしていたはずなのだ、だけれどもいまいち真剣になれず、ナディは今現在二度目に受験生をやっていた。

「わたし、ナディの作るご飯すき」

 そんなことよりも、次のつっこみどころの話をしよう。彼女がいかにしてここに侵入したかはわかった。しかしもっと根本からして疑問符の嵐だった。

「あんたきょう学校は?」
「きょう日曜日だよ?」
「……ありゃ、ほんとだ」

 カレンダーをちらりと見ながらバイトのことを考える。きょうは二度寝をしなかったおかげで余裕がある。にんまりしながらふと気づいた。

「じゃあなんであんた制服なの」
「……えへへ」

 乏しい表情で、少女は笑った。
 ナディの、エリスについての知識は塵ほどしかない。エリスという名と、高校生であること。前者はこちらが自己紹介をすると素直に名乗ってくれた。後者のほうは例の制服からの憶測。彼女の住むアパートのそばにある公立の高等学校のもの。あっさりとしたデザインの中心にある細い真っ赤なリボンが特徴的なそれ。夏服なのだろう、薄い生地のしたがぼんやり透けて見えた。
 さっさと朝食を食べ終わる。と、いつの間にかナディの隣にはエリスがいた。先程までは確か向かい合って質素な朝食を囲んでいたはずだ。

(手が早いんだ、これが)

 ゆっくりと肩が押される。ナディはあまり抵抗をする気もなくされるがままだった。腹筋を使って押される力にあわせてゆっくりと身を横たえる。見下ろす瞳は、やはり感情を読み取れないほどうっすらとした表情しか見せてくれない。

「キス」

 冗談のようにエリスの唇が動く。それから、先程とは比べられないほど素早く唇が落ちてくる。それを掌で受け止めると、密かに閉じられていた瞼がはっと開く。それが少しかわいかったので、薄くてしかたのない制服の上から細い腰を撫でると、掌の向こうの唇が震えた。手が早いんだ、そのくせ、あたしがさわると嫌がるんだ。

(おもしろくねー)

 エリスの唇が触れた掌をなめてから、腕を伸ばして抱き締めた。やはりエリスは震えているし、舌の先は全く味を感知しなかった。

「あたしさあ、恋人いるのよ」
「ふうん……」
「年上のね。ええと、ひとまわりくらい」
「女のひと」
「そうよお」

 赤い髪に櫛が通る。わたしがやりたい、とエリスが言ったのだ。ナディはマスカラを睫毛にのせながら、鏡に映る自分の顔を通り越した向こうを眺める。

「ご飯とかね、すげえおごってくれんの。いいでしょ」
「わたしはナディの作ったご飯がすき」
「それね、ちょっとうれしいわ」

 彼女が高校生であることがただの憶測なのは、単に確認を取っていないからだった。細くて壊れそうだけれど、年は恐らくそれくらいだろう。さらには制服を着用しているのだ。間違いはないだろうが、ひょっとしたらコスチュームプレイを趣味にしている子かもしれない。そういう下らない、ちょっとした願望が憶測たらしめている理由なのだった。

「じゃあ、バイトいくわ。エリスも帰んな」
「わたし、もうちょっといる」
「だーめ、今度こそ鍵かけるんだから」
「わたしがかけておくよ?」
「だあめだってば」

 アパートの下で出会った。というより待ち伏せをされていた。こんにちは、と声をかけられて思わずこんにちはと言って、それからナディはもちろん自分の部屋へ向かったわけだが、その見ず知らずの少女は家の中まで、はたまたトイレの中にまでついて来たのだった。

(変な出会い方)

 すこしかわいかったんだもの、と自分に言い訳をしながら、エリスと一緒に扉の外側に立って、ナディはドアノブの中でキーをまわした。

08.07.06