「ぼくひとりに働かせておねんねなんて、いいご身分ですねえ」

 嫌味たらしい声にはっとした。顔を上げれば安っぽく白い室内で、入り口のそばではきれいな顔の青年が性格の悪そうな笑みを浮かべていた。

「休憩時間終わってるよ」
「……ほんとだ」

 壁にかかる丸いアナログ時計を流し見てから目を擦った。ぼくも早く休憩入りたいんだからさあ、さっさとでてきてくれる? 吐き捨ててL・Aがいってしまってから、ナディはまだ呆けている頭を撫でる。昨日は夜更かしをしすぎたなと少しだけ後悔した。

「はいはい休憩上がりましたー」

 暇そうにカウンターに立っているL・Aに声をかけると不細工な面だと指を差される。眠いのよと言い訳をしたら眠いときにそんな顔してるのより色っぽくかわいい顔してる子のほうがいいと思うよと言われた。この男に女子について語られると異様に腹が立つ。

「そんじゃあ栄養ドリンクおごってよ」
「ぼくが? どうして」
「金持ってんじゃないあんた。こんなコンビニでバイトしてる意味わかんない」

 ナディはL・Aの左腕に巻きつけられた銀色の時計をちらりと盗み見る。見るからに高級品。彼の所持品はブランド品ばかりだった。

「別にぼくが持ってるわけじゃないよ、ぼくの飼い主が成金なだけで」
「飼い主……」
「ちょっと、下衆な想像はやめてくれるかい、男だよぼくの飼い主様は」
「昨今はそういうのも珍しくないしねえ」

 金はくさるほど与えてもらえるが、いろいろな経験をすることも大切だとうるさいからアルバイトをしているのだと彼は言った。あの男はすきじゃないけど天使とも一緒に暮らしてるんだ、とも。この整った顔立ちの男は、たまに正気を疑うような単語をさらりと囁く。

(天使って……あほか)

 L・Aが休憩に入ってしまったせいで暇になった。時刻は午前一時。客はほぼこない。別に自分の金じゃなくても、使っていいんだから使うよ、悪いこととは思わないね。L・Aが先程当然の如く発した言葉を、ナディはまったくその通りだと思った。
 自動ドアが開く。ナディは反射的に、それでも気だるげにいらっしゃいませと言ってから客を見てげっと声を上げる。

「なんでくんの?」
「お客に対して失礼ね」
「客だってだけでばかみたいに態度でかいやつよりまし」
「あら、私は慎ましい客だわ」

 突然の登場を果たしたジョディは、13番のタバコ一箱と注文してから店内を見回す。クーラーがきいていて、客は彼女以外ひとりもいない。

「ぼけっと立ってるだけでお金がもらえるなんていい仕事だわ」
「自給安いけどね。眠いし」

 あくびを隠そうともしないで、ナディはタバコのバーコードを通してからそうだと言った。

「ねー、栄養ドリンクおごってよ。このまんまじゃあと二時間持ちそうになくてさ」
「あなた、予備校でも寝てばかりなのにまだ眠いの」
「昨日ずっと海外ドラマのDVD見てたら寝るの遅くなっちゃって。ね、おねがいブルーアイズ」

 顔の前で手を合わせれば、ジョディはため息をつきながらも簡単に頷くのだ。甘い人間だと思う。使っていいんだから使うよ、というL・Aの言葉を思い出す。ジョディはナディの為に金を使うのがすきなだけで、ナディはそれを利用しているだけだった。カウンターの中からすぐ前にある棚を指してそれがいいと指示をする。折角だからいちばん高いものにした。

「そんなものはきかないと思うけど」
「気分の問題よ、こういうのは」

 会計を済ませてからさっさとキャップを開ける。半分ほど一気に喉に流しこんでからやはりすきになれる味ではないなと思った。

「で、なにしにきたわけ?」
「タバコを買いに」
「こんなどこででも買えるようなもののためにわざわざこっちまで?」

 ナディは彼女の自宅を思いだす。ここと予備校をはさんでほぼ対極の位置に立つ高層マンション。ジョディの車でしかいったことがないから正確な距離は実感できないが、それでもなかなかここから離れていることはわかる。

「そうね、本当はあなたに会いにきたの」
「あたしが今日バイトかどうかもわからないのに?」
「あなた、自分で勝手に私のうちのカレンダーに印つけてるじゃない」
「……そうだっけ」
「ところで」

 急にジョディが話題を変える。おやと思う。どうやらここからが本題らしい。

「エリスって名前は、どこかできいたことがあると思ってたのよ」
「エリス?」

 思いがけない名前の登場に、ナディは最後の一滴まで飲み干そうと舌の上で振っていた濃い茶色の瓶の動きをとめてジョディを見た。

「エリスがなんだって?」
「ハインツ・シュナイダーって知ってる?」
「え……、と、テレビとかできいたことはある」
「きいたことある程度なの。あなたほんとに受験生?」
「もちろん、しかも二年目」
「……自慢にならないわ。ちゃんと新聞読んでる? テレビ欄以外も」
「新聞とってないもの。まあとってても多分読まないけどね」
「あなた、三浪しても大学受からないわ、きっと」

 有名な学者よ。諦めた口調でジョディが呟く。学者。それとエリスが一体どういう関係だというのだろうか。

「K大学、あるでしょう。今あそこで教授をしてるのよ」
「あー、あの山ん中にある。へえ、けっこう近くに住んでんだ有名人」

 地理的にいえば比較的近所であるとはいえ、ナディの偏差値から考えればはるか遠い大学の名だ。一度ふざけてそこの学生のふりをしてもぐりこんだことがある。確か講義も勝手に受けてみたはずだが、いくまでにバスと電車を乗りついでとても時間がかかったことと学食が安くておいしかったことしか覚えていない。

「んでさ、その有名人がなに。エリスと関係あるの?」
「ええ、シュナイダー博士には……」

 ジョディが言いかけたところで、カウンターの奥でかたんと音がなる。はっとして背後の壁にかかる時計を見るともうそろそろL・Aが休憩から上がる時間だった。

「あ、ごめんそろそろもうひとりのほう休憩終わる。あいつ自分が不真面目なぶんひとがさぼってたら余計文句言うのよ」
「へえ、あなたより不真面目な人間がいるの」
「うっせ。とにかく話今度きくわ。っていうか今日迎えにきて、二時間後。そのとききく」
「無理ね。私明日も早いもの」
「えー、けち」
「別にそんな大した話でもないしね」

 じゃあがんばって安時給。腕時計をのぞきながらいらぬ台詞を残して、ジョディはさっさといってしまった。それと同時にL・Aが奥の事務室から顔をだす。

「休憩おわりました」
「はいどうも。どうせずっと暇だったけど」
「あれ、これ」

 L・Aがひょいとなにかを手にとる。げっと思った。

「ついに商品に手出しちゃったのかい」
「……自腹切ったのよ、馬鹿にすんな」

 今はL・Aの手の中にある、カウンターに放置されっぱなしだった空の瓶。どうせならブルーアイズに捨てておいてもらえばよかったな、とナディは思った。
  
09.02.08