※中二病全開のファンタジーです
※人外設定ありです




 日常を退屈だと思うことはまれではなかった。いつかここからぬけだしてみたいと、刺激的でめまぐるしい非日常のなかにこの身をほうりこんでみたいと、常々思っていた。

「だからって、これはない……」

 若気の至りとしか思えないその思考を、いまさらながらシャーロットは後悔した。昼間だというのにおいしげる木々の枝が日光をさえぎっている。頭上ではきいたこともないなにかの鳴き声がひびき、さらには、目のまえにあるのは、不気味でしかたのない黒いかたまり。

(夢ならさめてくれ)

 気づかぬうちにきれていたほほから血がながれでている。ずきずきとひびくいたみは、この光景が夢ではないと物語っていた。
 きちきち、と、いやな音がひびく。ふとい樹木においつめられたシャーロットの目前で、巨大な蜘蛛のような影が前脚をふりあげた。瞬間。

「――」

 咆哮をきいた。シャーロットは死を覚悟してぎゅっと目をつむってしまったから、直後に轟音がひびいても頭をかかえて身をちぢめることしかできない。あと三匹。そのつぎにきいたのは、幼さののこる少女のうたうような声。
 彼女がまぶたをとじてからどれだけのときがたったのか、しんとあたりがしずまりかえったところで、おそるおそる頭をおおう腕をどかして顔をあげようとした。が、直後にまた奇妙な鳴き声が頭上にこだましてあわててもとの体勢にもどった。

「こんなところで腕も足もむきだしのかっこうだなんて、どんな神経してんだろうね」

 しかし、やっとのことで、なじみのあるものをきく。ひとの声、だった。シャーロットは、こんどこをがばりと顔をあげて声の主をさがす、が、そんなことをする必要もなく見つかった。それは、目のまえにたっていた。

「枝だなんだにひっかかって、傷がつきほうだいだな。よくもまあこんな森の真ん中までこれたものだ」

 べつの声、なぜだか、どこかぼやけたようなひびきをもっている。シャーロットの目のまえには、ふたりの少女がたっていた。金髪のショートカットと、ふたつにゆわれたながい髪、すこし身長差のあるふたり。そろって、マントをかぶって全身をおおっている。シャーロットは呆然と見かえすが、即座にわれにかえった。

「……おい、なんだよここ、どこなんだよ、なんなんだよ、いまの」

 あたしは学校にいくとこだったんだ、いつもどおりぎりぎりに家をでて、いきたくなくてしかたがなくって、だからって、なんできゅうにこんな森んなかにほうりだされるんだよ。混乱がきわまるまま悲痛な思いをうったえて、なんとかたちあがって背の高いほうにつかみかかった。いや、つかみかかろうとした。ひらりと身をかえされ、シャーロットはあえなく地面に顔からつっこむ。するとふたりの空気が、すこしかわった。

「……へんなやつだね、このひと」
「だいぶん混乱しているようだな。言ってることが、意味不明だ」

 地面にはりつきながら、納得しかねる会話をきく。そんなのは、すべてこちらの台詞だ。シャーロットはがばりと身をおこし、多少は冷静になった頭でかんがえる。現在、二対一で意見がわれている。すなわち、少数派であるほうの自分こそが、おかしなことを言っていることになる。まるで夢のようだが、夢でないのはひりひりいたむ左のほほがつげているし、なにより、こんなにリアルな夢なんてあってたまるか。シャーロットは、ゆっくりとふりかえる。

「……たすけてくれ、あたしは、たぶん別世界からとんできたんだ」

 我ながら、なんていたい台詞なんだろう。彼女は、こころの底から自分をはじた。
 やつらが訝しげな顔をしたのはたったの一瞬だった。すぐにむしろどこか納得いったような顔をして、ショートカットのほうに腕をさしのべられる。するとおさげのほうがすこしまゆをひそめた。しかしシャーロットの手をとる少女は気にもしないで、たちあがった彼女をじろじろと見た。

「へんなかっこうだねー」
「あたしにいわせれば、あんたらのほうがへんなんだけどな」
「それに、うん。ぜんぶがへんだ」

 あはは、とたのしげに笑ったその子は、エーリカ・ハルトマンと名のった。

「そんで、こっちがトゥルーデね」

 へんなかっこう、といわれた制服をあらためて見おろしていると、簡潔な自己紹介がなされる。シャーロットはおっとと思い自分の身分もあかすことにする。

「えっと。シャーロット・イェーガー。みんなはシャーリーってよぶ」
「ふうん、じゃあわたしも」

 ひとなつっこいほうが、にこにこ笑うので、現状の異常さをわすれかけるところだった。しかし、けわしい顔をしたもうひとりが、そんな少女の顔に顔をよせるので、シャーロットはぎょっとした。あるじ、と、彼女はそっと耳元でささやく。

「いいじゃない、森をでるまで案内するだけ。それだけだよ」
「しかし」
「だいじょうぶ」

 まるでいまにもキスでもしそうな距離で、ふたりはたんたんと会話した。見ているこっちがてれてしまった。まるで、一時でもはなれがたいと思いあうように、ふたりは距離をつめていた。それなのに、けっしておたがいにふれるようなことはない。違和感はあるのに、なぜかそれこそがあるべき姿に見えるなんて奇妙な話だった。

「……あの、二三、質問したいんだけど」

 どこか神聖なようすのふたりを邪魔するのは申し訳なかったが、こちらとしても話をすすめたかった。ふたりぶんの視線が一気にこちらにとんでくる。シャーロットは思わず肩をすくめてから、ゆびおりたずねたいことを言いつらねた。先程の黒いかたまりの正体は、やつらはどこへいってしまったのか、あんたらはいったい何者か、そもそも、ここはいったいどこなのか。

「ああ、そうだ。それから、最後にすごいのを見たんだ、目をとじる一瞬まえ、ライオンみたいなおたけびがきこえて、おおきな、狼みたいな竜みたいな、とにかくおおきなやつを見た。そいつが、あたしの目のまえにいた黒いのをぶっつぶしたんだ。あいつは、どこにいったんだ?」

 案外冷静に先程のことを思いだしながら、シャーロットはエーリカと名のる少女と、その子をあるじとよぶ少女を順に見た。彼女たちは、ずいぶんと訝しげな顔をしていた。

「……異世界からきたってのは、ほんとみたい」

 エーリカがつぶやき、隣人があきれたような顔でうなずいた。どれもこれも、常識中の常識だと彼女たちは説明してくれた。
 最初にシャーロットをおそったのは、ムシとよばれる存在だった。どこからくるのかもなんのためにあばれるのかもわからない怪物で、彼女たちの敵でもあった。だからぜんぶころしたのだとエーリカがけろりと説明して、シャーロットをおどろかせた。

「わたしたちは、旅人みたいなものだと思ってもらえれば」
「あるじ、長話がすぎる」
「いいじゃん。先手必勝ってしかけたら、やつらの獲物はわたしたちじゃなくてこのひとだったんだ。だったら相手しないですどおりすればよかったのに。とんだ無駄骨だったんだよ、すこしはやすませてよ」

 異世界人にあきらかに興味津津なエーリカとは対照的に、トゥルーデと紹介されたほうはいますぐにでもここから、いや、シャーロットのまえからたちさりたいような顔をしていた。

「おい、おまえ」

 そして、彼女の不満はエーリカからシャーロットのほうへと矛先をかえる。つめたい瞳は、しかし彼女の顔面はとらえずに背景ばかりをにらみつける。

「とにかくおおきなやつを見たと言ったな」
「あ、ああ」
「あれの正体を、見せてやろうか」

 言うがはやいか、彼女のからだから煙があがった。トゥルーデ、と、づぎにはエーリカのとがめるような声。しかしその制止もむなしく、唖然とするシャーロットの視界いっぱいに、巨大な影が出現していた。

――これが、おまえの見た怪物の正体だ

 頭のなかで、直接声がひびく。シャーロットの目のまえにあったふとくておおきな樹木などよりもずっと背が高く、威圧感があった。白い毛皮の狼のような、しかし全身が炎のようにゆらめいてぼやけている。まがまがしくゆがんだ顔は、ぎょろりと目をむいておおきな口から牙をのぞかせ、いまにもシャーロットをくいちぎってしまおうかとぎりぎりと歯をきしませていた。

「……」

 もちろん、腰をぬかすしかない。地面にへたりこみ、魂までもがぬけるかと思った。しかし、ふと、芯のある声がひびく。トゥルーデ、と、少女がだれかの名をよんだ。

「……いい加減にしないと、おこるよ」

 白い毛におおわれたふとい前脚のはしをぎゅっとつかんで、エーリカがしずかに言った。先程までの陽気な表情はいっさいけしさられ、ひどく傷ついた顔の少女がそこにいた。得体のしれぬようすのその毛なみなのに、彼女のつかむそこだけは、まるでやわらかな産毛のようにちいさな手をつつみ、いとおしそうになでているかのようだった。
 気づけば、少女ふたりがただならんでたっているだけだった。

「すまない」
「あやまらないでよ、でも、もうやめて」
「……わかった」

 エーリカは、となりのマントのはしをきゅっとにぎっている。ふしぎな空気が、ふたりのあいだにながれている。まるで、見てはいけないような、だれもしらないひみつの会話をきいている気分になった。シャーロットはごくとつばをのみ、意をけっして口をひらく。

「は…はは。あんなつよそうなのがいたら、護衛にこまることはないな」

 地面にへたれこんだまま、腰をたてることもできず、それでもただの本音を言った。すると、ふたりの視線がまた集中する。おどろいたような目、ちくしょう、なに言ったって、こいつらにとっちゃあたしの発言は異端なわけね。シャーロットがすこしだけすねていると、あははとかわいらしい笑い声。

「あはは、こっちの世界じゃ効果覿面のおどしも、シャーリーにはつうじないみたいね」

 ついさっきまでのしめった空気とはうってかわったうれしそうな声、エーリカがくすくすと笑うと、しかめっ面はもっと顔をしかめてから、あきらめたようにため息をついた。

「いまの季節は、日のおちかたがびっくりするくらいはやいんだ。そろそろ寝床をさがさないと」

 シャーロットのとなりをあるくエーリカが説明した。ふうん、とうなずきながらも、その一歩うしろで護衛するようにぴたりとはりつくやつがいては、なんともおちつかない。

「テントとかって、もってないのか?」
「わたしたちに、そんなの必要ないんだよ。ねるときは、いつもトゥルーデにくるまるんだ」
「ああ……」

 くるまる、ということは、先程のおおきな姿になった状態の白い毛なみが寝床ということだろう。存外やわらかそうだった白い毛皮を思いだす。なるほど、あれにつつまれれば、さぞいい夢が見られるだろう。

「なんだよ、だったら、あたしもそんなかいれてくれればいいじゃないか」

 思いつきを口にした。すると、またふたりはかたまる。ぴたりと足をとめ、シャーロットを凝視する。しまった、また失言をしたらしい。

「じょ、ジョークだよ。あんたらのあいだにわってはいろうなんて思ってないよ」

 冗談めかすが、いたたまれない空気はきえなかった。するといいタイミングで、根がうきあがり地面とのあいだがちょうど洞穴のようになっている木を見つけた。きょうの寝床はここにきまった。

「まあ、これならふたりくらいならはいれるよね」

 ふたり、ということは、シャーロットとエーリカのぶんだろうか。もうひとりを勘定にいれないのは至極当然だったが、シャーロットはすこしだけ気持ちがさわいだ。いつもはくっついて寝ているだろうふたりを、まるでひきさいたような気分になる。とはいえ、当の彼女らはまったく気にしていないようだった。

「あした、おきてすぐに出発すれば、その日のうちに森はぬけられると思うから」

 エーリカはそういうと、さっさと根のしたにもぐりこんで寝てしまった。言われたとおり、日がおちるのはおどろくほどはやかった。先程まで葉と葉のあいだから木漏れ日があったと思うのに、すでに真の暗闇だった。シャーロットは身ぶるいして、あわてて身をまるくするエーリカのとなりにおさまる。

「おい」

 が、背後からのよびかけ。それがだれのものであるかは、明白だった。

「……すこし、話が」

 暗闇のなかからひびく声、はじめにきいたときに感じた、すこしぼやけたような印象だったその声は、視界が闇に支配されたいま、おぼつかなさがきわだった。人間のものではないようなひびき、彼女が正体といったあの姿を見たあとならば、そう感じるのもあたりまえなのかもしれないが、たしかに、彼女のことばはどこかたよりなげだった。
 ついてくるように、と言われるまま歩をすすめると、ふしぎとなににもぶつかることなくすこしあかるいところにでた。水の音がする、小川のようだ。月明かりが水面に反射し、きれいだった。

「あるじは、おまえを森のそとまで案内すると言った」

 前置きもなく、本題に突入した。人間の姿をした彼女が、たんたんと話をする。しかし、我々にはいくべきところがある。それは、一刻も早くたどりつかねばならぬところだ。きょうにしたって、おまえがいなければ日がおちるぎりぎりまですすめたはずだ。きょうのうちに、この森をでられたはずだ。しずかな口調が、シャーロットをやさしく責めた。

「言いたいことは、わかるな。あすの早朝、あるじが目をさますまえにたちさってほしい」

 おまえは、足手まといだ。つめたいことをいって、彼女は水面を見つめていた。シャーロットは、反論しようのない事実をたたきつけられ、なんと言っていいかわからない。ぼんやりとたちすくむまま、考えもまとまらない。

「……えっと。あんた、たしか、ええっと…トゥルーデ、だっけ?」

 エーリカのよびかたを真似た。すると、彼女はわかりやすくまゆをひそめて、いやそうな顔をした。

「私には、なまえなどない」
「ええ、でも、さっきそうよばれてただろ」
「……私は、ただのケモノだ。それは、ヒトの名だ。私には必要ないものだ。たしかにあるじはそうよぶ、しかし、それはあるじがさだめたあるじだけのものだ。私には、本当はなまえなんてない」

 ぶつぶつと、彼女は説明する。つまりは、その名でよんでいいのはあるじだけだと、そう言いたいらしい。なんとまわりくどいのか。それとも、口下手なだけなのか。シャーロットが思わずお手上げのポーズをとると、むこうは口をへの字にした。それから、じとりとこちらをねめつけてくる。

「……おまえは、本当におかしなやつだな」

 むこうがすこしだけくだけた声色になる。思わず面食らっていると、やつはそっとシャーロットにちかづいた。

「私がヒトじゃないってことは、わかるな。いいか、さっきも言ったが、私みたいなやつは、ケモノとよばれている」

 ケモノは、ヒトに使役されるものなのだと彼女は言った。ひとりのあるじにつきひとつのケモノがつきしたがう。これはだれもができることではない、ハルトマンの血筋は立派なもので、ケモノを使役する資格をもった一族だった。

「ケモノはへんげが得意だから、たたかうような用事がないときは、たとえば腕輪になったりだとか、ナイフになったりだとか。あるじの身につけるものやもちものになる。ごくたまに、小動物になってあるじの肩にのっかるのがすきなやつもいるみたいだが、……私のようにわざわざヒトのかたちをとるやつは、おそらく私以外にはいない。なぜか、わかるか」

 たずねられても、わかりようもない。シャーロットがすなおに首をふると、ケモノはすっと視線をながした。そしてもったいぶることもなく、つめたい事実をつげた。ヒトとケモノは、きらいあっているからな。

「私はケモノだ、だから、おまえみたいに私と平気な顔で話をするようなやつは、いない。あるじ以外には、いない」

 ケモノを使役するものもまた、忌み嫌われる対象だった。この世界のひとびとは、ケモノを見わける目をもっている。だから、いつもひっそりと生きていた。だれにも見つからないように傷つけられないように、自分のせいであるじがつらい思いをしないように。
 だから、おどろいた。初対面でシャーロットがつかみかかってきたときは。ヒトがみずからケモノにふれようなどと思いたつなんて、気がくるったとしか思えなかった。だから、別の世界の人間なのだと頓狂なことを言われても、簡単に納得できた。

「それから、本来の姿の私には、あるじ以外はふれられない。原理はよくわからないが、とにかくふれられないんだ。だから、たのまれたっておまえの寝床になることはできない」
「……原理がわからないって。自分のことなのに?」
「ああ」

 ケモノは、すこし間をおいた。それから、ふっと息をつき、シャーロットの目を見た。するどいようなぼやけたような、判断しかねる眼光だった。……私は、もともとヒトだったからな。

「え……」
「だから、ケモノのことは、よくわからない。自分のことなのにな」

 シャーロットは、エーリカのことを思いだした。ケモノの姿でシャーロットをおどす彼女を、真剣におこっていた。エーリカにとっては、あれはこのひとの真の姿ではないのだ。きっと、彼女にとってはこの、いまのヒトのかたちをした姿こそが、本当の彼女なのだ。だから、ケモノの顔をつかってひとをおびやかそうとすることが、がまんならなかったのだ。

「あるじは、私がこうなったことを、自分のせいだと思っている。でも、本当はちがう、私が、……エーリカをまきこんだだけの話なんだ」

 その横顔は、ヒトそのものだった。ヒトだったころの、いまはもうすててしまったはずのよびかたで、あるじをよんだ。シャーロットはそれをぼんやりとながめながら、きっとちがうと思っていた。ふたりのくいちがう言い分はおそらくどちらもただしくなくて、だれのせいだとかだれがまきこんだとかではない、ただ、彼女たちがいっしょにいることはただの運命なのだと、そうにちがいないとシャーロットはふしぎな確信を胸にいだいた。自然に身をよせあい、磁石のようにはなれない。それは、どうしようもない、彼女たちのさだめに思われた。

「……エーリカとは、ともだちだった。親友と、言ってもいいのかもしれない。ずっといっしょにいようね、とか。あいつはそういう口約束がすきだった。絶対にはたせない約束だとおたがいわかっていたけど、私は、それを否定できなかった」

 皮肉なものだ、絶対守れないはずだったのに、ほかのものをすべて犠牲にするしかなかったいま、ちぎれることのない絆が私たちのあいだには、ある。たんたんとした口調は、全貌の片鱗しか話をしない、しかし、彼女がどこまでもエーリカを思っているということは、いくらでもつたわってきた。

「……あの。なんで、そんな話をあたしに?」

 遠慮がちに、たずねる。ケモノはまた水面をながめながら、すこしうつむく。そのときすこしだけほほがゆるんで見えたのは、きっとシャーロットのかんちがいだ。

「おまえが、他人だからだろうな。……あるじ以外のヒトとこんなに話をしたのは、もう、五年ぶりだ」

 だが、あしたの朝になれば、もう私たちは顔をあわせることもない。唐突に、話をふりだしにもどし、ケモノはあるきだした。まよいたくなければちゃんとついてこいとしずかに言って、また暗闇へとまいもどる。
 きっと、と思った。彼女たちにはいくところがあるときいた。エーリカは、ケモノになってしまった彼女を、もとどおりのトゥルーデにもどすための方法をさがす旅をしているのかもしれない。あるじがそうしたいといえば、ケモノはどこまでもつきしたがうのだろう。たとえ自分のために親友がつらい目にあったとしても、彼女がそうしたいといえば、その意にそうことしかできないのだろう。

(こいつらにみすてられたら、あたしはおわりだ)

 だけれど、彼女たちの足をひっぱる資格が、自分にあるとは思えない。シャーロットはこたえを見つけられぬまま、早足のケモノをあわてておいかけた。

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「おきろ、ばか!」

 結局。シャーロットは早起きに失敗してしまった。どうしようかとなやむひまもなく、ケモノのおねがいをききいれる選択肢をうしなってしまった。だから、その叱責のようなおこしかたはケモノによるものだろうとシャーロットは思った。しかしちがった、その乱暴な声は、エーリカのものだった。

「敵だよ敵、くっそ、朝からなんてたちがわるいなあ」

 シャーロットが、洞穴もどきの入口側にいるせいでそとにでられないようだった。あわててとびでれば、ケモノがムシをけちらしていた。エーリカはシャーロットをとびこえ、ぽいとマントをぬぎすてた。そのしたは半そでにミニスカートの制服姿のシャーロットをまぬけよばわりできないほどに無防備な、身軽なかっこうだった。身をつつむのは最低限の鎧だけで、おしげなく腕も足も素肌をさらしている。身を守ることよりも、機動性に重きをおいているようだった。

「シャーリーは、そこにかくれててよ」
「あ、ああ」

 ながい棒をぶんとふりまわして、エーリカがかけだす。やつもたたかうのか、あの細身で。シャーロットはぞくりとしたが、なれたようすで木をかけのぼり、ムシの頭上をとるその姿は、たよりがいのある戦士のそれだった。

(やってもやっても、敵がへらない)

 しかし、戦況は悪化するばかりだった。なんの目的でやってくるかわからないというこのムシたちは、どこからやってくるかわからないといったとおりに、ころしてもころしてもわいてきた。ケモノの調子はかわらないが、エーリカは、あきらかに疲弊の色をこくしている。

(どうしよう…どうしたらいい)

 根元から身をのりだして、なにか自分にできることはないかとまわりを見わたした。しかし、シャーロットはただの高校生だった。けんかだってしたことがないような、ひ弱なこどもだった。おなじほどの年の彼女らとは全然ちがう、しあわせな日々を退屈だとしか思えないひねくれた人間だった。

「……ちくしょう、どうしたら…」

 つぶやいた瞬間だった。真横で、いやな音がする。ききおぼえのある音、きりきりと、耳のおくをけずられるような不快な音。ムシの鳴き声、ここにきて最初にきいた、最低の音色だった。

「……っ」

 息をのむ間もなかった。いつのまにか至近によっていたムシは、シャーロットにめがけて前脚をはらった。黒くてかたいそれが、シャーロットに直撃する。わきばらのあたりに、衝撃がきた。しかし、ふしぎと痛みはなかった。

「……うっそ」

 とおくでたたかうエーリカが、目を見開き驚愕をかくせない声をあげた。シャーロットが光につつまれていた。橙色のやわらかな、まるで彼女を守るようにつよい光が出現した。瞬間、彼女によったムシはけしとび、それと同時にシャーロットもふきとんだ。ムシをはじくことはできても、衝撃をけしさることはできなかったらしい、かなりのいきおいのまま、彼女はそばの樹木に激突した。しかも、そこには偶然とがった枝がとびでており、彼女の脇腹をきりさいた。しかしシャーロットにはすでに意識がなく、悲痛なさけびがひびくことはない。
 エーリカは、ちっと舌打ちをした。

「せっかくムシをはじいたって、そのあと勝手にけがしてちゃ世話ないよ…っ」

 あれは、しっている光だった、さがしもとめた光だった。そうかと思った。はじめてあったときも、シャーロットはムシにおそわれていた。きょうのこの奇襲も、我々ではない、彼女を狙ったものだった。

「かんべんしてよ、あんなわけわかんないやつが、アカシだっての?」
――おちつけ、いまは殲滅がさきだ

 ふと、頭のなかに声がひびく。エーリカはまた舌打ちをして、手にもった武器をにぎりなおした。わかってるっての! 理不尽にわきでてくるいかりにまかせて、獲物をふりまわした。すると、苦痛にゆがんだ咆哮がこだまする。はっとしてケモノの姿をおえば、やつの右のほほのほうにムシの鋭い脚がくいこんでいる。

「……っトゥルーデだって動揺してんじゃん!」

 ふだんはしないような失態をおかしたケモノをたすけようと、エーリカは地面をけってとびだした。

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「……ここでしなれちゃ、こまる」
「ああ、わかってる」

 かすれる意識が、なんとか覚醒した。ぼやけた視界に、人影がふたつ。血と泥にまみれた、ふたりの少女だった。はじめてここでひとを見たときを思いだす。混乱しながらも、あのときはどこか安堵できた。それなのに、いまは、まるでおいつめられているかのような気分だった。脇腹が痛い、視界のはしにうつった手は、血まみれだった。痛いところからながれた血が、こびりついていた。
 唐突に、腕をつかまれ、乱暴にひかれた。思わずうめいても、手荒さは緩和されない。

「……前言撤回だ。おまえには、この世の果てまでつきあってもらう」

 ぼそりと、つぶやかれたことば。シャーロットに肩をかしながら、ケモノは右のほほからぼたぼたと血をながしていた。彼女たちにみすてられてはおわりだと思った、それでは、彼女たちについていくことは、いきながらえるためのただしい道なのか。再度うすれていく意識のなかで、シャーロットは必死にこたえをだそうとしていた。


10.11.12
まあつづかないんですけどね結局つづきました…