放課後。シャーロットはそうじの時間をすっかりエスケープして裏門から学校をでた。そのまま左にまがり数メートルいくとコンビニエンスストアがあり、その裏手のほうには自分ひとりで勝手にきめた専用の駐輪場があるのだ。ふふんと笑い、シャーロットは原付のシートをひとなでする。
(でもこの場所つかうのもそろそろ危険かもなあ)
おたくの生徒のものと思われるバイクがいつもうちの敷地内にとめてありましてね、とても迷惑しているんですよ。まえに駐輪場所につかっていた学校近辺にある本屋の店主が学校にそんな電話をかけてきて、さらには生活指導の頭のはげあがった中年教師にその嫌味たらしい口調をまねて警告されたことがある。シャーロットのものであるという証拠は欠片もなかったが、まあこんなことをやるのは彼女以外にいない。それは本人も教師連中もわかりきっていることだった。
「じゃあ学校の敷地内におかせろってんだよ」
そもそもバイク通学が禁止されているにきまっているとわかっていて、シャーロットはひとりごちる。つぎはないぞ、もしつぎにこんなことがあったら停学だ、覚悟しておけ。青筋をたてながら怒鳴りつけられて、いちおうはわかりました、などとまじめな顔をつくっておいたが反省も改心もしていない。停学がこわくて校則がやぶれるか、という話である。
「こら!」
ヘルメットを装着していたところで、急に背後から怒鳴られてぎょっとする。やばいか、と思いふりむくと、そこにいたのは自分とおなじ制服をきた少女だった。シャーロットはわずかにほっとして、それからすぐにじと目をつくって原付にまたがる。
「びびらすなよー」
「あ、びびった?」
「ちょっとはね」
そこにいたのはただの同級生だった。学校指定のかばんのかわりの、肩にかけるひものながいリュックサックをかずいてローファーのさきをとんとんとならしながら、エーリカはたのしげに笑っていた。と思ったら、ばんと軽々しい音でエンジンをふかしているシャーロットのうしろにひょいとすわりこむ。
「げ、なにしてんだよおまえ」
「のっけてって」
「どこに、そもそもふたり乗りできないよ、これ」
「うっそだ、改造してるんでしょ。わたし知ってるんだぞ、たまにここにのっけてるじゃん」
そのとおり、いまエーリカが腰をおちつかせている場所はふたりのり用に改造してくっつけたシートで、さらにはエンジンあたりもすきなようにいじってある。それって違法とかになんないの、とエーリカにたずねられたがシャーロット自身もそのへんについては把握していない。
「おりろって、あたしかえんの。おまえは部活」
「きょうはさぼり」
「……」
意外なことばにうしろをふりかえる。しかし、エーリカはすっかりシャーロットの背中にはりついていたので表情はよめなかった。
海いこうぜ、と同乗者がうしろでさわいでいるが、そんなひまなどありはしない。きょうはこれからアルバイトにいかなくてはならないのだ。とりあえずこの女を自宅までおくりとどけてさっさとかえろう。シャーロットはそうきめこんで返事もしないでエンジンをふかした。それでもエーリカは気にもしていないのか、鼻歌までとびでてひどく上機嫌に思われる。へんな感じ、とシャーロットはひそかに不審がった。
「しかし、あれだなあ。こうさ、背中がもうちょっと気持ちいいはずなんだけど」
「え? きもちくない?」
すりすりとエーリカが胸部をすりよせてくるが、残念ながらなんの抵抗も感じない。シャーロットはいつもどおりだと思い、本来のこの予備のヘルメットの使用者をぼんやりと思いだす。最近いっしょにあそんでいないなあ。そんなことを考えていたら赤信号をひとつとばしてしまった。
「……でけー家」
「ごくろーごくろー」
エーリカに指示されるままはしり、たどりついたのはまるで豪邸だった。ぴょんとうしろからおりて、ふつうじゃん、とつぶやきながらヘルメットをとっているお嬢さんをシャーロットはあきれた顔で見る。うわさには聞いていた。医者の娘で大金持ち。そのわりに育ちがいいようには見えないなあ、ということは言わない。
「ねえ、シャーリーひとりぐらししてるってうわさほんと?」
結局うながされるままなかにはいり、無駄におおきなテレビのある居間で呆然とたっているとソファを親指でしめされる。いやはや、かしこまってしまうではないか。シャーロットはらしからぬ遠慮さでちょこんと立派なソファにこしかけた。
「うわさ? うわさなんかになってんの」
「あ、やっぱりほんとなんだ」
キッチンのほうでお茶をつぎながらエーリカがたのしげな声をあげる。けっこう気がきくじゃないの、とそんなことを考えるころにはシャーロットはすっかりといつもの調子にもどってきょろきょろとまわりを観察しながらソファのうえであぐらをかく。家族はいないらしい。そもそも生活のにおいというものが感じられないひんやりしたところだ。
「いきたいなあ」
「ええ?」
こんとローテーブルにコップをおいて、自分のぶんに口をつけながらエーリカがとなりに腰かける。ぎっとしずんで、それからリモコンで無駄なほどおおきなテレビの電源をつけた。
「あした土曜じゃん、とまりとまり」
エーリカがうかれた調子で両足をテーブルにのっけて、シャーロットはうむむと頭をひねる。ようすがおかしい。エーリカはこんなふうに自分から他人にちかづいてくることはないように思っていたのに。ハルトマン、とついよびかけて、だけども次のことばがでてこなかった。しょうがないから話をもどす。
「部活さぼっていいのかよ。先輩にばれたら小言言われんじゃないの」
「せんぱいってだれー?」
へっ、とはなでもならしそうな顔でエーリカがずるずるとソファからすべりおち、足がじょじょにテーブルのうえを占領していく。ああ、なるほど。シャーロットは得心した。彼女に先輩とよばれる人間はたったひとりしかおらず、そのことをしっておきながらのこのとぼけぶり。
「なんだよ、けんか?」
「だからせんぱいってだれ?」
「もういいからさー」
「けんかじゃないよ、わるいのはトゥルーデだもん」
「……」
あいかわらずトゥルーデトゥルーデだねえ。思わずつぶやいたらにらまれてしまった。
トゥルーデ、と、ふたつ学年がうえのバルクホルンのことをそんな愛称でよべるのは、彼女たちがおさななじみだからだった。バスケットボール部の副部長のバルクホルン、そして部長のミーナもまた昔なじみときく。くどいメンバーだ、とシャーロットはうんざりして、部活動の先輩ふたりの顔を思いうかべる。ただしこれには、二重の意味で頭に元がつく。夏はおわっている、あっさりと彼女たちの部活動は幕をとじている。シャーロットはゆっくりとあの日のことを思いだした。エーリカにも言っていないこと。
「そういえば、きょうの昼に先輩とあったよ。はは、えらく具合がわるそうだと思った、おまえとけんかしたからだったんだ」
「ちがうよ」
からかう口調で言うと、それがういてしまうほどのひくい返事があった。シャーロットはおやと思い、ちらりとテレビをながし見た。けんかしたからっていうのはあたり。でもそれは、わたしとじゃないよ。ぱちぱちと、エーリカがリモコンで音量をかえる。徐々にしぼんでいくボリューム、シャーロットはぼんやりと、テーブルにおかれたリモコンをさわるほそい指の観察をしていた。画面に表示されている音量はすっかりとゼロになっていたが、エーリカは操作をやめない。
「……、あいつさあ、あたしが部活やめたことしらなかったよ」
「ふうん、そうなの」
「ハルトマンは真面目にやってるかってさ。きかれちゃった」
シャーロットは、ゆっくりと自分が先輩とよぶ女のことを思いだしていた。真面目できびしいバルクホルンには、そういえば部活ではいろいろな意味でお世話になった。シャーロットの記憶するかぎりでは、大層にえらそうで、それがよくにあう人物であった。なんだかんだといってもふたつも学年がうえで、貫禄というものすら感じた。すこし苦手だと思っていて、だけれど絶対にきらいではなかった。彼女に関するシャーロットのしりうる情報はたったそれだけの断片的なものがすべてで、いやちがう、もうひとつあった。バルクホルンは、ミーナととてもなかがよかった。
「だからー」
唐突に、エーリカがおおきな声をだす。シャーロットははっとして、テレビを見ていた視線をエーリカにむけなおす。ぷくりとほほをふくらませ、こんどは音量大のボタンを連打している。
「トゥルーデがふぬけてるのはわたしのせいじゃないけど、トゥルーデがむかつくのは、やっぱりトゥルーデがわるいんだよ」
シャーロットはかすかにほっとした。ざわざわと部屋のなかがまたテレビの音でさわがしくなり、ふたりのあいだの居心地のわるい色もぬけはじめる。シャーロットは、エーリカが本気でしずんでいるときのなぐさめかたをしらない。ふうん、と、ちいさく鼻をならす。
「ほんとに先輩がわるいわけ?」
だから、こうやってからかって本当のところをさぐってやることしかできないのだ。なんだよ、と唇をとがらせる同級生の頭をぽんとはたいて、シャーロットはいただいたコップをやっとつかむ。
「もしそうなんだったら、おまえはあたしのとこに愚痴りになんてこないと思うなあ」
テレビを見ていたエーリカの目が、そのことばにほそくなる。シャーロットは透明なコップに口をつけてそれを観察してうすら笑う。……きょうのシャーリーむかつく。めずらしくすねた声を披露する同級生に、シャーロットは今度こそあははと豪快に笑って見せた。よし、すっかりといつもの調子。
「きょうのおまえは隙だらけでからかいやすい」
「ぜったいきょうはシャーリーんちいくからね」
「なんでそうなんだよ。だいたいきょうバイトはいってるもん」
「じゃあそのあいだシャーリーんちでまってるー」
「はあー?」
ぴょんとエーリカがとびあがり、わきにおいていた教科書のつまったリュックサックをかかえあげる。趣味のわるいドクロマークがそこらじゅうにプリントされ、派手な色合いの缶バッジがところせましとならんでつけられたそれは、持ち主の変わり者ぶりを遺憾なく表現していた。
「準備してくるからまってて」
かわいらしくウィンクまできめられて、シャーロットは閉口するしかない。本気の本気じゃないか。とんとんと軽やかな音をたてて階段をのぼっていく背中をソファの背に頭をのせて見届けながら、ちらかった自宅を思いだす。ま、ハルトマンも十二分にずぼらだからな。どんなところでも寝れるだろ。シャーロットはあきらめて結論づける。
(ただその場合は、とまらせるかわりに片づけろっていうのがやれないんだよなあ)
教室のなかの、エーリカのロッカー周辺の事態を思いだして思わずげえと舌をだす。自身も片づけぎらいの自覚はあったが、やつにはかなうまい。むしろ、現在の自宅の惨状以上にちらかされるのではないかという危機感すらおぼえる始末だった。
とんとんと、さきほどよりもささやかな足音。やっときた。シャーロットはお茶をのみほしてから勝手にテレビをけしてたちあがる。
「いくならさっさといくぞー、あとおまえ晩飯代だせよ」
ぐっとのびをするが、返事はない。なんだよ、と思い階段のほうを見ると、やはりエーリカがたっていた。
「なんだよ、無視?」
「……」
二度目の声にも返事はない、ようすがおかしい。首をかしげて、それから彼女の顔にのっている見慣れないものに気づいておやと思う。おまえ、眼鏡なんかかけてたっけ? たずねると、こたえずにエーリカは廊下をあるいていこうとする。その手には、ハードカバーの外国語のタイトルが書かれた本。
「おい、ハルトマン」
もう去ってしまった背中によびかけた瞬間、ばたばたとうるさい足音がなる。よっ、とさらにはかけ声つきで最下段のふたつをとびこえて少女がフローリングにおりたった。エーリカだ。あれ、と、シャーロットはまばたきをする。
「おかしいっぱいもってこ。ねえ、シャーリーってハバネロたべれる?」
「……おまえさっきあっちいかなかった?」
「は?」
シャーロットの呆けたひとことにエーリカも呆けた声をだす。それからすぐに思いあたったのか、ああと頷く。
「ふうん、ウーシュかえってたんだ」
「はあ?」
「わたしのドッペルゲンガー」
くっくとたのしそうに笑いながらエーリカが玄関へあるきだす。おいおい、とその背中に声をかけると、双子の妹。と簡潔にかえってきた。
「おまえ双子だったの」
「かっこいいだろ」
「いやそれはわかんないけど。えーおまえみたいなのもうひとりいんの、家族たいへんそー」
「いや、にてるって言われたことない」
「ふうん……」
確かにさきほどのしんとした空気はあまりにつかない。ただ、種類がちがうにしてもある種の無愛想さはなかなかににているじゃないか。シャーロットがひとりで頷いているうちに、もう玄関までたどりつく。ウルスラっていうの。ウーシュってよんであげてね。エーリカがこちらを見ないまま言ったが、たぶんもうあわないよなあとシャーロットは思った。
「あ、きょうの晩飯代おまえもちな」
「えーなんで」
「うっせお嬢」
しかし、うまいことすっかりながされてしまったものだ。シャーロットは一瞬だけこめかみをおさえたがまあいいと思いなおす。たまには予定外のできごとがあったほうがおもしろいというものだ。とりあえずあの子にメールしておこう。きょうはうちにはきちゃだめだ、きたら小悪魔にあそばれてなかされるぞ、なんてね。
後編
08.11.01 /
09.03.17改稿
Q.なぜバスケ部なのか
A.女バスという響きにもえるから