「期末試験だ!」
かすかにさわがしい教室のちょうど真ん中に位置する席で、リネットはかばんに教科書をつめていた。するとよこから切羽つまった声、そのつぎにがたがたと椅子をひきずるおとがして、反射的に顔をそちらにむけると、となりの席の子ではないクラスメイトが彼女に顔をよせていた。
「よ、芳佳ちゃん」
その子はこのあいだまではとなりの席だった宮藤芳佳で、言っていることといえば、先程おわった帰りのホームルームで担任が宣言していたこと。とはいえ試験があるなどということは言われなくても時期的にわかりきっていたことだろうに、この少女は先生のにやけ顔に真剣にショックをうけたようすである。
「どうしようー、もうテストだなんて。こないだ中間あったばっかだよ?」
「でもでも、テストおわったら夏休みだし」
リネットの席によせた椅子に腰かけながら彼女のかばんがおかれた机にくてんと身をなげだして、芳佳はため息をついた。わたしのノートって、おかしいんだ。全部ね、全部真面目に板書してるはずなのにあとから見かえしたらそこらじゅう穴だらけなの。おかしいよ、へんだよねこんなの。机に顔をふせたままぶちぶちと嘆く芳佳に、リネットはそれってたぶん居眠りしてるんだよとこころのなかだけで返事をする。
「じゃ、じゃあ、わたしのノート見せてあげるから。ね、いっしょに勉強しよ。そしたらきっと効率もいいよ」
「ほ…ほんと?」
ああ、毎回してるなあ、このやりとり。リネットはへろりと顔をあげた芳佳におなじくへらりとした笑顔をかえして、なのにそれをねらってこんな気弱な顔をしてるわけじゃないんだよね、と複雑な思いにかられる。こまった顔をした芳佳は、思わず手をさしだしてしまうような、すてられた子犬のような雰囲気をまとっているのだった。だめだわ、わたしってきっと、将来だめっぽいひとにつかまってみついじゃって、それでもそのひとのこときらいになれないやつなのかも。
「ありがとうリーネちゃん!」
くらい未来が脳裏にうかぶ。しかしそうやって芳佳に手をにぎられれば、まあありがとうって言われるとうれしいしねとかよろこんでる芳佳ちゃんかわいいんだもんとかそんなことで頭のなかはいっぱいになってしまうのだった。リネットはこの事実が、彼女の案ずる将来像の明確な根拠になっていることに気づいていない。
「おい宮藤。そこわたしの席」
ふたりしてにこにこして手をにぎりあっていると、ぽくんと芳佳の頭に筒にされた紙がぶつけられる。それをつかんでいる腕、それをたどると、リネットのちょうどうしろに芳佳のすわっている椅子の本来の使用者がたっていた。
「あ、エイラさん。ごめんね」
「いやいいけど」
文句を言っておいて、きゅうにあらわれたエイラは肩をすくめてからさっとリネットのまえの席にまわりそこの空いた椅子をがたりと反転させてこしをおろす。
「エイラさん、その紙なに?」
「ああ、期末のテストはん」
「ごめんなんでもない」
「なんだよ、そっちからきいといて。まあいや、んなことよりさあ、きょうからテスト期間で部活がやすみなわけだけど」
エイラはふふんと笑いながらテスト範囲の書かれたその紙を半分におる。それからなんどもおりまげて、リネットと芳佳がのぞきこんでいるうちに完成したのは紙飛行機。それをひょいとなげて教室のすみまでとばしてから、エイラは自分の席にかけてあるかばんに手をのばして財布をとりだす。そのなかにはどこの国のものかわからないさまざまな紙幣や硬貨がなぜかたくさんはいっているので、おおきくまるくふくらんでいた。
「じゃーん」
そんな財布のなかから効果音つきでとりだされたのは、長方形の紙。よく見れば手招きをする猫の絵がプリントされていて、あっと芳佳が声をあげる。
「カラオケの割引券だあ」
「あったりー」
つーわけでカラオケいくぞー。にこにことエイラが宣言し、芳佳は元気よくはいはいいくいく!と手をあげた。が、リネットは断固としてぶんぶんと首をよこにふる。
「ま、まってくださいエイラさん、つーわけでって、どこがつーわけなんですか」
「だから、テスト期間っつーことで」
「いやだから、わたしにはそこがつながってるようにきこえないというか」
「だからー。テスト期間で部活がやすみってことは、放課後時間があいちゃうわけだぞ。そんなの、カラオケにいくしかないだろー」
「そうだよ、いっつも部活いそがしくてみんなであそびにいったりできないし、やすみの日だとカラオケってたかいもんねえ」
「まって芳佳ちゃん、さっき勉強いっしょにするって」
「勉強なんてまえの日にちょちょちょーっとすればなんとかなるって」
「そりゃあエイラさんはそうかもしれませんけどね、芳佳ちゃんはそうもいかないんです!」
「え…それどういう意味?」
「まあたしかに宮藤はちょっとあれかもだけど」
「え…エイラさんまで」
「とにかく、勉強しなくちゃいけないんです、テスト期間は。カラオケは夏休みにはいって、そしたらもう部活も引退なんだからそれからみんなでいけばいいんです」
「なんだよー、このチケットきょうまでなんだぞ」
「え、そうなんですか?」
「じゃあいくしかないよリーネちゃん。カラオケカラオケ―」
「よ、芳佳ちゃんったら……」
芳佳ときたら、先程までは危機感にふるえていたくせにもうすっかりと目先のたのしいことに気をとられているのである。リネットはまばたきをして、冷静に状況を判断する。現在二対一。そのうえこのつかみどころのないエイラとこんなにカラオケにいきたがっている芳佳が敵では、こちらの勝ち目はほぼないと言って過言でないかもしれない。だめ、だめよながされちゃ。リネットは内心で自分を激励し、反撃をこころみる。
「わ、わかりました。じゃあペリーヌさんの意見をききましょう」
まあ、あのひとがテスト期間に遊ぶなんてことに賛成するわけないんだけどね。カラオケにいくかいかないか。現在におけるこの議題ならば、あの真面目なペリーヌがリネットの味方についてくれないはずがなかった。あそんでいて後悔するのはあなたたちですのよ、なんて、まるで自分のことのようにふたりを説教してくれるにちがいないのだ。
「あーペリーヌならさっき帰ったよ。さっさと帰ろうとしてたから教室の出口のほうでつかまえて誘ったんだけど。そしたらすました顔してごきげんようってさ。ちぇ、気どっちゃってな」
「……」
形勢逆転の切り札は、あっさりとやぶられてしまう。リネットは頭をかかえたい気持ちになりつつ、唇をとがらせておもしろくなさそうな顔をしたエイラをながめた。そのつぎに目をかがやかせてリネットが首をたてにふることをまっている芳佳。ああ、なんだかいやになってきた。
「ぺ、ペリーヌさんがいないなら、またこんどがいいんじゃないかな」
「だからこんどじゃチケットがー」
「だいたいさ、カラオケってやっぱり三人がベストじゃないか?」
「えーそうかな。わたしはいっぱいいるほうがもりあがってたのしいなあ」
「まあ、そういう考え方もあるけど。やっぱりがっつり歌いたい派としては三人くらいがいい感じっていうか」
「リーネちゃんは?」
「え、わたし? わたしはやっぱり、みんなでいっしょに歌うほうがたのしいな」
「じゃあ大人数派だ」
「あーだったらペリーヌ無理やりでもひっぱってくればよかったなー」
「ペリーヌさんってなんだかんだいってつきあいいいしねえ」
「わたしが誘ったのがわるかったな。あいつわたしのこときらいだから」
「え、そんなことないと思いますよ。ねえ」
「うん」
「そうかー? あいつわたしのこと見る目超こわいぞ、いつも」
「それはエイラさんがいじわるするから……」
「リーネに誘ってもらえばよかった。あいつっておまえにはなんかよわいからな」
「え、そうですか?」
「そうだよ。なあ」
「うん」
「ついでに言うと宮藤のことは見てていらいらするっぽいな。手のかかりすぎる妹っつうか」
「えー、ペリーヌさんみたいなおねえちゃんこわいなあ」
「そうかな、けっこうちっちゃい子とかにはやさしそうじゃない?」
「わたしちっちゃい子じゃないよー」
「まあそういう見方もある」
「あれ、それってわたしがちっちゃい子っていう見方もあるってこと?」
「芳佳ちゃんかわいいからねえ」
「リーネはあいかわらずさりげないな……」
いつのまにやらペリーヌ談義に花がさいているうちにそれぞれ帰り支度もすましてしまい、その六本の足はてくてくと、カラオケ店へとむかっていたのであった。