夏日である。車外ではみんみんとせみが鳴き、陽炎がやんわりと視界をゆらめかせている。右側からさしこむ日差しは、運転席にすわるビューリングのハンドルをにぎる腕をめらめらとやいていた。
「なあなあ、ちょっと潮のにおいとかしてきたんじゃないか?」
「え、ほんとほんと?」
「あっ、芳佳ちゃんもうビーチボールふくらましてる」
「ちょっと宮藤さん、いくらなんでも気がはやすぎますわ」
「いやあ、ぺったんこの見てたら我慢できなくて……はやく見えないかなあ、海」
「って、なにうきわにまで手のばしてるの。だめだったら、邪魔になるだけでしょう」
「あっそうだ。あのー、コンビニよってほしいんですけど」
後部座席はわいわいがやがやとうるさいほどに盛りあがっている。最後のほうにきこえてきた台詞になんとかあーと返事をして、ビューリングは赤信号につかまったところで車を停止しハンドルによりかかった。なんだってこんなことになっているんだろう。どことなく現実感のないこの状況にビューリングは辟易していたので、ねえねえ、とふいに左側からきこえてきたよびかけをすっかり無視したい気持ちだった。
「このへんにローソンってある?」
「いや、ここから目的地までのあいだにはたぶんファミマしかないな」
「えー。あたしコンビニはローソン派なんだけど」
「しるか。いいじゃないか、ファミマだとTカードのポイントがたまるぞ」
「あたしちゃんとローソンのポイントカードももってるもん」
「そりゃご愁傷さま」
日焼けでもしそうないきおいで直射日光にさらされている右腕をさすって、助手席にすわる能天気な横顔をながし見る。海にいきます、車だしてください。唐突な同僚からの電話の内容はおおまかに言ってそんな感じで、ただし無駄話のすきなウィルマはその本題にたどりつくまでにかるく五分はついやしてくれた。本日は夏休みにはいってさいしょの日曜日。わけのわからないまま、ビューリングはいまとなりでじつにたのしげに車のラジオのチャンネルをいじっている同僚と、その妹プラスそのともだちという謎の面子の足をする羽目になっているのであった。
「ありがとうございまーす」
後部座席にのっていた中学生が口々に元気なお礼を言って、あわてたようにあつい駐車場からコンビニ店内へとはしっていく。クーラーのきいた車内とはまるで別世界と言っていいほど、そとの空気はあつかった。
「おまえはいかなくていいのか」
「んー。ローソンじゃないコンビニなんて興味がないわ」
「そこまでこだわる意味がわからんね……」
エンジンはきってある。ウィルマは先程までつめたい風のでてきていた送風溝を名残惜しげになでながら、店内であれやこれやと商品を見比べているこどもたちをながめていた。ビューリングもそれを視線でおいかける。アイスにしようかジュースにしようかまよっているのか、すずしげな店内の冷蔵庫と冷凍庫のあいだをいったりきたりしている四人の女の子。
「ジュースくらいおごってやったら?」
「言われなくても、財布はリーネにわたしてあるわ」
「ふうん?」
そういえばこどもたちは、車をでていくときに運転手のビューリングにだけでなくただすわっているだけのウィルマにもありがとうございますを言っていたような気がする。意外とやさしいじゃないか、とビューリングがひやかして笑うと、ウィルマは得意げに鼻をならした。そのつぎにはシートに身をなげだしているビューリングのこめかみをぴんと指ではじき、くくくとのどをならした。
「ままま、そんなめんどうくさそうな顔しないで。せっかくなんだから、たのしみましょう」
海よ、夏に海っつったら、たのしくないわけないじゃないの。正論めかしてはなたれたその台詞に、ビューリングはなんとなくまゆをよせてしまう。こいつはきっと、人生がおもしろくてしかたないんだろうなあ。わずかなうらやましさすらにじんている思考に、思わずかるく頭をふる。
「まあ、それじゃあレンタカーの代金ちゃんと半分もてよ。それを約束してもらえないとたのしもうにもたのしめない」
「えー。それとこれとは話が別っていうか。そもそも、あんたがちっさい軽四しかもってないのがまちがいなのよ、そのせいで六人のれるやつかりる羽目になって」
「いいか、普通車と軽四だと維持費というものが段ちがいでだな……、そもそも最近の軽四ってのは見た目よりなかがひろくできてるんだ。燃費だってわるくはないし」
「でも結局みんなのれるほどじゃなかったんじゃん」
「てか、論点がずれすぎだ。そもそも私は今回のイベントには無関係だったんだ、おまえが免許をもっていれば私がかりだされることなんてなかった」
「もってないもんはしょうがないじゃない」
「だったらなあ、電車ででもいきゃよかったんだ」
「わかってないなあ、あのおじょうさんがたは、海にいくには保護者が必要っつってね、そんな口実用意してまで車でいきたかったんじゃん。その気持ちをくんでやるのがおとなってもんでしょう」
「その論理には矛盾しかない、おまえの妹さんはまずおまえに保護者をたのんだんだ、免許をもっていないとしっててな。ってことは、あの子たちは純粋に同伴してくれる保護者をさがしていたというわけで、それによって導かれる結論は、車でいきたかったのはまさにおまえということに……」
「まあまあ、もういいじゃんここまできたんだからさあ。わずらわしいことはわすれてさ、こうぱーっとさ、盛りあがりましょうよ」
あ、ほら、かえってきた。あごでしめされ、コンビニからでてくる四人を見つける。じつにたのしげな表情でもって、笑いあっている。ああそうか、たのしみなんだなあ、海が。いままさに、たのしいんだなあ。じんじんとせみは鳴いていて、コンクリートのうえでは陽炎がおどっている。つまりは、少女たちがあんなにたのしげな表情をするのに一役買えたということでよしとしろ、ということか。ビューリングはぼんやりとこどもたちをながめて、ウィルマにいいように言いくるめられたような気になりつつもまあいいかとため息をつくことにした。
「はい、おねえちゃん」
「ごくろー」
後部座席のほうから白い腕がのびて、それのもっている缶が助手席の人間へとさしだされる。レシートちゃんともらった?うん、もらったー。よこでくりひろげられる会話をきくともなしにききながら、ビューリングがエンジンをかけた。ぶるんと車体がふるえ、途端、顔のよこになにかがつきだされる。
「あの、これ。コーヒーです。どれがいいのかわからなかったから、おねえちゃんとおなじやつにしたんですけど……」
かすかにぎょっとしているうちに説明がくわえられ、ビューリングはふりかえる。そこにはウィルマの妹がいて、恐縮そうに缶コーヒーをさしだしていた。いや、なんでもいい。ありがとう。笑顔をつくってうけとって、そのつめたさにほっとしする。いやはや、ちゃんと気のきく子ではないか。リネットという名の、ウィルマの実妹。はじめてあったのはそういえばカラオケボックスで、そのころから、気のよわそうな声に彼女の姉であるはずの女との共通点がひとつとして見つけられていない。と言っても、会うのはきょうで二回目なのだから当然といえば当然ではあった。
「ちょっとちょっと、金はあたしの財布からでてんだから、礼ならあたしにもいいなさいよ」
「あーはいはい。ありがとうございますごちそうさまです」
よくふって、かしゅと音をたててプルタブをもちあげる。それから一口のんで、ビューリングはそのあまさに顔をしかめながらも、おまえは本当に甘党だとウィルマを非難する気にはなれないのであった。
前編2
09.06.08
中学生にもなったら保護者の同伴なんか不要なのかなと思いつつ