「リーネって宮藤がすきなんだと思ってた」
うずまく充実した倦怠感のなかに、ぽんとその台詞をなげたのはエイラだった。
すこしとおくの海から見なれた街にかえってきたところ、こどもたちは駅前にて降車した。運転手は各家までおくると言ったが彼女たちはもともと解散場所を集合場所であったそこときめていたから首をふる。遠出につきそってもらったうえにこれからまだいくところがあるようなことをぼそりと言っていたおとなたちにこれ以上迷惑はかけられない、という少女たちのかくれた遠慮であった。
「……な」
駅からの夕方の帰り道。いちばんさきに別れ道がくる芳佳とは、もう数メートルうしろにいってしまった曲がり角で手をふりまたねと言いあってしまっていた。そして当人がいなくなった途端に、エイラはまるでいままで我慢でもしていたかような勢いで思いつきを口にしたのである。その台詞のなかのもうひとりの登場人物であるリネットはぎょっとしないではいられない。
「なんですの、急に」
ことばがうまくつづかなかったリネットのかわりに、ペリーヌがおどろいた声をあげる。だってさあ。そのペリーヌのことばに返事をしているくせに、エイラは頭のうしろで手をくんでからちろりとリネットをながし見た。
「きょう、なんかいい感じだったじゃんか、リーネのねえちゃんのともだちと。なあ」
邪気の感じられぬことばでもって言いはなち、エイラはこんどはペリーヌに視線をむける。かすかに飛躍したような論理ではあったが、ペリーヌには彼女の言わんとしていることは理解できていた。ただし、いまリネットがかたまっているのは、こっちの子がすきなくせにあっちのひとに目移りしちゃったのね、というどこか皮肉めいた指摘のせいではないのだ、ということもペリーヌの理解の内であった。
「まあ、なんていうか……見てればわかりますから」
かたまる肩をぽんとたたき、リネットの想いびとが周知の事実であることをつげてやる。それでもしばらくぼおっとしていたリネットだったが、にわかにぱちぱちとまばたきをしてからあるきだした。
「おーい、てれんなよー」
へへへ、とこんどこそからかう口調をつくってエイラがその背中をおいかけ、ペリーヌもつづく。つづきながら、意外だと思っていた。彼女のことだから、顔を真っ赤にしてはずかしがると思ったのに。
「なんかさ、かわいいかわいいってだいたい冗談めかしてるけど、たまに目がまじなんだよな、おまえって」
「ちょっとエイラさん」
ペリーヌはリネットにおいついたエイラのとなりにくっついて、ひじで小突く。この同級生はひどく空気を読むのがうまいくせに、常々その神経をつかおうとしない。そのせいでまるでデリカシーのない発言をよくするが、どうしてかそれすらもなにか考えがあってのことなのではないかと思わせられるところがペリーヌにはすこし気にくわなかった。
「なんだよペリーヌ」
「へんなこと言いださないで、リーネさんがこまってるわ」
「そうかあ?」
ちらりとエイラが視線をすべらせ、それをおいかけると自分のほほに両手をはわせているリネットがいた。どこかぼんやりとしたような、まるでこちらのことなどわすれているように彼女はあいかわらずまばたきをしていた。
「……リーネさん?」
ペリーヌが思わずよびかけたところ、なんとそこでちょうどエイラとの別れ道にたどりついてしまう。あは、ごめん、わたしいくわ。リネットをふしぎなようすに仕立てあげた張本人はのんきに笑い、手をふってかけだしてしまう。ちょ、ちょっとまって。すっかりとおしつけられたかたちになったペリーヌはあわてて手をのばすが、エイラがそれに応じないのはわかりきったことなのであった。
しばらく、黙々とあるくことになる。ペリーヌはとなりの子をぬすみ見ながらつきたいため息を我慢していた。ひょっとしてこの子、エイラさんとわかれたことすら気づいてないんじゃないかしら。ぼんやりとしたままの横顔、もしついに最後の別れ道がきてしまったときにすなおにわかれて彼女をひとりで家までかえすのは非常に危険なことなのではないか。思いついてしまった面倒な事態に、ペリーヌはこんどこそため息をつく。
「……やっぱり」
途端、リネットがつぶやくものだからペリーヌはぎくりとしてしまった。は、はい。上擦る声で返事をして、やんわりとこちらをむく視線を緊張しつつうけとめる。……やっぱりわたしって、芳佳ちゃんのことすきなのかな。そしてつづいたのは、思いもよらない質問であった。
「やっぱり、そう見えますか?」
「え? ……ええっとまあ、私には、そう見えますけど……」
実際、エイラにもペリーヌとおなじように認識されていた。それでも芳佳本人はおそらくまったく気づいておらず、そこまでは完全にペリーヌがこうと把握していた現状と一致していた。が、たったひとつ、かなりおおきなまちがいがあった。なんと、リネット自身には確固としたその自覚がなかったのである。
「わたしもひょっとしたら、そうなのかなあ…って、思ってたんだけど」
リネットが、また両手でほほを覆う。途端、いまさらながらそれが徐々に赤く染まりはじめた。
「う、うわ……、これ、思ったよりはずかしいねっ」
自分の動揺をごまかしたいのか、リネットが自身を茶化すような口調をつくるが、ペリーヌはそれを見て自分まで赤面しそうになりながらなんとこたえてあげればいいのかわからない。そうね、見てるだけでもわかるくらいに、あなたって宮藤さんのことがすきなのよ。いいえ、どうかしら、いままで自分で自覚がなかったくらいなんだから、私にはなんとも言えないわ。肯定してやるべきなのか曖昧にごまかしてやるべきなのか。それすらも判断できないペリーヌであったが、思わずことばが口をつく。
「あんなちんちくりんのどこがいいんだか、私にはわかりませんわ」
しまったと思うのはもちろん言いきったあとで、ペリーヌの失礼な発言にリネットはぱちとまばたきをする。いやになるわ、もう。ペリーヌは自分のこの憎まれ口をたたがずにはいられない性格を全力でのろいながら、歩調を身勝手にはやくする。とにかくにげだしたかったわけだが、リネットはあっさりとおいかけてきてしまうのだ。
「ひどいよう、ペリーヌさん」
さっさととなりにもどってきたリネットがすねた声をだし、ペリーヌは気まずくなる。どうせならおこってくれたらいいのにと思った。そうやって肩をちいさくしているペリーヌのとなりですっかり赤みのひいた顔をして、リネットがすこしてれたように笑った。かわいいよ、芳佳ちゃんって。ひらきなおってしまったかのように、まるでのろけのような台詞があの子をほめて、ペリーヌはまた返事のしかたがかわらなくなる。
「……あなたがそう言うなら、ひょっとしたらそうかもしれませんわね」
結局でてきたのはそんな憎まれ口で、だけれどリネットは、やはりふふとたのしげに笑うだけだった。
「ちょっと、すっきりしたなあ」
実はね、すきなのかなって思ってたけど、すきってなんなのか、よくわからなかったの。リネットはまたすこしだけ顔を赤くしながら、ちいさな声で言った。夏の夕方はまだまだあつくてあかるくて、リネットの額にはうっすらと汗がにじんでいる。赤い表情にうかぶそれが、ペリーヌにはなんだかとてもかわいらしく見えた。
「でも、ふたりにそう見えるって言われて、きっとそうなんだなって思ったの」
リネットはどこか他人まかせなことを言って笑っている。すきってなんなのか、よくわからなかったの。ペリーヌはそれをながめながら恋をしている女の子の台詞を反芻して、思わずそれに同意しそうな自分がはずかしかった。
「……だけどね」
ふと、リネットが声のトーンをおとす。ペリーヌはまばたきをしながら、きょうのこの子はよくしゃべると思っていた。それから沈黙、とぼとぼと足音だけがひびいていた。なにか、言いにくいことなのかしら。ペリーヌはかすかに不審がり、ちょうどそのとき、リネットが口をひらく。おねえちゃんのともだちにどきどきしたっていうのも、ほんとなの。
「……」
「ち、ちがうの。あのね」
思わず絶句するペリーヌに、リネットはあわてたようすでとりつくろおうと二の腕をつかむ。
「だって、すっごいおとなで、なんだかすごくきれいだったし、か、かっこいいなあって……」
ペリーヌさんも、そう思ったでしょう? 有無を言わさぬ調子で同意をもとめられ、ペリーヌはつかまれる腕をはらうこともできないでまばたきをする。それに、きみがたのしかったら私もたのしい、みたいなことさらっと言うんだよ、わたしもう、びっくりしちゃって。多少の誇張をまじえつつリネットが言いわけをし、しかし会話をきいていなかったペリーヌがそれに気づけるはずもない。それからもまるで自分を納得させようとしているつぶやきがぶつぶつとつづいていたが、ペリーヌは意外にもそんなことはしなくてもいいのにと思っていた。
「でも」
ぽんとペリーヌが声をもらし、それはぴたりとリネットの言いわけをとめた。でも、すきなのとどきどきするのって、ちがうと思うわ。自分でもおどろくほどにはっきりとした発音でもって主張してしまう。しまった、なにを言っているんだ。ペリーヌはあいかわらずうまくコントロールできない自分の口に嫌気がさしつつ、おそるおそるリネットに視線をむけた。途端、ひどくかがやく瞳と目があってぎょっとする。
「なんだか、実感のこもった台詞ですねっ」
リネットは思わぬ友人の恋の予感に目をきらきらとさせた。その期待のこもった視線にペリーヌは赤面し、あらためて後悔する。本当に、余計なことを言った。
「な、なんでもないわ」
「うそですよ、だったら、そんな顔しないもの」
動揺しきった表情についてしてきされ、ペリーヌはぐっとおしだまる。そして、こうやって動揺したり図星をつかれた気になったりしている自分がこころの底からふしぎだった。すきがなんなのかわからないと言っていたリネットと同様、ペリーヌだってそのとおりだった。そのとおりだったのに、彼女のそのことばをきいたときにうかびかけた顔は、たしかにあったのだ。
「ペリーヌさんってば」
「な、なんでもないったら、なんでもないわ。それにもしなにかあったって、どうしてあなたなんかに言わなくちゃならないの」
思いがけず辛辣なことばがでてしまい、ペリーヌははっとする。しかしリネットは、そんなことはまるでかまわないで教えてほしそうな顔をした。そこで、彼女は悟ってしまう。きっと、自分がいちいち気にかけてしまう自分のすなおじゃない物言いは、このひとにとってはどうでもいいことなのだ。それはけっしてわるい意味ではなく、おそらく、それがペリーヌの本気の気持ちでないとわかっているから、リネットはおこりもしないであっさりとながしてしまえるのだ。自意識過剰とも思える結論がでてしまいペリーヌははずかしくなるが、しかしそれはきっと真実なのだと思った。
(そうよ、にてるんだわ。リーネさんは、あのひとにちょっとにてる)
先程うかびかけたあるひとの顔が、また脳裏にちらりとうかびあがる。どうしてかうまく接することのできないあのひとには、いつも失礼な態度ばかりとってしまうのだ。それなのに、ペリーヌがきらわれるような気配は一向になくて、そのたびに彼女には自分のこころのなかの葛藤に感づかれているのではないかと緊張した。それは、いまの感覚とにているのだ。本当はあなたにこんな言い方をしたくないの、と思っているこの気持ちを見すかされているのではないかと思えて、ペリーヌはあのひとをまえにしたときのように、リネットのまえで緊張してしまうことがあった。
「だ、だって、あなたのしらないひとの話だもの、きいたってきっとつまらないし」
「そんなことないです、ききたい、わたし」
きゅっと手をにぎられて、ペリーヌはてれてしまう。ねえ、あそこのコンビニでアイスを買って、ゆっくり話しましょう。しかもそんな提案をされてもいやだということもできないまま、手をひかれるしかない。意外と強引なんだ、とペリーヌは思うが、それがいやでない自分は余計に意外なのだった。