「スライム?」
友人の自宅のまえで遭遇した小学生がそんな突飛なことを言うものだから、エーリカも頓狂な声で返事をしてしまった。まずうかんだのはゲームにでてくるへんなモンスター、だけれどルッキーニがきょうの理科の時間につくったのだと興奮気味にかたるのを見てなんの話をしているのかを理解する。たぶんあれだ、なんかぶよぶよした、液体みたいなのに固体のやつ。エーリカはむかしガシャポンであてたことのある奇妙なおもちゃのことを思いだした。
「そんで、スライムがどうしたって?」
「へへへ、シャーリーにつくってあげるんだー」
玄関のそばに不自然にしつらえられた鉢植えをもちあげ、ルッキーニがそこにかくしてあったこの部屋の鍵らしいものをとりだした。ということはエーリカよりもさきにいた少女が確認したところこの扉には鍵がかかっていて、ひょっとしたらインタフォンにもこたえがなかったようだった。それはつまり、部屋の主、シャーロットの不在を意味していた。
「ちぇ、せっかくのやすみに早起きしてあそびにきたのに。ねえねえ、しかしね、そんなもののありかをわたしなんかにあかしていいわけ?」
「え、だめなの?」
「いや、ルッキーニがいいならいいんだけど」
なれたようすで鍵をあけているルッキーニの手元をのぞきこみながら、エーリカはこれでここの出入りは完全自由だとにやける。それにしてもこんなに朝のはやくからどこにでかけているのか。エーリカはポケットにいれていた携帯電話をとりだして時刻を確認した。午前十時。休日の午前中といえばエーリカにとっては夢のなかにいるべき時間帯であるので、まさか訪問先の住人が留守だとは思いもしない。
「ねえ、この漫画のつづきは?」
「それこないだ新刊でたばっかりだよ」
「まじで、ちぇ」
すっかりと他人の部屋でくつろぎながら、ふたりで漫画がならべられているたなをのぞいていた。少女漫画から少年漫画、はたまたきいたこともないような出版社からでているらしい奇妙なものまでそろっている。シャーリーって漫画おたくなんだねえとエーリカが言うと、全部あたしのだよとルッキーニが反論した。
「さて、本題です」
ひとしきりだらけたあと、台所にたってルッキーニがたのしげにこぶしをにぎった。そのとなりにたちながらエーリカはようすを観察し、しかし少女は行動をつぎへとうつさない。本題ということはシャーロットにつくってあげるというスライムの作成に着手するということだと思ったが、ちがうのか。エーリカが首をかしげていると、ルッキーニが彼女を見あげる。
「スライムってどうやってつくるんだっけ」
「……」
お約束の展開に、思わずずっこけそうになる。ルッキーニはおかしいなあという顔をして自分の記憶をたどっていた。この女の子は、どうにも気持ちが先走ってしまい目的達成のための手段がいちいちそれにともなわないところがある。そんなところがルッキーニはじつにまぬけだとエーリカは言ったことがあり、それについてシャーロットにそこがかわいいんじゃないとだらけた笑顔でかえされた覚えがあった。まあたしかにねえ。あいかわらず理科の授業を思いかえしているらしいルッキーニをながめながら、エーリカはふうんと鼻をならす。
「まー。そういうのって携帯でしらべればだいたいわかるよね」
台所ですわりこみ、携帯電話をひらいて検索をかける。するとルッキーニはあっと声をあげてエーリカの背中にのしかかり顔のよこからいっしょに携帯の画面をのぞきこんだ。
「あたしのつくりかたでつくらないとだめだよー」
「でもわすれてちゃあつくれないよ」
「むー」
ほほをふくらませつつも、視線はしっかりとエーリカの手つきをおいかけていた。
「おっ、でたでた。なになに、まずは材料……洗濯糊とホウ砂だって」
「ホウ砂ってなに?」
「しらない。授業でやったんじゃないの?」
「えーそうだっけ……」
「とりあえずさ、材料ないとつくれないけど。どうせもってないんだよね」
きめつけるエーリカの言いかたにルッキーニは一瞬だけむっとするが、まったくの事実なのですなおにうなずく。エーリカはふむと腕をくみ、それからそのへんにほうっておいたよこかけのかばんをたぐりよせて財布をとりだした。材料費はまあ、シャーロットに後程請求すればいいのである。
「自転車のふたりのりはおこられるよ」
「おこるひとに見つかんなきゃいいの。見つかってもにげればいいしね」
洗濯糊ならどこにでもあるし、ホウ砂はたぶん薬局にあるだろう。自宅からのってきた自転車でゆるやかな坂道をくだりながら、エーリカは目的地をきめる。とりあえずスーパーへいって、それから本屋のまえをとおって薬局へいこう。
「てか、原付でさんざんふたりのりしといて自転車は躊躇するんだね」
「え、あれはふたりのりしていいものなんじゃないの?」
「ははは、教育まちがってるよね……」
「そんなことより、この自転車うしろのりにくいよー、あしひっかけてるとこばきっていきそう」
「げっ、これわたしのじゃないんだからこわすなよー」
スーパーにつくとルッキーニがお菓子を買えとうるさかったが無視する。いつもは買って買ってとさわぐほうのエーリカであるが、自分が買う側となると急に倹約家をきどるのだった。洗濯糊これでいいかな。ちょっとでかくない、こんなにつかわないよ。あまったらシャーリーにおしつければいいんだよ。あそっか、でも洗濯糊ってなににつかうの? しらない。結局ポッキー一箱もいっしょにかかえてレジへいく。この代金もシャーロットに請求することにしよう。
「あ」
ホウ砂も、無事薬局で手にいれることができた。なかなか値段がはったのでおどろいた。しかたがないのですこしだけならエーリカも自腹をきることにしよう。そんなことを考えながら自転車でシャーロットの家へともどる道すがら、急にルッキーニが声をあげる。ねえ、とめてとめて。しかも唐突な注文をするので、エーリカはついあわててブレーキをにぎる。
「なになに」
「ともだちがいた」
ひょいとうしろからとびおりて、車道をはさんだむこう側へかけていく。おいおい、左右の確認しなさいよ。わずかにひやひやしながら見送ったさきには、女の子がひとりいた。おとなしそうな子、急なルッキーニの登場におどろいているようだ。ルッキーニはといえばそんなことも気にせずにあいかわらず元気よさそうににこにことしている。しばらくきこえない会話をながめていると、ばいばいと手をふったルッキーニがもどってきた。ちなみに左右の確認はこんどもおこたる。
「学校の同級生?」
「ううん、サーニャは中学生だよ」
「ふうん」
「こんどサーニャにもスライムつくってあげるんだー」
上機嫌そうな声をききながら、あの子のなまえはサーニャというのかと思った。なんとなくむこうを見ると、エーリカたちと逆の方向へあるいていく少女の背中があるのだった。
「なにしてんのおまえら」
さあてここからが本番だと意気込みながらシャーロット宅の鍵をあけようとしていたところだった。声をかけられ、エーリカとルッキーニは思わず音源のほうへと顔をむける。そこにいたのはもちろん、アパートのそとからつづく階段をのぼってきたところのシャーロットである。
「あー。もうどこいってたんだよ、このわたしがたずねてきてあげたのに留守とか失礼にもほどがあると思うんだけど」
「わーい、シャーリーだ!」
肩をすくめるエーリカのとなりから、ルッキーニがとびだす。それを荷物を片手にさげながらうけとめ、シャーロットははあとため息をつく。
「そりゃアポなしでくるのがわるい」
「どこいってたの」
「見りゃわかるっしょ、かいものー」
ひょい、ともちあげられた手荷物は、エコバッグだった。
「それでは、いまから台所は立ち入り禁止です」
ふふんと鼻をならして仁王立ちでルッキーニが宣言をした。せまい居間のたたみのうえにすわりこんでそのようすをながめながら、シャーロットはエーリカをちらりと見る。なあにあれ、と視線でたずねるが、エーリカはとぼけた顔をきめこんでいる。それどころがシャーロットのことなどすっかり無視して、ルッキーニ、と声をかけている。
「携帯。いらないの?」
「あ、えーと」
一瞬不服そうにほほをふくらませるが、ルッキーニはさっさとあきらめてエーリカのさしだす携帯電話をうけとった。分量ちゃんとはかれる? ばかにすんなー。こそこそとたのしげに話をするふたりを尻目に、シャーロットは腕をくんでいた。
「おまえ、ルッキーニになにふきこんだの」
「あ、失礼なやつだ」
ルッキーニがかろやかな足どりで台所へむかったところを見計らい、エーリカをひじで小突く。わたしはあの子に手をかしただけだよ。しかし彼女は、納得しかねることしか言わない。
「ねえ、ルッキーニってかわいいね。シャーリーのことだいすきなんだ」
しかもそんな唐突なことまで言いだすので、思わず台所にたつ女の子の背中へと視線がうつる。鼻歌まじりの陽気なようす、やつの発言から憶測するに、ルッキーニはシャーロットのためになにかをしようとしているらしい。
「……なんか、あぶないことしようとしてんじゃないよな」
思いいたった予想にすこしはずかしくなり、てれかくしに保護者ぶったことを言ってみる。するとエーリカは、うふふと笑うのだ。
「わたしもあんな妹分がほしいなー」
「ハルトマンにはほんとの妹がいるじゃないか。双子のだけど」
「ウーシュはわたしにあんなことしてくんないよ」
エーリカはすこしからだをのばして、ルッキーニのむこう側をのぞいてみる。すこしだけ見えたあの子の手元、透明なコップのなかにできあがっていくへんなおもちゃは、台所の小窓からのぞく高くなってきた日差しにてらされてきらきらひかっている。けっこうきれいだな。エーリカはそんな感想をいだきながら、いっしょになってのぞきこもうとするシャーロットの邪魔もちゃんとしてあげる。
「こらえ性のないやつだなあ」
「仲間はずれはつまんないよ」
「あはは」
シャーロットらしからぬ発言に思わず笑い声があがる。本当にさみしいらしかった。ルッキーニだけじゃない、シャーロットもあの子のことがだいすきなんだな、とエーリカは思いつく。ルッキーニからプレゼントをもらって、いったいどんな顔でよろこぶのか。想像しただけでおかして、エーリカはくすくすと気づかれないように笑った。