「いいから、車をだせよ! おれが道案内をしてやるって言ってんだ!」
「僕に命令するな」

 がなりたてるクリストフのとなりで、ハンスが冷静に反論する。しかしふたりは一様に足をいそがせていた。先程おりたばかりのハンスの車に、そろってとびのる。

「駅のむこうの、商店街だ。そこに喫茶店がある」

 クリストフが言うがはやいか、ハンスは車を発進させた。とてもいやな予感がしていた。クリストフは携帯電話をとりだしてアナに連絡をこころみた。けれど、電源がはいっていないようだ。ちくしょう、こんなことならエルサにすこしかきまわされたくらいでにげだすんじゃなかった、アナをちゃんとつれもどせばよかった。クリストフは、携帯電話をにぎりしめて歯がみした。

「……っうわ!」

 瞬間、車が急停止する。シートベルトをしていたからフロントガラスに頭をぶつけてしまうことはなかったが、反動で座席に背中をしこたまぶつけた。

「なにしてるんだ、しにたいのか!」

 おい、とハンスに文句を言うよりさきに、彼が大声でさけんだ。はっとして前方をみれば、車の進行方向にひとがたっていた。見おぼえのある人物だ。彼女はとおせんぼうをするようにかるく手をひろげて、運転手を見ていた。クリストフはすこしかんがえて、車をおりる。おい、とハンスの声がした。

「ひさしぶり、おれのことおぼえてるか」
「ええ、もちろん。ひさしぶりね、クリストフ」

 つづけておりてきたハンスは、ふたりを交互に見て怪訝な目をした。まさか彼女が、と耳打ちされて、首をふる。彼女はエルサではない、けれど、この一連の事態のふかいところにかかわっているであろう人物だった。ラプンツェルは、じっと、まえを見すえていた。

「ラプンツェル、きみはひょっとして、エルサのことも、アナのこともしってたのか」
「……。ユージーンの言ったとおり、いいところまで気づいちゃったみたいね」

 アナの親友が、なぜだかさみしそうにまゆをよせた。クリストフは、まわりくどい言いかたにじれったくなる。ひとり事態がのみこめないハンスは、それでも口だしをするよりは静観したほうが話ははやいと思ったのか、ことのなりゆきを見とどけている。

「ユージーン?」
「もうしわけないけど、彼にあなたのことを見はってもらってたの。といっても、彼が目をひからせていたのはエルサのまわりだから、あなたがそこにはいってきただけのことだけれど。それから、そっちのあなたがハンスね」
「……ああ」

 みじかい返事に、ラプンツェルはまゆをひそめた。それもそうだ、彼女にとってハンスは親友を傷つけてた大敵なのだ。しかしそれをしるよしもない彼は、さぐるような視線をラプンツェルにとばしている。よけいな問答をさけたいクリストフは、ふたりのあいだにわってはいる。

「きみ、いままでいったいどこにいってたんだ?」
「ずっと北のほう、って言えばだいたいわかるでしょ? そこでさわいでる連中をごまかしてたら、随分かえってくるのがおそくなっちゃった」
「そうか……とにかく、おれたちはいそいでるんだ。アナとエルサにあいたい。どいてくれないか」
「……そうしたいのはやまやまだけれど」

 ねえ、あなたたち、きっとエルサのこと誤解してるわ。ラプンツェルが、しずかに言った。ふたりは顔を見あわせる。

「誤解? どういうことだ」
「エルサは、あなたたちが思っているよりも単純ってこと」

 彼女だって、ただの人間だってこと。さあっと夏の風がふいて、ラプンツェルの前髪をゆらした。やわらかくはねた彼女の髪、それをそっとなでて、かなしそうな瞳がうつむく。

「エルサがなにをしようとしてるのか、正直わたしもわかってない……でも、アナに危害をくわえる気がないことはたしかよ。クリストフ、あなただって本当はわかってるんでしょ? あなた、彼女と話をしたんでしょう?」
「……」

 クリストフがだまると、ハンスが一歩まえにでた。じっとラプンツェルを見る。

「エルサがアナに危害をくわえる気がないことは納得したとしよう。だが、きみもいい予感はしてないんじゃないのか?」

 こんどはラプンツェルがだまる番だった。彼女は目をそらし、とまどったように腕をだく。それからゆっくりと、口をひらく。

「……きっと、エルサの気持ちは、わたしがいちばんわかるはずよ。わたしも、ふしぎなちから、もってたもの」

 それは、過去のことを話す口ぶりだった。ラプンツェルもまた、自身のちからに翻弄された少女だった。そういうもの同士、エルサとはおさないころからよく顔をあわせていた。うらやましがられたことをよくおぼえている。私のちからは、だれかを傷つけるばかりだけど、あなたのきれいな髪は、ひとをたすけるのね。とてもすてきだわ。エルサのすなおな声を思いだすたび、胸がいたくなる。
 ラプンツェルのながい金髪にやどったひかりのちからは、老いをなかったことにし、傷口をけしさった。彼女のちからをもとめるものはあとをたたなかった。このみょうなちからが役にたつことはうれしかった。けれど反面、彼女を危険にさらす機会もおおくもたらした。そんな生活を、あのころの自分はどう思っていたのだったろうか。ただたしかなことは、そのなかからひっぱりだしてくれたのはユージーンだ。ラプンツェルのうつくしい金髪は彼にたちきられた。髪が茶にそまるとともにちからをうしなったラプンツェルを、そればかりをみなからもとめられていた彼女のただのそのままを、あいしてくれた。

「けれど本当は、きっとわたしにはわからない。わたしはちからをうまれもったわけじゃない、いまだって、もうもってない。でもエルサは、ずっとそれとむきあっていかなきゃならない、にげられないの……」

 ハンスの言うとおり、いやな予感はしていた。エルサはきっと、ラプンツェルからしてみればまちがったことをしようとしている。けれど、その是非をかたる権利が、いったいだれにあるというのだろう。エルサのくるしみを理解できるものは、きっとエルサだけだ。ならば、なにものも、口だしなどできない。

「ねえ、アナの髪の色。ひとふさだけ、エルサとおなじ色をしていたでしょう? あれは、エルサのちからが影響したせいなの。彼女、それを、本当に後悔してた」

 ふたりの姉妹がほんのこどもだったころ。すこしの不注意で、エルサのちからがアナを傷つけた。アナのなかに、エルサの氷のかけらがうまってしまった。もう二度とこんなことがあってはならないと、彼女たちの両親は苦渋の決断をした。アナをエルサからとおざけなければならないときめた。彼らは、そこかしこからむけられる欲から、エルサをまもらなくてはならなかった。自分たちがそばにいては、アナにもその矛先がむくだろうと思った。アナは、うんとはなれた場所で、たったひとりぼっちでしずかにくらすべきだと、そうこころにきめたときの彼らの心中は、いったいどれほどの苦痛にみちていたのだろう。

「アナのこと、見ててほしいって。そう言ったのはエルサだった。エルサのかわりに、ご両親のかわりに。わたしなんかじゃ全然役者不足だっただろうけど、……それでも、わたし、だいじなの。アナのことも、エルサのことも」

 切実なつぶやきは、ふきぬける風にとばされてしまいそうだった。クリストフは、なにも言えなかった。おのれの独善をつきつけられたような気になった。アナのために、エルサをあばかなければいけないと思った、けれど、それは本当にただしいのだろうか、彼女たちのあいだにわってはいる権利なんて、どこにもないのではなかろうか。

「……だったら」

 しかし、その場のわだかまりをこわそうとしたのはハンスだった。しばらくだまっていた彼が、しずかに言う。

「だいじなんだったら、だいじにしきるべきじゃないのか。エルサが自分のきめたことをつらぬくなら、あなたもおなじようにしていいと、僕は思うけどね」

 クリストフは、唖然として彼を見た。その視線をうけて、ハンスは気むずかしそうに唇をゆがませる。まるで自分の独善すら肯定された気分だったクリストフが、感心したようにとなりの肩をたたく。

「おまえも、たまにはいいこと言うんだな」
「僕は客観的な意見をのべたまでだ」
「おまえって、じつはわるぶってるだけなのか?」
「きみ、もうちょっと論理的に話してくれないか。ついていけない」
「ああ?」

 場合もわすれてハンスにくってかかろうとしたところで、はあ、とため息がしてわれにかえった。ラプンツェルのほうを見れば、彼女は気がぬけたように首をかしげていた。

「なんだか、あなたにさとされるのは癪ね」
「……」

 そのころには、ハンスも自分がアナにしでかしたことが周知であると理解していた。きまりがわるそうに腕ぐみをして顔をしかめる彼を見て、クリストフは笑ってしまった。
 などとのんきになっていたところで、着信音がした。思わず自分のポケットにはいっていた携帯電話をつかんだクリストフだったが、その音がなっているのはラプンツェルのほうかららしい。

「はい、ユージーン?」

 すばやく電話をとった彼女の顔色がかわる。むこうのようすがただことではないようだ。

「わるい、しくじった」
「え、なんですって?」
「ウィーゼルタウンのじじいが、勘づいちまったらしい。俺さま一生の不覚だ」
「ウェーゼルトンじゃなかったっけ? ってそんなことどうでもいいわ」

 さっさと通話を終了したラプンツェルが、あわててハンスの車にはしりよる。

「ちょっと、なにぼけっとしてるの。はやくいくわよ」
「……ここはとおせないんじゃなかったっけ?」
「そんなこと言ったかしら? わたしは、わたしのだいじなものをだいじにしたいのよ」

 強気な口調に、クリストフとハンスは顔を見あわせる。それからおたがいにっと笑って、随分はやくはしれそうな車にのりこんだ。
第六話 第八話
14.04.15