いままで意識したことすらなかったが、教会のうらからすこしあるいたところにひろい森がある。
一発の銃声がひびく。うすぐらい森のなかでのそれはあまりに不似合いで不気味だ。それにおどろいたのか、鳥の群れがずっとおくのほうでとびたった。がさがさという雑音はしずけさを強調し、さきの人工的な音をさらにおもくるしくした。
はきだすことすらわすれていたむねのなかの空気を、はっと一気においだした桃香のとなりで、牧師は息をのむ。なにを、そう声をあらげて、自分をつきとばした人物をにらむ。右手には猟銃をにぎったまま。それのさきからはなたれた銃弾は、見当はずれな樹木のひとつにきずをつけただけだ。
桃香はふるえる目もとで、本来のねらいを見た。桃香はそこでやっと、はだで感じた。理解した。
「キミがなにをかんがえてるかしらないけど。人間じゃないんだよ、それ」
あまりにいさぎよい牧師の声は、桃香にとってはそれこそ人間のものではなかった。
「……冗談だよ」
こん、と銃口でひたいをこづかれた。わずかな衝撃に、桃香はへたりこむ。緊張がとけて腰がぬけた。一瞬ま白くなった視界に黒い光景がもどってきて、目のまえの牧師のいやなわらいもよく見える。
「……」
「ごめん、びっくりした?」
「……せんわけないじゃろ。あんた、悪趣味すぎる」
桃香はたたない腰を無理やりたたせてたちあがる。ほこりをはらうそぶりをして全力で牧師をにらむ。そこでやっと、さきほどの彼女の発言の意味を咀嚼できた。
「……吸血鬼に、猟銃? 十字架とか、にんにくとか杭とかやなくて?」
「ふるい言い伝えは、ふるい時代にしか適応できないよ。そんなのがきくのは、ほんとにひとにぎりしかいないんじゃないかな」
特殊なちからに反応するほどつよくばけものの血をたもててるのは、そんなたくさんいないから。牧師はつくえのひきだしをあけ、しかくいはこをとりだす。包帯がはいっていたものよりおおきい。それからとりだされたのは、銃弾。
「それってつまり、ばけもんやけどちからはないっちゅうこと?」
「表にはでていないね」
てなれた手つきがすいすいと弾をこめる。ほとんど人間とかわんないのもいるよ。自分のこと人間だと思って人間のなかでくらしてるのもね。たんたんとした口調が語るのはしんじがたい真実である。
「でも、ころすんですか」
ほとんど人間ならば、ころす必要があるのか。自分のことを人間だと思っているばけものならばころさなくてもよいのではないか。しかし桃香の正論は、牧師にとっては失笑のひとつでふきとばせるほどもろい。
「うまれたときからかいならされてるライオンだっていつだいすきなご主人さまにきばをむくかしれないんだ。どんなに洗脳しても、本能ってやつは支配できないんだよ」
がしゃん、と牧師の手元がおおげさな音をたてた。銃弾がこめられた殺戮の道具はよりおもおもしく自己を主張している。どんなに人間にちかくても、おくそこに人外のものがひそんでいればころす。なげやりな空気がそう語った。ふと、牧師が顔をあげる。
「いまからちょっとでるけど、ついてくる?」
ここは、うなずいても首をふっても、結局正解ではないな、と桃香はなんとなく思った。
「なんや不気味……」
「森っていうのはね、非日常とか異世界とか、そんなのの象徴なんだ。だからきもだめしにつかわれたり、少年がおとなになるための通過儀礼の舞台として物語に描かれることもおおい」
教会のうらの森。そのなかを、桃香は牧師とふたりであるく。一歩まえをいく、猟銃をかずいた牧師。でもここの場合、そんなイメージの話じゃおわれないんだよね。ゆっくりとすすみながら言う。
この森にはみょうなちからがあるという。それ故に、人外のものをよびよせるのだと。そのようなやからが村人に危害をくわえないように、と牧師は日々パトロールにあけくれているとのことだった。くだんの帳面は、趣味でつけている記録帳だそうだ。ころしの記録とは、ほんとうに悪趣味じゃないか。
(……ばけものころすんが仕事ね)
これが、ときどきすがたをけす理由か。 桃香はいまいちど牧師のせなかを見た。だれにもしられてはいけない、とそう言ったくせに、すすんで話をしつれだすとはいったいどういう了見なのか。なにをかんがえているのかわからないというのが本音だ。
昼間なのにくらい森のなか。たかい木々が空をさえぎり、そこらじゅうからなにかの気配を感じるような気がする。やはり不気味だと思った。
「でも、ふつうこういう隠密っぽいことするんって、夜とかとちがうんですか。なんで昼」
「やつら、なんだかんだで夜行性だから。夜だったらめんどうなことになるかもしれないしね。でも夜とか昼とか、月とか太陽とかそういうのもたいして影響ないみたい。へたしたら、ほんとに人間とかわんないのかもね」
それでもころすけど。声にはなっていないが、せなかがそう言った。
(きもちわるいやつ)
どうやってそんなに平気に、ころすとかころさないとか、そんなことが言えるのか。それこそ、人間とは思えない。ばけものか人間かのちがいなんて、まるであいまいじゃないか。
「……先生も、不気味じゃ」
「自分ではそうは思えないんだ、残念ながら」
ふと牧師があしをとめる。ならってたちどまると、彼女がふりかえる。私に言わせれば、キミのが不気味だよ、すごく。なんだと、と反論するまえに手がのびてきて、ぎょっとする間にかたをおされた。そのまま、そばのしげみにおしこまれる。
「な……」
「見つけたよ」
なにが、とはきかなくてもわかった。牧師のことばをかりれば、きょうの獲物だ。牧師がしげみのなかから銃をかまえる。桃香もはっとして、銃口のさきを目でおう。そしてすぐに、度肝をぬかれた。
「……あれですか、獲物て」
「そうだよ」
「でも……」
どう見ても人間やないですか。すこしはなれたところにあるふとい木の幹にせなかをあずけてうずくまるそれは、あきらかに人間でこどもで、少女だった。ねているというより、いきだおれていると見たほうがしっくりとくるようす。
「なんかい言わせんの。ほとんど人間なんだ、でも人間じゃないんだよ」
牧師のことばはただしい。現実に目の当たりにしてやっと、桃香は急激にすべてを理解した。しかしそれは頭がであり、感情はそれをうけいれない。吸血鬼と言われて、見るからに怪物といった風情の大男やもっとおそろしい形相をしたものを想像していたのに。いま目前にいるのは、どう見ても、ちいさな女の子だ。それだというのに、牧師のゆびは引き金にかかり、間髪いれずにちからがこめられる。かんがえるよりさきにからだがうごいた。牧師をつきとばす。
「はっ……」
牧師が息をのむ音、銃声、とおくで鳥がとびたつ音。連続にきこえたそれらの音は、まるでうそのようにとおかった。
「なにを……」
牧師がさけぶように言う。彼女のこんな声をきくのははじめてだった。でもいまは、そんなことはどうだっていい。桃香はとびだして、少女によった。
「ちょっとあんた。大丈夫か」
かたをつかんでゆらした。かすかに少女の表情がふるえる。よかった、いきている。ほっとしたのもつかの間だ。うすよごれた衣服、顔。こんなこどもがいったいどうして。いぶかしんでいると、背後に気配がした。
「……キミがなにをかんがえてるかしらないけど」
人間じゃないんだよ、それ。残忍な声にぞくりとした。ふりかえる気になれない。桃香はぎゅっと少女のかたをだいた。それからつい顔をしかめる。
(人間やなくても、こんな)
あたたかいのだ。