自分のベッドにねかせた少女のひたいをふいた。つちぼこりによごれていたひふはふいてみれば病弱と見えるほど白い。むしろ青白い。まぶたもくちびるもとざされて、まるで呼吸をしていないかと思うほどよわよわしい寝顔だった。

(人間やないって、これが?)

 人間じゃないものかどうか見わけるちからくらいならある、と牧師は言っていた。じっさいころそうとした。頭がいたくなる。かりにひとじゃなかったとして、だからってこんなこどもまで。桃香があのとき自分の背をたてにしてこの子をまもらなければ、おそらく本気でころされていた。
 いらだった牧師は桃香と少女をおいてさきに教会へもどった。牧師の気配がきえるまでみうごきすらできなかった桃香は、ひとり少女をせおって、半日かけて森からぬけた。かえりみちもわからない彼女をおきざりにするほど、牧師は頭に血がのぼっていたのだ。もしかしたらわざとかもしれないが。
 住処にもどればもう五十鈴がかえってきていた。彼女はとても混乱していて、牧師がとてもおこっていてかえるなりへやにこもってでてこない、となきそうな顔をした。それからこんどは桃香にせおわれている少女に気づいて顔を青くする。頭のいい彼女はそれですべてが理解できたらしい。桃香はせめて五十鈴には味方でいてほしいと思った。一瞬だけ牧師のへやのほうを見てから、五十鈴は桃香たちをなかにとおした。先生は、わたしがなんとかします。さがったまゆとはうらはらのしんのある声にほっとした。

「……めいわくばっかかけとるな」

 つぶやいて、なんとなく少女の手にふれると、ぴくりと反応があった。ぎくりとしていると少女のまぶたがあがる。覚醒は一瞬だった。だれ、とちいさなつぶやき。

「あなただれ、ここどこ」

 桃香がせいする間もなく少女は上半身をもちあげる。ベッドのわきでいすにこしかけていた桃香と目線がちかよる。ふしぎなことに、少女のひとみには警戒の色は見られなかった。

「ここはウチのへやで、ウチは、吉備桃香」

 なんもせんけえ、もっかいねとき。極力やさしい声をつくってかたをおした。これまたふしぎなことに、少女はおとなしくそれにしたがう。ぱたんとねなおして、桃香を見あげた。

「あたし、ころされなかったの」
「……」

 ことばにつまった。あまりに予想外な発言。緊張した目で見おろすと、少女はふうと息をはく。きこえてたんだ、森のなかで。あなたがたぶんあたしをかばってて、もうひとり、こわい声のひとがいた。冷静な分析はほぼただしかった。逆におおいに混乱しているのは桃香だ。

「……。あんた、あの森で、なんでたおれとったん?」
「あなたしってるんでしょ? あたしがひとじゃないって」

 もといた町で正体がばれちゃってね、ころされかけたから、にげてきたんだ。おじいちゃんはころされちゃった。でもけっきょくおなじだったみたいね。ここでもころされるのかな。平坦な声が言った。およそちいさな少女がくちにするようなことばではないし、冷静に話せるような内容でもない。なにより確定的なことば。

「……ひとじゃ、ない」

 牧師の言ったことは、ただしかったのだ。ねえ、あたしころされるの? たずねた少女にむけて、なんとか首をふる。頭をひやすためでもあった。

「あんた、べつにウチらのことどうこうしようとか思っとらんじゃろ」
「うん」
「ほんなら、ころす理由なんかない」

 こわい声の、性格のわるいやつがおるけど、そいつもなんとかする。話のわかるやつもひとりおるけん。さきほどふれたてのこうをこんどはぽんとたたくと、はじめて少女は笑った。屈託のないそれは、なぜかとてもなつかしかった。

「……なあ、いっこきいてええ? ひとやないって、あの、……吸血鬼とかそういうのなん?」

 きくことではないと思ったが、興味のほうがつよかった。しかし少女のほうは気にするでもなくううんとうなる。

「そうみたい」
「みたい、って」
「おじいちゃんはね、人間の血のんだことあるって言ってたけど、あたしはそういうことしたことないんだ。ずっとまえにしんじゃったおとうさんもおかあさんも、ないって言ってた」
「そおなん? それでいきとれるんか、人間の血が食糧なんとちがうんか」
「ひととおなじものたべてればいきてられるよ。でもそれだと短命なんだって。本来のいき方を放棄してるからだっておじいちゃんは言ってたけど」

 だから、あたしの両親ははやくにしんじゃったんだって。なんとも思っていないふうな声だったが、桃香はくちをつぐんだ。よけいなことをききだしたかもしれないと反省する。しんだ両親の話に、ころされたらしい祖父の話。しかも、おそらく人間の手によってだ。

「……その話がぜんぶほんまなら、あんた、ほとんど人間とかわらんやんけ。血だって、すったりできんのじゃろ?」

 それなのにころされかけたなんて、と、きっと同情のにじんだ目で見おろしていた。それをしばらく見かえしたあと、少女はさきほどから自分のてのこうのうえにおきっぱなしになっていた桃香の手をにぎった。はっとしているうちに、いたいほどにちからをこめられた。おどろいて少女の表情を見ると、彼女は笑った。

「……ためしてみる?」
「……っ」

 反射的に手をはらってたちあがった。こしかけていたいすががたんとおおきな音をたててたおれる。すると少女は緊張する桃香を見て、しばらくして笑った。

「じょうだんだよ。できないよ、あたし。きばだってはえてないもん、ほら」

 い、と歯を見せた。白い歯がならぶ。自分のものと大差ない形だった。桃香はそれを凝視したあとたっぷりとしたため息をつき、たおれたいすをもどしこしかけなおす。

「……あんた、よおこの状況でそんな冗談言えるな」
「あれ、そっか。あたしへたしたらころされるもんね」

 えへへ、と無邪気に笑う少女。気をうしなっている間はあまりにもろそうに見えたが、じっさいのところはなんとも豪胆なこどもじゃないか。桃香は思わずあきれそうになって、それから笑った。

「そういうことなら、ころさせはせん。あんたはウチがまもったるよ」

 ほんなら、もうひとりの話がわかるやつよんでくるけん。ちょおまっとって。たちあがって、桃香はへやをでかける。そこでふと思いついた。

「そういや、あんたなまえは?」

 ドアをおしあけながらふりかえると、未知、と少女はそれだけ言った。未知ね。おぼえた。ウチのことは桃香でええよ。桃香は言ってから、へやのドアをゆっくりとしめた。
 
07.12.03