雨はすぐにあがったから畑のほうへでていたけれど、すぐにまたふりだしてしまった。

「くそ、さいあく」

 屋根のしたに避難して服についた水滴をはらった。麦わらぼうをとってそれにもついている雨の残滓をふっておとした。顔をあげればうすくくらい空模様からたくさんの粒がおちてきていた。桃香はふうと息をつき、雨がやむまで休憩ということにする。湿っぽい空気が鼻をかすめて、もう雨がふれば肌ざむい季節なんだなと思った。

「あ」
「あ、見つかった」

 キッチンのほうまでひっこめば、そういえば見あたらなかった未知がいた。テーブルのいつもの自分の席につきまどのそとをながめている。さぼりか、と説教をするつもりで問えば雨なんだものと言いわけがかえってきた。が、桃香自身も雨を理由にここにいるのだからもうなにも言えない。
 五十鈴は村の中心のほうへかいものにでているらしい。ふたりでまどのそとをながめる。やむ気配は微塵も感じられなかった。

「桃香ちゃんってさあ」
「え?」

 急なよびかけにはっとした。思いのほかぼんやりとしていたらしい。まどから視線をそらして未知を見ると、彼女はあいかわらずさきほどとおなじ体勢だった。ほおづえをついてけだるそうに、まるで息すらしていないような。

「桃香ちゃんて、なんでここにいるの?」
「え、なんじゃ急に」
「……」
「……、まあわんこのやつとむかしのしりあいで、ほんでここではたらかしてもらっとるだけの話。べつに特別な理由はないけど」

 自分でそう言ってから、そういえばなかなかにみょうな境遇におかれていることを思いだす。最近になって気づいたことは、自分は教会があまりすきでないということ。それなのに牧師につかえて教会でくらしているのだ。

「ねえ、ここにいてたのしい?」

 きょうはみょうに機嫌がわるいじゃないか。桃香はぶしつけな態度の少女を不審に思いながら、それでもいらつきはなんとかおさえていた。

「……べつに、つまらんことはないよ。ねるとこもたべるもんもあるし、いきてける。ここにおれば。それで充分なんとちがうか?」
「ふうん……そんなことかんがえてたんだ。てっきり、わんわんとかせんせいとか、みんながいるからここにいるんだと思ってた」
「……」
「そんなことかんがえたこともないと思ったでしょう。ふふ、うそだよそれ。ほんとはここが心地いいくせにさ」
「ええ加減にせえよ」

 思いきりテーブルをたたきそうになったこぶしをにぎる。未知がなにを言っているのかわからなかった。かんがえたことがないのは桃香の真実だった。いままでただいきてきただけで、それの意味をさがしたこともみつけたこともない。このこどもが、いったい自分のなにをしっているというのだろうか。

「あたしね、桃香ちゃんはいまのまんまじゃだめだと思うんだ」
「……どういう意味?」
「なにもしらないってこと。桃香ちゃんはね」
「じゃあ、あんたはなにをしっとる言うんじゃ」

 あらい声がでた。機嫌がわるいのは桃香もおなじだ。雨のせい、そういうことにしないとやっていられない。いつの間にか自分の目をとらえている未知の瞳が、自分のずっとおくをさぐっているような気がしてこわくなった。にらみかえすこともできずにいると、少女はにこと笑ってからたちあがる。

「ここで雨の観察するのにもあきちゃったな」

 そう言いのこしてから、未知は出入り口のほうへあるきだした。それを見おくってからすこしまよって、桃香もたちあがる。おいかければすぐにおいついて、未知はほそながい植木鉢を見おろしていた。五十鈴の花。赤い花がさいてる。このまえきれいにさいたとうれしそうにしていたことを思いだした。

「きれいだね」
「ああ…、たしか」
「ゼラニウムでしょ。ちいさくてかわいい」

 言いあてられて意外だった。花がすきなのかとたずねれば、にあわないでしょと舌をだされた。

「赤いゼラニウムの花言葉は、愛情とか決意とか、それから、真実の友情、……」

 指おりかぞえながらいくつもことばをならべる未知のよこで桃香はもういちど植木鉢に視線をうつす。雨の音のなかで、それはまるでふるえていた。

(真実の、友情)

 急に、あの日の五十鈴と牧師を思いだした。桃香のしらないふたり。あのふたりをむすぶもの。それは友情なのだろうか、もっとべつものなのか、ひょっとすれば、それ以上のなにか。

「あいつらしい花言葉」
「……そうだね、やさしいもんね、わんわんは」

 でも、やさしさって、ひとつじゃないと思わない? はっとした。未知のほうを見れば、その目はまた花をうつしているが、まるでなにも見ていないように思われた。また思いだす。未知と五十鈴がはじめて顔をあわせたときのこと。あの夢のつづき。桃香がぬすみぎきをしたことを、気づいていないはずがないのにしらないふりをして桃香のへやにもどってきたときのことだ。未知はあのとき、五十鈴を見て一瞬だけかたまったのだ。いちども動揺しなかった少女の、はじめての感情のゆらぎ。とくにふかくかんがえてはいなかったが、あれはきっともっとふかい意味があったのではないか。そして、この少女は、いつのまにか五十鈴ではなく自分のてつだいをするようになっていた。

「うん…やさしいよ、すごく。あたしにだって、とうぜん桃香ちゃんにも。でも、せんせいにはさ。せんせいには、あんなの……だって、あたしなんかにだって……」

 うすく笑みをうかべながら、なきそうな声が言った。いつの間にか雨音はとおのいて、ちいさなちいさなつぶやきもそれにかきけされることはない。それでも、桃香には未知がなにを言おうとしているのかわからなかった。
 
08.08.08