昼休みの中庭は陽気につつまれて、鼻先を初夏めいた空気がかすめていく。リンはぼんやり空を見あげて、うすい雲のすきまからちらつく太陽の光に目をほそめた。

「まぶしい」
「そりゃあ、昼間の空はまぶしいだろうね」

 菓子パンの封をあけながら、となりにすわる翔子が適当な返事をした。ふうん、とリンは鼻をならし、太陽光をさえぎるべくつきだしていた右手を視線とともにあっさりおろした。ごはんたべないの。よこからはもっともな質問がとんでくる。

「なにしてんの」

 それにこたえるいとまもあたえず、つぎの質問。リンはてのひらで片目をおおった状態で、右側にいる翔子のほうを見ていた。

「昼飯かってくんのわすれた」
「パン半分あげようか」
「べつに腹へってないからいい」
「リンはいつもおなかへってないんだね」

 翔子はまるいパンにかじりついた。あまくておいしかった。午後の最初の授業はなんだったかな、ひょっとして古典だったろうか、あのおじいちゃん先生はねむくなる声で話をするわりに気まぐれにやたらとあてるからこまったものだ、ああ、予習してあったかしら。漠然とした思考のおかげで、古典の授業をうけずとも眠気がそろそろとやってきた。翔子は口のなかのぼそぼそした食感にしっかり歯をたててよくかんだ。

「で、なにしてんの」

 手のなかのまるいのも、もう三日月みたいな形になっていた。というのに、リンときたらこちらを見たままだ。もちろん、右目をおおったふしぎなかまえも継続している。

「やっぱさー。片目見えないと不便じゃない?」
「はあ」

 なにが言いたいのかわからなかったので曖昧にうなずいてやった。それからふと思いあたる。

「いや、わたしはちゃんと見えてるよ、両目とも」
「え、そうなの?」

 本気なのか冗談なのか、リンはおおげさにおどろいた。翔子のながい前髪は左目をすっかりおおいつくしている。とはいえけっして見えないわけではない、視界が良好ではないこともたしかではあるが。

「まじかー」

 わかりやすく落胆したリンは、そのままころんと芝生にあおむけで寝そべった。そしてすぐに、まぶしい、と愚痴をこぼした。

「でもまあ、そりゃあね。やっぱり、片目しか見えないんじゃいろいろたいへんだろうね。視界もせまそうだし、遠近感覚もないんだろうし」
「……やっぱそうだよな」

 唐突なひくい声にすこしおどろく。視線をおとすが、リンの両腕が光をさえぎるべく顔をおおっているせいで、その表情はよめない。

「あたし、ちょっと寝る。あとでおこして」
「午前の授業中も寝てなかった?」
「ねてたねー」
「まだねるのか」
「昼はねむいもんじゃない」
「それはまあ、否定できないなあ……」

 いま、たのしいことしてるから寝不足なんだよ。ほとんど寝言みたいな発音で言ったのち、リンは完全に沈黙した。なるほどね、と合点がいく。彼女の言うたのしいことといえばコンピュータ関連のことにほかならないだろう。そういえばこのごろは、オデット二世が気になるとにやにやしていた気がする。ふむ、と翔子はあごに手をあてた。まったくもって、極端にふりはばのおおきなやつだと思う。

「おまたー」

 ふと、かけてくる人影があった。三つのパックのジュースをかかえたアスタが、やたらとたのしそうな顔をしてリンをはさんで翔子の反対側に腰をおろした。

「おそかったね。もうたべおわっちゃたよ、わたし」
「まっててくれなかったの!」
「ていうか、リンなんか寝たし」
「ほんと薄情だなきみらは」

 せっかくジュースかってきてあげたよによー。元気よく唇をとがらせて、彼女はずいっと翔子に紙パックをさしだした。もちろん、翔子のすきな味のもの。

「どうせなら、パンたべながらのみたかった」
「かってきてあげたのになんてわがままな」
「きょうのパン、ちょっとぱさぱさしてたんだよ」

 やんわりおふざけがすぎたところで、アスタに飲み物をとりあげられそうになった。うそ、ありがとう。やっとお礼を言うと、彼女はふうんと鼻をならしてからのりだしていた身をひっこめた。はじめからそう言えと言いたげな横顔を見ながら、翔子はこのみを把握されていて気はずかしかったのだとは言い訳できなかった。

「リンっていつも寝てんなー」

 せっかくリンのすきなジュースかってきたのに。アスタは言い分のわりには気にもとめていない顔で弁当をあけている。ストローをさしてひとくち目をたのしんでいた翔子は、のこりのふたつをすっかり自分のものにすることにしたらしい彼女をながめた。

「それ、リンのすきなやつなの」
「うん、何回かこれかってるとこ見た」
「ふうん……」
「ねね、リンの鼻つまんでいいかな」
「かみつかれたくなきゃ、よしたほうがいいねえ」
「ていうか、リンちゃんとお昼ごはんたべたの」
「たべてない」
「やっぱりか」

 そう、リンは極端なやつなのだ。興味のあるものにしか興味がない。食に関しては、興味のない部類にしっかりえりわけられている。食事をぬくことはまれではないし、なにかを口にしているところを見たときはたいていチューブにはいったゼリーだったり固形の栄養調整食品だったりというのが常だった。

「そのジュースも、すきってわけじゃないんだろうね」
「え、そうなの?」
「どうせ、えらぶのが面倒だからそれってきめてるとか、そんな感じじゃないかな」

 翔子はまえに、そういう無関心さについて口をだしたことがあった。しかし、いつも購買のできあいのパンをかってばかりのおまえに言われても、ともっともな反論があったのでそれ以上はなにも言わないことにした。とはいえ、リンの問題はそこだけではないのだ。彼女はそもそも、己の生活習慣自体に気をつかうことを拒否している。そんなところにまわす元気があるなら、だいすきなコンピュータとふれあっていたいといったところなのだろう。ゆえに、睡眠時間も気まぐれなのだ。まさに、いまのように。
 ふたりのあいだにある寝顔、腕のあいだからのぞくしかめっ面みたいにゆがんだ唇をながめて、ストローをくわけたままの彼女はふうと息をつく。まったく、だれかこいつをどうにかしてやってはくれぬものか。

「翔子ってさー。案外まわりのこと見てるよね」

 ふっと、唐突なことば。ぼんやり長考にふけっていた翔子はすこしおどろく。視線をすべらせれば、アスタが弁当をかきこみながらどっちのジュースをさきにのもうかきめかねているところだった。

「え、そう?」
「そうそう。片目しか見えてないくせにやるよねえ」
「……」

 さっきもきいたような納得できない台詞である。いや、見えてんだけどね、ちゃんと。げんなりして反論すると、まじか!とアスタはリン以上にオーバーなリアクションをしてみせるのだ。こんどはうんざり。

「ねえねえ、そんなことより、あたしのこともなんか分析してみてよ」
「分析って……そんなたいそうなもんじゃないけど、そもそもアスタみたいに単純だと分析もなにもないような……」

 ぼそりと本音を言うと、アスタは当然ぎゃあぎゃあと文句を言いはじめた。翔子はそれをききながしながら、前髪きろうかなあ、とぼんやりかんがえるのだった。
 
12.06.08