ざわつく食堂は、あまり彼女にはにあわないと思った。フローラはちらちらとまわりを観察してから、わざとらしく息をつく。ひろいところのすみっこの、すこしふてくされているような席。

「おとなりいいかしら」
「……あら」

 こつん、と昼食がのったトレイをおいて、フローラは首をかしげてみせる。するとジェニーは、まさにいま気がついたという顔をあげる。ひとりきりの彼女は、ずいぶんぼんやりとしているようだ。どうぞ、と手でしめされたので、ありがとうと言ってから左隣にすわる。

「きょうはひとりなのね」
「ふられちゃったの」

 それなりに予想どおりの返答だった。最近の彼女はとあるかわいい女の子と昼食をとることを日課にしていた。フローラのクラスメイトで、ジェニーとはとくに接点もなかったように思われる。しかし、この目ざとく手のはやいジェニーのことなのだ。どこで気にいりいつ近づいたかなど、フローラに察知できることではない。

「また、ふらせたのね」
「人聞きがわるいわ」

 フローラがいやみを言うと、ジェニーはことばだけで不平を表現した。口元にはうっすらとほほえみ、視線はちょうど正面にある窓のそとをながめている。それが随分たのしげなので、いったいなにを見ているのかと目でおってみるがなにも見つけられなかった。フローラにしてみると、ジェニーはとてもへんなやつだった。
 たとえば、彼女はとても誠実な人間だった。そして、淡白な人間でもあった。余計な好奇心がつよく、余計な執着心はなかった。いまここに彼女はいるのに、まるでふれることも声をかけることもかなわぬような、そんな不安定な魅力をまとう。ジェニーの見ているものは、たぶんいつもここにはないのだ。根拠のない文芸じみた発想がにあってしまう、それがフローラにとってのこの友人だった。

「いっしょね」
「え?」
「これ」

 ジェニーが、右と左のトレイを順に指さす。そこで合点がいく。彼女たちのまえにならんでいるのは、偶然にもおなじメニューだった。

「これね、あの子がすきなランチセット」
「ああ……そうなの。おいしい?」
「とっても」

 そう言うわりに、ジェニーはフォークでサラダをつついてばかりだった。こういうこどもじみたしぐさも、彼女がやると行儀よく見えた。しゃんとのびた背筋で、ひそやかな瞳が手元を見おろす。フローラはしばらくその横顔をながめていたが、いい加減あきてきたので自分もフォークを手にとった。

(さみしいなら、あの子にそう言えばいいのに)

 ジェニーはふられたと言ったが、フローラの見解は先程のべたとおりだ。ジェニーは随分と隙のない女なので、いっしょにいてお手上げしたい気分になるのはしかたのない話だった。おそらく、彼女の愛はひたすらに無償なのだろう。つくすことが目的で、見かえりがあることなど頭のすみにもない。だからこそ、たとえさみしかったとして、そのこころの隙間をうめてほしいと思いいたることすらない。すきだと言って、そしておなじことばがかえってきてもきっとジェニーはほほえむだけ。それはすこしゆがんでいるし、さみしいし、無意味だった。ジェニーにとってもそうだし、彼女の愛情の対象にとってもそのとおりだった。

(ひとのいいところを見つけるのがうますぎるんだわ、きっと)

 そのくせ、自分のことを理解する気がない。ほれっぽい彼女にとっては、どこかで見つけたちいさな魅力をそっとなでて大事にすることだけが必要なのだ。自分が愛されるということを想定していない、だからこそ愛のささやきをまともにうけとらない。そんなはりあいのない相手といつまでも恋人ごっこをしていられるおひとよしは、おそらく世界のどこにも存在しない。

「あんたって、本当にたちがわるいわよね」
「なあに、急に」

 だから、ジェニーの恋人はたびたびかわった。ながつづきしないわりに、素敵な子を見つけることばかりが得意なのだ。だから本当は、もうつぎの算段はたっているのではないかと思われる。じつは、フローラにはこころあたりがある。

「あんた、最近へんなのよ」
「フローラはいつも私をへんだって言うわ」
「最近はことさらへんだって言ってるの」

 そう、こころあたりなどというものが存在してしまっているのである。このジェニーが、他人への興味を露見させている。自覚がなさそうだから、おしえてあげたいくらいだった。そうしたら、このくえない女はどんな顔をするかしら、泡をくう彼女をはじめて見られるのではあるまいか。そんなおかしな空想をうかべることができても、あまりに繊細な事象に思えて余計な横槍をいれることがはばかられてしまうあたり、フローラは根がいい子すぎる。そう、彼女はどこかで期待していた、これからおこるであろうなにがしかで、ジェニーのなにかがかわってくれるのではないか、と。

「ま、どうでもいいけれど。しかたがないから、またいっしょにお昼ごはんをたべてくれる子が見つかるまで、僭越ながら私がお相手をしてあげるわ」
「……」

 ふと時計を見れば、もうそろそろ昼休みもおわりそうだ。いつのまにか、ふたりの食事も終了している。フローラは返事もきかずたちあがり、するとジェニーもつづく。ごちそうさまでした、とささやいて、彼女は空になったあの子がすきだと言っていたランチセットを見おろす。おいしかったわね、と声をかけると、彼女は満足そうにうなずいた。

「フローラ、あなたって本当にやさしいわ」

 トレイをかえしにくべくあるきだすジェニー、いったい彼女はなにを思っているのか。フローラは彼女の右隣においつきながら、ただまえを見ていた。ほんとにやさしいわ、あなた。ぼそりとひとり言みたいなことば、なんだかぎくりとしてしまい、フローラは思わずジェニーを見る。目があう、かんがえを読まれるような、すこし不気味でこそばゆい感覚。

「そんなふうに私にかまってばかりいるから、あなたには恋人ができないのよね」
「うっさいわね!」

 ……やはり、くえない女なのだ。
 
12.06.13