部活の始礼前、あつまりきった部員たちはそわそわしたこの時間を思い思いにすごしていた。翔子は円卓のひとつの座席に背をあずけ、アスタはそのとなりでとんとほおづえをついている。ざわつく部室内で、彼女たちはぼんやりあるところを見つめていた。

「なんか、うまいことなついちゃったって感じだねー」
「それにしては、あの微妙にあいた距離がおもしろいけどね」

 その視線のさきには、壁際におかれた立派なソファがあった。アスタは遮蔽物たるほかの部員をよけるようにわざわざからだをかたむけながらの観察だったが、翔子はちょうどいい席がとれたらしくおちついた顔で正面を見ていた。

「警戒してるわりに自分でちかづいてくんだよね」
「ジェニー先輩ってああいうののあつかいうまそうじゃんね。野生動物と調教師的な?」

 そう、たしかに彼女たちは三人で部室へとおとずれたはずだった。ところがいつのまにやらつれあいのひとりが姿をけしていた、というわけだ。いままでならばふらふらいなくなるのはアスタだったが、ここ最近はそうともかぎらない。ソファには、ひとりの同級生とひとりの先輩がたっぷりふたりぶんほどのすきまをあけてはしとはしに腰かけていた。少女のあつまる室内、さざめくささやきたちのむこう側にある会話はきこえない。

「まあ、なにがあったかはわかんないけど、先輩がリンの気のひきかたを心得てるってのはたしかだ」
「こないだなんか、なんとなく先輩の話ふったら超反応してきて笑いこらえるの大変だったよねー」
「いや、アスタはあんまりこらえきれてなかった」
「あ、ほんと?」
「リンは先輩の文句言うのに必死で気づいてなかったけどね」

 ひねくれものには、やさしくするだけではうまくいかないものだ。翔子はいらいらした顔でむかつくだとか感じがわるいだとかとぶつくさ言っていたリンを思いだしていた。そのわりに部室に到着した途端に文句を言っていた対象の姿をさがすというのは、まさにひねくれものたる証だろう。

(自覚がなさそうなあたりが、またね)

 そもそもあのリンがたとえ表面上は悪意的なものだったとしても、だれかをつよく意識することはまったくもって稀だ。いつかぎゃふんとさせてやるとも言っていた気がするが、現状すでに彼女は敵の土俵までひっぱりだされているにちがいない。にこにこしている先輩と、そのとなりでやたらとつんつんしている我が友人。翔子は首をかしげて、ふむと一考。いったいどうころがるものやら。

「……なに?」

 そこでふと視線を感じてとなりを見ると、アスタの容赦ない直視と目があった。思わず身をひくと、彼女は口のはしをあげるようなやりかたで笑う。

「翔子ちゃん、先輩にリンちゃんとられちゃってさみしいでちゅねー」
「……」

 ふざけた口調とよびかたで、さらには翔子のほほをつんつんつつきながら、アスタはこれでもかと言うほどにやけていた。一瞬うごきをとめた翔子は、すぐに我にかえったようにまばたき。それからはたくようなつかむようなやりかたで自分のほほにくっつく手をどかして、いや、とつぶやく。

「わたしにはアスタがいればそれだけで充分すぎるくらいだよ」

 途端、かたまる番がアスタにまわる。直後には空中でかさなっていた手をひっぱりもどして、彼女は口元を両手でおおって驚愕をあらわにした。

「うわーうわー! なに言ってんのこのひと!」
「アスタうるさい……こういうこと言わせたかったんじゃないの」
「言ったらおもしろいなって思ったけどほんとに言うとは思わなかった! ばかじゃないのばかじゃないのお!」
「だからうるさい……」

 うんざりした翔子は脱力して、おかあさんは翔子ちゃんをそんなはずかしい子にそだてた覚えはありません!などと意味不明なことをまくしたてているアスタをどうだまらせようかと思案した。ところで。

「やー、ついに部の後輩にまで手をひろげちゃったかあ」

 背後から心底おかしそうな声がしたので、ふたりは反射的に身をかためた。ついでに聞き耳もしっかりたつ。

「こんどはどれだけつづくのかしらね」
「そうだねえ、こないだの子は一ヶ月もったっけ?」
「たしか一週間くらいならもってたと思うけど」

 椅子に腰かけたふたりのうしろにたったひとたちの噂話は、あきらかに彼女たちの話題の人物とおなじ対象にむけられている。翔子とアスタは顔を見あわせた。

「あんたたちってほんとに下世話!」

 さらにはべつのひとの声もまざる。やだあ、ともだちの恋の噂話なんてこれほど女子高生らしい会話なんてないでしょお? そうね、このままこんどはどれだけつづくかの賭けなんかをはじめなければそう言ってもさしつかえないんだけどね。なあにそれ、そんなこと思いついちゃうフローラがいちばん下世話じゃない? そういうことは日頃の自分たちのおこないを省みてから言ってもらえる?! 徐々にとおざかっていく会話と、ずるずるとひきずられるような音。それがすっかりやんだころ、翔子とアスタはおそるおそるとふりかえる。すると部室のはしのほうで、タルヴィッキとミレーネがにこにこへらへらしながらフローラから説教らしきものをうけていた。

「……。いまさ、あきらかにあたしたちにきこえるように話してたよね」
「うん」
「この部活って、先輩もへんなひとしかいないよね」
「うん」

 ふたりは顔を見あわせて、翔子もすっごいへんだもんなあ、とか、先輩もってことはアスタにも自分がへんだって自覚があったんだなあ、とか、そういうことを思った。

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「ね、おともだちってだいじにしなきゃだめよね」
「え、なに?」
「私のともだちはいじわるな子ばっかりだからうらやましいわ」
「だからなんの話?」

 終礼もすんですっかり人気のなくなった部室で、リンは自前のコンピュータのキーボードをかたかたはじいている。

「いえ、ただのひとり言」

 円卓のちょうど彼女の反対側に腰かけたジェニーは生返事にそうこたえて、机上にひろがった資料をながめた。歴史あるオデット二世の船歴はなかなかに興味深い。実験船としてつくられたのち、輸送船や調査船を経て武装商船として海賊船にまで転身している。いったいなにがどうなって女子校のヨット部が所有するにいたったというのだろうか。うつくしく謎めいた船が宇宙をかけるさまは、きっとおどろくほどに魅力的だろう。

「私がここにいるあいだに、彼女がちゃんと宇宙船をやってる姿はみられるのかしら」
「先輩、免許とればいいじゃないですか」
「とれるものならとっているけどね」

 適当な軽口に肩をすくめたジェニーが顔をあげると、リンはちょうど作業を一段落させたところだった。ぐっとのびをして、面倒くさそうに手元の紙の資料をわきにどかしている。

「どう? 目処はたちそう?」
「残念ながら、全然」

 どうやら休憩にはいるつもりの彼女がたちあがりかけたのを手で制して、ジェニーは自分が腰をあげる。そろそろ彼女にコーヒーをいれてやるのも習慣になりはじめた。それは、ジェニーがリンの自主的な居残りにつきあうようになってしばらくたったということだ。最初のころは迷惑そうだった彼女だが、とくに不満を言うことはなかった。それをいいことに、ジェニーは堂々とリンとのふたりきりの時間を獲得することに成功した。

「熱いから気をつけて」
「ありがとうございます」

 コーヒーをさしだしたながれで、ジェニーはリンのとなりにすわった。彼女はとくになにも言わなかった。

「やっかいな船ね、オデット二世って」
「まー。そのぶん燃えますけど」
「あらたのもしい。そうね、せっかくの素敵な船だもの。ちゃんと理解して、もし宇宙にでることがあれば最大限にいかしてあげたいわよね」

 ジェニーが同意をもとめるように言うと、リンはまばたきをしてからすこしだまった。それから、そうですね、とつぶやいてコーヒーをすする。釈然としない反応に、ジェニーは首をかしげる。

「なあに、私、へんなこと言った?」
「いや、べつにそんなことはないです。ただ、そこまで考えてたんだなって思っただけです」
「そこまで?」
「あたしは、オデット二世の中身が見られればそれでいいから。そのあとのことまでは頭になかったな」
「……そうなの」

 リンは、なんだか急にきまりがわるくなってしまった。いちいち意識の高いこの先輩と話をしていると、自分のいきあたりばったりさが目につく気がした。とはいえ、リンはべつに彼女のような考えかたをしたいわけではない。ただたんに、彼女のあきれたようにきこえる返事がいやだっただけだ。なにを格好つけたがっているのだろう。リンは、唇でもどがらせたい気分だった。

「じゃあ、わかったことがあったら私におしえてね。あなたの手にいれた情報は、私がオデット二世のためにつかうわ」

 あなたがいやじゃなければ、だけど。さらりとしたおねがいに、思わず顔があがる。ジェニーを見れば、彼女は随分うれしそうに微笑んでいた。思いがけぬ表情にぎくりとしたリンは、手にもっていたカップをおとしそうになった。彼女の反応はいつも予測不可能すぎる。

「私は、ほら、ひとを利用するのが得意だから。おなじくらい情報を利用するのも得意なのよ?」

 さらには、リンのむかしの暴言をひっぱりだして、からかうように笑い話にするから余計に動揺する。リンは、自分のほほに朱がさすことを自覚する。が、その原因は不明。

「……あ、あの」
「はい?」

 平静なジェニーのとなりで勝手にあわてるさまはじつにまぬけだ。しかもよびかけておいていったいなにが言いたいのかもわからない。いや、本当はわかっていて、言いだせないだけだ。
 これまで、リンが考えをあらためるには充分すぎるほどの時間があった。思わせぶりなことを言ってひとをからかうようなところもあるが、それよりなにより、深遠な彼女の本質は興味深かった。そう、自分とはまったくちがう人間なのだとしることは容易だった。だからこそ自分勝手な定規で彼女をはかることはとてもおろかなことだったのだろう。リンは、こどもじみた敵愾心でひどいことを言ってしまったあの日のことを、ちゃんとあやまりたかった。形だけではなく、ちゃんとこころから。

「……先輩、まだ右目見えないの?」
「ん? ああ、気にしててくれたの。大丈夫よ、そのうちなおるから」

 けれど結局、口をついてでてきたのはごまかしみたいな質問。とはいえこちらはこちらでずっと気になっていたことなものだから、我ながらちゃっかりしている、とリンはほほをかいた。

「ふうん……あの、なんか、こまったことあったら言ってください。あたしにできることなら、手つだうし」
「え、なあに、どうしたの。きょうはいやにやさしいのね」
「う、うるさいな……」

 ジェニーが心底意外そうな声で言うものだから、リンはついついはずかしくなって乱暴にたちあがった。きょうは、もうおわりです。そう宣言すると、ジェニーもたちあがる。それがなんだか気にくわなかったから、あわててかたづけをした。けれど結局、撤収作業はジェニーにも手つだってもらうこととあいなるのだ。

「まって、リンさん」

 てれかくしにさっさと部室をでていくリンを、ジェニーがゆっくりおいかける。結局は出口のとなりでちゃんとまっているのだと、ふたりともわかっていた。リンは、ばかみたいだなあとすこし思った。ただ、そういうことをしているから、ジェニーのふとした表情を見のがしてしまうのだということを、いまの彼女は全然わかっていなかった。
 
12.07.08