「べつに、わざわざ副部長がついてこなくたってさぼったりしないんですけど」
「前科のある身でよくそういうことが言えるわね」
「あれはもう反省しきりました」
リンは右手にさげた買い物袋をもちなおし、ふうと息をつく。するとおなじものをもったジェニーが、ちいさなメモ用紙をひらひらさせながら笑った。
「それでおわりよ」
いつもならば部活のまっただなかであるこの時間帯に、ふたりは街を歩いていた。それというのも部の備品の調達のため、簡単にいえば使いっ走りだ。一年生のうちで問題行動の目立つリンに、そのお鉢が真っ先にまわってくるのは至極当然であろう。とはいえ問題のない部員などあの部に存在するのか、こたえの見えきった疑問がうかんで、リンはうんざりした。そういう先輩方にはさからうべきではないのだ。
(とはいえ)
ちらり、ととなりを見る。根がひたすらに真面目なこの先輩はいかがなものなのだろう。かりにやましいことがあったとして、その尻尾をだすようなへまはけっしてしないであろう彼女。あばいてみたいような気持ちが頭をもたげるが、それ以上に第六感が警鐘をならすわけである。下手なことはしないほうがいい、薮をつついて蛇をだすなんてまがぬけているし、それどころか竜までとびだしてきては冗談ではすまない。まったくもって弱腰な己が不甲斐ないにもほどがあった。
「ね」
「え?」
とん、と左手に感触。びっくりして視線をおとせば、ジェニーのてのこうがリンのそれをノックしていた。それにぎくりとするいとまもあたえず、ジェニーはさらにことばをはなつ。やさしいのね、わざわざ右側あるいてくれてる。
「やっぱり、こっち側は視界がくらいから。たすかるわ、ありがとう」
「……」
もちろん自然にやっているつもりだったリンは、非常にきまりがわるかった。そもそも彼女にこんな気づかいが本当に必要なのかすらも断定できないのだから、ひょっとしたら余計なお世話である可能性すらある。つまりは、必要だったとしてわざわざ言及されてはてれくさいし、不要だった場合まるでこちらがはりきっているようではずかしい。つまりは、ジェニーはしらないふりをしているべきだったのだ。
「……えー。いや、べつに」
「そう?」
すっかりからかわれたかのような気持ちである。そんな気はなかった、自意識過剰だとでも言ってやればよかった。それはそれでただのてれかくしにしか見えないなんてことはしったことではない。
「そういえばさ」
「はい?」
しかたがないから、話をべつの方向へもっていくことにした。リンはふと声をひそめ、ちらりと後方を盗み見てからジェニーにすこし顔をよせる。うしろにいるひとたちも、先輩の右目のことしってんの。
先程買い出しへとでかけるべく校門をくぐったところ、当然のようにそこにあった高級車に唖然とした。さらにはそこにひかえていた黒服の男がまたも当然のようにその後部座席のドアをひらくので、若干ひいた。ジェニーはそれを手で制して、いきましょうとリンを手まねいた。噂にはきいていたが、大企業の社長令嬢は伊達ではないらしい。あなたのボディガードはいつもあんなところにひかえているのか、学校のまえで堂々と路上駐車とはいい度胸ではないか。そういった旨のことを言ったところ、まさかずっとあんなところにいるはずがないという返事があった。つまりは、ジェニーがでてくるところを見計らっての出迎えらしい。きまった下校時刻であるならまだしも、想定外の外出時にまでぬかりがないとはいったいどういう理屈なのか。結局わけがわからないままふたりほどの男が学院をでたところからずっとうしろにひかえていて、気にするなとジェニーに言われはしたが気にならぬはすがない。リンはとにかく居心地がわるい思いをしていたのだった。
「さあ、私はなにも言ってないから、しらないんじゃないかしら」
「そうなの?」
「言う必要を感じないもの」
「そういうものかな……」
ひょっとして、家のひととかにも言ってないの。なんとなく口をついた思いつきのことば、ジェニーの視線がすこしうごく。こちらを見た気がしたが、彼女はすぐにまえにむきなおった。
「それこそ、言う必要がないわ」
これは私の問題だから、だれに報告する意味もない。ふとした微笑をたたえながらのつぶやきは、なんだかとても軽々しかった。
「あ」
瞬間、目のまえをよこぎるものがあった。猫だ、とリンが思わずつぶやくと、それをききとめたように茶色のその子が歩をとめる。気をひくようにふりかえり、またあるきだす。細長い尻尾がふわふわゆれていた。
「……ねえ」
たのしげなつぶやき、猫に気をとられていたジェニーはそこではっとして、リンが一歩さきにふみだすのに反応できなかった。ふりかえった彼女はとんとんあるいていくその子を指さして、はやく、とでも言うように笑う。ジェニーはまばたきをした。
「寄り道するつもり? さっき反省しきったって言ったのはだれだったかしら」
「やだな、べつにさぼりとかじゃないよ。帰りに道をまちがえちゃったんじゃしかたがないってやつです」
いたずらめいた笑顔が得意気に言うものだから、ジェニーもつられて笑ってしまった。
ゆっくりあるく猫を、息をひそめてつけてみた。ちいさな猫のあとをおう少女がふたり、そのうしろには黒ずくめの大男。いったい傍からはどんな集団に見えているのだろう。リンはなんだかおかしくなって、思わずとなりのひとの表情を盗み見る。すると彼女は随分夢中で猫の尻尾をながめていた。こどもみたいな顔だと思った。実年齢より随分おとなびて見える彼女が、まるでずっとおさない女の子みたいな目をしていた。しらないジェニーの表情だった。
「先輩、猫が飼ってみたかったって言ってたね」
「ずっとこどものころの話だけど」
「猫、すきなんですか」
「うん、きっとそうね」
猫はとても自由なのだ。気まぐれにすりよってきたかと思えば手をさしだせばにげていく。こちらにおいでと手まねきしてもそっぽをむくのに、しらぬうちにそばにいる。だれのことも気にかけないから、こちらも勝手なことができる。かわいがりたければそうするし、気がのらなければ視界にもいれない。そういうわがままな関係で、だれもわるくない。どんなに身勝手でも、それがただしい。
「あ」
やっぱり猫は気まぐれで、先程までまるでついてこいという顔をしていたくせに、こんどは急にかけだした。ふいをつかれたふたりはおいかけられない。しばし猫のきえた方向をながめていた彼女たちだが、ふと、海沿いの道にでていることに気づく。
「しまったわ、帰るのがすっかりおそくなりそう」
「しかたないです、道をまちがえちゃったんだ」
「ふふ、それはもういいわよ」
潮風がジェニーの前髪をゆらす。海のかおりがリンの鼻先をかすめる。ぼんやりと、ふたりは波の音に耳をかたむける。
「先輩、結局猫を飼いたいってだれにも言わなかったの?」
「うん、だれになにをどう言えば猫を飼えるのかわからなかったから、自分だけで飼えるようになるまで我慢しようと思ってたのね」
「……先輩ってむかしっから考えかたがかたくるしくてまわりくどかったんですね」
「思慮深いこどもだったのよ」
「あまえるのが下手だっただけじゃない?」
「ふ、そうかも」
でも、最近までそれもわすれちゃってたな。ふと、つよい風がふく。ジェニーの長い髪がふわりとゆれる。リンは、それを見つめた。
「ふうん、じゃあ、ちょうどいいじゃないですか。いまなら先輩、猫くらい自分で飼えるじゃん」
「そう、そうなのよね」
ジェニーがゆっくりあるきだす。リンは彼女の右側においついて、荷物をもちなおす。そこで、ついっとジェニーが指先をおどらせる。それがリンを指さしたところで、あっとあることを思いだす。反射的に彼女の顔を見ると、いたずらめいた笑顔があった。
「げ、なにそれ」
「本当に、ちょうどいいわよね」
リンは、猫に似ているのだ。気まぐれで、身勝手で、そうあることがただしいのだ。