がたん、と音がなる。ひかれるままに体をもちあげれば手がテーブルのはしにひっかかって、のっていたボトルが床に落ちた。すっかりきれいにのみほしていたおかげで中身がこぼれて床が悲惨なことになるってことはなかったけど、あたしのありさまはなんとも悲惨だ。

「……なにやってんのあんた」
「……」

 唇には感触がのこっていて、襟もとはいまだにつよくつかまれている。バルクホルンは、どろんとした瞳であたしを見ていた。はなせ、とその手首をにぎったが、そんなことは意にも介さないバルクホルンに肩をおされる。最悪だった、背後にはベッドが陣取っていた。見事なまでに計算されている。やられた、おそらく最初っからだ。バルクホルンにいたいほど肩をおさえつけられてさらには馬乗りされ、あたしは思いのほか酔いがまわってうまくうごかない体をのろった。

「酒、つよいんだ。きいてない」
「言ってないからな」

 そもそもあたしがテーブルのわきにならんだいすのベッド側のほうにすわったのは、適当にかけろと言っておきながらもそちらのいすがひかれていて、もう片方のそばにはやつがたっていたからだ。最初からこちらにすわらせるつもりで、酔いつぶすつもりだった。トランプをもちかけたのもあたしが賭けだなんだとおもしろがることを見こしていたから。このうまいワインだって、ひょっとしたら今日のこのために準備したものかもしれない。今日の勝負はすべてやつの勝ちだった。だって、運までもがあちらさんの味方なんだもの。
 感情の読めない目があたしを見おろす。ただわからないことは、なぜこんなことをする必要がある。酔わせて恥をかかせたいだけならこんなまわりくどくめんどうくさいことはする意味がないのに。バルクホルンが自身の軍服の胸元に手をかける。おいおい、そろそろ本気でしゃれにならない。

「ちょっと、ちょっとまって、つまりあんたの命令ってのは、あんたに抱かれろってこと」
「きさまがするほうがいいならそれでもかまわない」
「そんなことを言ってるんじゃないっ、ねえ、おちついてよ、あんた酔ってんだ」

 最後の台詞にはすがるきもちがにじみでていた。だってあまりにもただの悪あがきだ。あたしの腹のうえでまえをすっかりはだけきったその中には、見とれるほどに白いただの肌がある。……バルクホルンは下着をつけていなかった。確定だ、今夜は本気で、その気であたしを誘ったんだ。

「酒につよいと私を評したのはそちらだろう」
「たのむから、おちついてよ。おかしいだろこんなの」

 だまれとでも言うように、バルクホルンの親指があたしのみぞおちをおした。容赦なかったからそりゃあいたくて、だけどひるんでもいられない。一瞬だけかたまってしまったが、すぐにあたしの服をぬがしにかかっている手をつかんだ。冷静になれない、どうしようもない。もう、最後の手しかのこっていないのだ。

「あたしは、ミーナ中佐じゃない」
「……」

 バルクホルンの動きがとまる。それだけじゃない、まったくよめなかった表情に動揺がひろがった。ビンゴだ、最後の賭けだけは、あたしの勝ちだった。

「……なんでしってるんだよ」

 こどもみたいな声だった。胸元はあいかわらずつかまれているけどそれすらもすがられていると感じるくらいにバルクホルンは動揺していた。

「あたしは、けっこうあのトランプの持ち主と仲がいいんだ」
「……エーリカ。あのおしゃべりめ」

 いまこの場で、ハルトマンのなまえをだすことは卑怯で最悪でとんでもない裏切り行為だった、なによりもハルトマンに対して。だけど背に腹はかえられない、あたしはいま必死だったし、なによりアルコールがぐるぐるとまわっているこの頭ではこれ以上のこの場をきりぬけられる名案を思いつける気がしなかったのだ。あたしは祈るように見あげていた。するとしばらくしてバルクホルンはあたしにのしかかっていた身をおこす。ほっとした。存分の犠牲をはらったんだ、これくらいの効果がないとわりにあわない。

「エーリカは、なんて言ってた」
「……。さあね、いろいろ」

 バルクホルンはへたりこんでしまった。さきほどまでの剣幕と表現してもさしつかえないほどのするどい顔つきとは一変して、いまにもなきそうなこどもになってあたしのひざのうえでうつむいた。だからベッドからぬけだすことはできなくても上半身をおこすことはできた。顔をちかづけてにらみつけてみたが、やつは視線をおよがせるばかりだった。
 ハルトマンは、ミーナはよわいひとなんだ、と言った。どうしてあたしにそんな話をしようと思ったのかはしらない。ただ、とてもひとりではかかえていられなくなっちゃったんだろうな、ハルトマンはバルクホルンだって知らないことをたくさん考えているのだ。
 トゥルーデは、ミーナにやさしくしたくってしょうがないの、でもさ、ミーナってそれだけじゃたりなくて、……ちがうな、ちょっとやさしい言い方しすぎちゃった。トゥルーデじゃだめなんだ、もっとちがう、ほかのひとにやさしくしてほしいんだな、ミーナは。でもミーナは、それはかなわないってしってるから、……。

「……私は」

 はっとした。思わず記憶をたどっていたところだった、バルクホルンはしぼりだす声でつぶやいた。私は、ただの坂本少佐のかわりだったのかな。ハルトマンからきいた話の断片が、ゆっくりと頭のなかでむすびついていった。

「ミーナが、ごめんなさいって言ったんだ」

 だらりとたれたバルクホルンの両腕が、とてもなさけなくてかわいそうに見えた。こんなバルクホルンはしらない。あたしのしっているこいつは生真面目でまっすぐでわずらわしいくらいに、自分で自分をささえられる人間だった。そっと、あけっぱなしの軍服に手をかける。抵抗もされなかったからていねいにまえをとめてやった。

「……あやまられるのはきらいだ」

 それは、とてもとても切実な、ただのひとりごとだった。

 
09.01.19再録
これかいてたときはゲルト→ミーナ→もっさんがジャスティスだったおぼえがある