きょうはもしかしたら寝つけないかもしれない、なんてのはあっさり杞憂におわる。ベッドにはいればいつのまにか朝になっていて、しかもねぼうまでオプションでついてきた。朝食の時間おわっちゃったよ、と勝手知ったるとあたしの部屋にはいってきたルッキーニにからだをゆすられて、あたしはやっと身をおこした。
ちょうどよかったな、と思う。朝食の席でやつと顔を合わせるのは気まずかった。とりあえず着替えをすませながら、それでもあたしは部屋をでる気にならない。
「ルッキーニ」
部屋の隅にあるあたしの工具いれをあさって遊んでいるこどもをよんだ。普段はそんなことしたらだめだってとりあげてしまうのに、きょうばっかりはそんな気力もなく放置していたらルッキーニはじつにたのしそうだった。無邪気なやつめ。
「なあに?」
それでもあたしがよべばぴょこんと顔をあげてこちらにきてくれる。なんと癒されることだろう。あたしはさらに手招きをしてベッドにこしかける自分のひざのうえにルッキーニをすわらせた。
「なあルッキーニ。ちゅうしてもいい?」
「にゃはは、シャーリーがへんなこと言ってる」
ルッキーニのこしに手をまわして抱きすくめるとちいさな手があたしのそれにかさなる。きゃっきゃとたのしげに笑って、ぷらぷらと足をゆらした。その仕草はどれをとってもまるでけがれを知らなくて、そう思いついた自分に辟易した。思考がすっかりただれている。
「あーあ、ルッキーニもいつかすきなやつができたってあたしからはなれてくのかな」
さみしいなあそんなのは。腕にすこしだけ力を入れて、目のまえの肩にあごをのせる。ルッキーニはふしぎそうな顔をした。すきとかきらいとか、そんなのでこんなにわずらわされるのは気分がわるくてしょうがない。
バルクホルンが自分で自分をささえられるやつだと、あたしは本気で信じていた。いやちがう、そうであると完璧に見せかけているさまが、すこしだけだ、たったすこしだけ立派だと思っていた。あんなバルクホルンを、あたしはきっと見たくなかった。それなのに、ミーナ中佐はあんなにあっさりバルクホルンをよわくした。いやになる、まだ、こんなにいらいらする。
「……きらいなら、あんなことしない」
声にだして、昨夜のバルクホルンの最後のことばを反芻した。それから遠慮もしないでぶつけたとがりきった自分のいらだちを思いかえす。なんてこどもだ、バルクホルンがはらいせなんかのためにあんなことをしないことくらいわかっていてそうときめつけるようなことを言った。やつはミーナ中佐にやさしくしたくてしかたがないんだとハルトマンは言っていたけど、やつだって、きっとやさしくされたかったんだ。バルクホルンは、それくらいにはよわいところがあってさみしくて、それであたしをえらぶっていうのはおそろしくセンスがないけれど、きっとプライドの問題だった。バルクホルンがわかっているかはしらないにしても、ちゃんとやさしく甘やかしてくれるやつはいたんだ、だけどほんとにやさしくされちゃったらあいつは多分たちなおれなくて、だから自分をきらいなあたしをえらんだ。きっとそれだけだ、そうにきまってる。
「かんちがいしてるんだ、あいつは」
すきときらいってにてるんだ、と自分に言いきかせた。だいすきだってだいきらいだって、相手のことが気になってしかたないんだ、だからいまこんなにやつのことが気になるのも、やつのことがあんまりきらいだから。そうでなけりゃとんでもない気の迷いだ、そうであってくれなくちゃ困る。
「シャーリー?」
ルッキーニが腕のなかでもぞもぞと動いた。あたしのひざのうえにいるのにもあきてきたらしい。いつもならすぐに解放してやるんだけど、今日ばっかりはそうもいかない。頑なともとれるほどに、あたしはルッキーニをはなさなかった。
いい加減ルッキーニに甘えてもいられないから朝食をとるために部屋をでる。あのあとあたしの腕のなかであたしとむきあってそれからまるでおねえさんみたいにあたまをなでてくれた、気まぐれなルッキーニはもうあっさりとどこかへかけていってしまった。ルッキーニはそうやってたまにあたしをこどもあつかいして、まるで自分が面倒を見ているような顔をする。そのときの、本当のこどもの満足そうな顔を見るのがけっこうしあわせなあたしはけっこう頭がわるいのかもなと思った。
「はらへったなあ」
おおきな独り言。一生懸命奮起しようとしている自分がすこしなさけない。でもとりあえずは朝ごはんだ、これからいろいろ考えなくちゃいけない気がするけど、それはまず食欲をみたしてから。
「……」
そう思ったのに、どうしたことか。食堂にはいってみれば、バルクホルンがトレイをかかえてまさにいまから自分のぶんの朝食を準備しようとしていたところだった。おたがいにかたまって見つめあってしまった。しまった、そうだ、あたしが朝から顔をあわせるのは気まずいと思ったんだからあちらさんだってそう思ってもふしぎじゃない。時間をずらしたつもりが、見事にかぶってしまったんだ。
「……はよ」
「おはよう」
気のぬけたあいさつをすると、バルクホルンのきっぱりとした声がかえってきた。普段のやつだ、あたしが立派だと思って、そうであってほしかったと思った、ゲルトルート・バルクホルン大尉だった。それなのに矛盾している、それがまたあたしは気にくわない。さめてしまった朝食をトレイにとっているやつのとなりにあたしもたつ。
「ふたりしていなかったなんて、ミーナ中佐がどう思ったかな」
意地のわるい声で言っても、やつはあたしのことばなんてきこえてないようにさっさとあるいていって席につく。しつこくついていって、トレイもなにも持たないままやつのとなりにこしかけた。バルクホルンは食事をはじめない。
「見ないでくれるか」
「見てないさ、自意識過剰だな」
「じゃあ、きさまも食事をしたらどうだ」
「どうも、食欲がない。あんたのことで胸がいっぱいなんだ」
はっとしたようにバルクホルンがこちらを見た。あたし自身もなにをばかなことを言っているんだろうと思う。ゆっくりと、雰囲気が核心にせまっていく。バルクホルンは目をふせて、そして唇をかむ。きのうは気づかなかった、こいつのこの仕草はすこし色っぽい。ひょいと、トレイからまるいパンをとる、それからちぎって自分の口にはこんで、その間もやつはうごかないでいた。
「あんたさ、あたしのこときらいじゃないようなことを言ったけど」
バルクホルンのかたがゆれて、そしてこちらを見ればいいと思った。でもその横顔はうつむいたまま。あたしは、やっぱりあたしじゃだめそうだなあと実感する。それって、あんなことをしたことへのただの正当化だろう?と、言わなくていいようなことを、まるでバルクホルン自身が気づいていない真実でも告げるようにささやいた。するとバルクホルンは、おおきな瞳であたしを見た。心底おどろいたような、すきとおったそれにひるみそうになったところで、手首をつかまれて我にかえる。持っていたパンはなんとかおとさなかった。
「……なんだよそれは」
必死なバルクホルンが声をふるわせる。きっときのうのあれは、バルクホルンにとっては告白も同然だった。それをごまかそうと、あたしこそ必死なのだ。すきときらいはにてるんだ、だからバルクホルンは、ただかんちがいしてるだけなんだ。さきほど結論づけた思いこみをなんども頭のなかで読みあげて、できるだけ目にも声にも色をつけない努力をする。
「ごめんね」
謝罪の意味はあたしにもわからない。バルクホルンがどうとったかもわからない。あやまられるのがきらいだとつぶやいたバルクホルンに、あたしはしずかにあやまった。ごめんね、あたしは、やっぱりあんたにやさしくできそうにないんです。
「あんたがすきなのは、ミーナ中佐なんだよ」
あたしの腕をつかんでいたてのひらがするりとおちた。それにあわせてまるいパンも。あたしはいまどんな顔をしている。たのむから、なきそうな顔だけはしていてほしくなかった。